第三百二十二話 役割(二)
これまで、数多の敵を屠り、ガンディアに多大な戦果をもたらしてこられたのは、ひとえに黒き矛の力だということがはっきりとした。
いや、以前からわかっていたことだ。重々承知していた黒き矛の力に頼り切りだということは、知りすぎるくらいに知っていたのだ。
だからこそ、黒き矛の持ち主に相応しい実力を欲した。ルクス=ヴェインに師事し、訓練を始めたのもそれだ。とにかく、情けない現状から脱却したかった。
そんな中、戦争になった。
《獅子の尾》は遊撃部隊として組織されたが、その戦力を考えれば、レオンガンドが出し惜しみするはずもなかった。緒戦から投入され、酷使されるのもわかりきっていた。
当然、ルクスとの訓練はお預けになった。ルクスからは個人用の訓練を言い渡されたものの、毎日できるはずもなかった。戦中であり、敵国だ。いつ戦いが起きるともしれなかったのだ。
そして、ミリュウとの戦闘があった。彼女との戦いは、いま目を閉じても瞼の裏に千名に浮かび上がるくらい強烈な記憶になった。敗れたのだ。
いや、現実には敗れてはいない。敗者となり、ガンディア軍の捕虜となったのはミリュウであり、セツナは勝者として記録されている。
だが、セツナの感情としては、あれを勝利とは認識できなかった。いままで、一度だって敗けたことのないセツナが、圧倒的な敗北感を抱かされたのだ。
「だからといって……相手の力量も見極めずに突撃するのは、無謀以外のなにものでもないわ。勇気と無謀は違う。セツナだってわかってるでしょ?」
「わかってるよ。そんなことは」
セツナは、視線を落とした。地面の上に敷かれた敷物は、雨に濡れてはいない。もちろん、ビニール製のテントではない。なにか特殊な加工でもされているのかもしれない。
ファリアのいったことは、痛いくらいに理解している。勇気と無謀をはき違えてはいけない。そんなことはわかりきっているのだ。
なぜならセツナは、無謀にも立ち向かってくる兵士たちの姿に勇気など感じることはないからだ。カオスブリンガーの絶大な力を目の当たりにして、それでも彼に向かってくるのは、無謀という以外にはなかった。
死ににいくようなものだ。
殺されにくるようなものだ。
そんなものは勇気ではない。
死ににいく勇気など、殺される勇気など、まっぴら御免だ。だが、彼らのようなものは実際に存在し、セツナの前に現れるのだ。そうしたとき、セツナは迷いもせずに殺してきた。敵を殺すのに躊躇いはいらない。一瞬の躊躇が命取りだ。
セツナとて、人間だ。傷も負うし、殺されもするのだ。生き抜くためには、無謀で哀れな連中さえも殺さなければならない。
たとえ、勇猛果敢に攻めかかってきたとしても、黒き矛を手にしたセツナの目には無謀としか映らない。無謀にも挑みかかってきたものの末路は哀れなものだ。黒き矛に両断されるか、突き殺されるか、破壊されるか。
いずれにせよ、絶命する未来しかない。
「だったら」
「でも、あのまま逃げ帰っていたら、俺は俺を許せなかったと思う」
ドラゴンを倒せず、むしろ殺されかけた上、ファリアにまで無茶をさせてしまったという事実を直視しながらも、それでもセツナは自分の感情を曲げることはできなかった。
あのとき、セツナの脳裏を過ったのは、ミリュウとの戦いだった。実質的な敗戦が彼にもたらしたのは、負けないという決意だ。それは、もう二度と負けてはいけないという強迫観念でもあった。
ドラゴンの凶悪な力を目の当たりにして一度は撤退を決めたものの、立ち向かわざるを得なかったのは、あのときの敗戦が尾を引いていたからに違いない。
もっとも、ミリュウに勝っていればドラゴンに挑まなかったのか、というとそうでもないだろうが。
「戦うべきじゃなかったっていうのもわかるよ。結果を見れば、俺は通用しなかったんだし、素直に逃げるべきだった。そうすれば、ファリアに無理をさせることもなかった」
「わたしのことはいいのよ。君よりも余程丈夫にできているもの」
「そんなわけないだろ」
セツナは、口を尖らせていった。
ファリアがそんなことをいうのは何度目だろうか。
ミリュウたちとの戦いのあとも、そんなことをいっていた気がする。しかし、彼女もまた、普通の人間なのだ。もちろん、セツナより遥かに鍛えあげられた肉体を持っているのは間違いない。彼女は武装召喚師としての訓練を積み上げている。その過程で心身ともに鍛えられたのだろう。
だが、それとこれとは別の話だ。いくら鍛錬を積んだところで、傷の治りが早くなるわけもなく、痛みが和らぐわけもない。ルウファの例を挙げずともわかることだ。いくら強くなったところで、人間は人間にすぎない。皇魔のような怪物になれるはずもない。
やはり、セツナも人間なのだ。黒き矛を手にした瞬間、彼は、自分が人ならざるものになったかのような錯覚を抱くことがある。扱いきれないほどに溢れ出る力の奔流の中で、人間を超えたかのような感覚を持ってしまう。
人の身のか弱さを忘れ、化け物のように振る舞ってしまうのだ。その結果、大怪我で済んだならまだいい。死んでしまえば、笑い話にもならない。
自嘲することもできないのだ。
「どうでしょうね? 試してみます? 隊長殿」
挑戦的な微笑を浮かべるファリアに、セツナは半眼になった。ファリアが挑発的は発言をするのは珍しいことのように思えたが、ここはあえて乗ってみるのもありかもしれない。
「病み上がりの隊長に無理をさせるのか、そーなのか、そーゆーやつなのか、隊長補佐っていうのは」
「そうですね。いつも隊の雑務を押し付けられていますし、無茶をするなと忠告しても聞き入れてもらえませんし、たまにはいいたいこともいいませんとね」
「ほーう」
セツナの表情が余程おかしかったのか、ファリアは声を上げて笑った。ファリアの笑顔に心が救われるのを実感しながら、息を吐く。彼女を笑わせるつもりなど微塵もなかったのだが、結果的に笑顔が見られたのだ。文句はない。
「でも、隊長が無事で本当に良かった。エイン軍団長や西進軍の皆さんも心配していたんですよ」
「エインもみんなも、無事なんだな?」
「はい。ドラゴン偵察部隊は、だれひとり欠けることなく西進軍に帰還できました。それもこれも隊長がドラゴンの注意を引いてくれたおかげではあるんですが」
「……わかってるよ。もうあんなことはしない」
「ま、隊長が約束を守ってくれるだなんて、これっぽっちも期待しませんけどね」
「ひっどいな」
セツナが憮然とすると、ファリアはこちらにもはっきりとわかるくらいにため息を吐いた。聞かせるつもりで嘆息したのだろうが。
「酷いのは隊長でしょう。わたしたちに心配ばかりさせて、自分は夢を見ていればいいんですから。ミリュウなんて、ずっと隊長の看病をしていたんですよ。ろくに食事も取らず、ずっと……」
「ずっと……」
セツナは、ファリアの言葉に驚きを禁じ得なかった。
目が覚めたとき、最初に視界に飛び込んできたのがミリュウの顔だったのは、それが理由なのかとも思った。目が覚める前、セツナの表情になんらかの変化があったのかもしれない。
ずっと看ていたのなら、ちょっとした変化でも気づくというものだ。それで顔を近づけたとき、セツナが目を覚ましたのだろう。
ミリュウが驚くのも無理はなかったのだ。
「そう、ずっと」
ファリアがセツナの言葉を反芻するかのようにつぶやく。彼女がミリュウをどう考え、どう思っているのかなど、セツナにはわからない。が、いまの口振りからすると、思った以上に悪感情を抱いてはいなさそうだった。