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第三十一話 忌まわしき黒

 ウェイン・ベルセイン=テウロスには、確信があった。敵軍の指揮官であり、敵国の王であるレオンガンド・レイ=ガンディアさえ討ち取ることができれば、戦線は持ち直すだろう。

 いや、それどころではない。レオンガンドに跡継ぎはおらず、彼が死ねば、ガンディア国内が荒れるのは必然。となれば、ガンディアはログナーにとって、懸念すべき存在ではなくなる。

 つまり、ログナーは、ザルワーンの後ろ盾を必要としなくなるのだ。もちろん、即座に同盟を解消するような状況にはならないし、それにはまだまだ国力が足りない。しかし、現在の属国染みた境遇からは抜け出せるのではないか。

 それは、アスタル=ラナディース将軍の望みであり、ひいてはログナー国民の願いであった。

 ならば、前線に立つ騎士も、勇奮せざるを得ない。

 ログナーの置かれている状況を少しでも改善するためには、目の前の勝利をあらゆる手段を使ってでももぎ取るしかないのだ。

(それがつまり、これだ)

 単騎での特攻など、部隊を任された騎士の取るべき戦術ではないだろう。部隊の指揮を放棄しているのだ。しかし、彼には彼にしかできないことがあり、故に、やむを得ず敵陣に特攻するしかなかった。

 すべては、眼前の敗北を大いなる勝利に塗り替えるために。

(まったく、皮肉なもんだね)

 猪突猛進を信条とする勇猛果敢な騎士が後方に回り、根が臆病で近接戦闘をもっとも苦手とする騎士が前線に突貫するなど、皮肉以外のなにものでもないだろう。が、性格と資質が異なるというのは、よくあることだ。

 たまたま、ウェインの能力が、強襲に向いていただけに過ぎない。

 ウェインの一閃によって敵の精兵たちが宙を舞い、馬上の王への進路が生まれた。それは、大逆転へ至る勝利の道程に違いなかった。

 その直線には、あざやかなまでに障害物がなかった。障害物さえなければ、彼のものだった。空中高く打ち上げた兵士たちの真下を潜るように飛んで、瞬く間に、レオンガンドの足元に到達する。

「あなたを殺せば、うちらの勝利ってことだろう?」

 格好をつけたわけではない。当然のことを口走ったに過ぎない。そして、その程度、隙にはならない。ただ、レオンガンドの馬鹿馬鹿しいくらいの美貌が、こちらを認識しただけだ。銀獅子の兜を被っていてもそれとわかるくらいの美貌には、ウェインも呆れるしかなかった。

 だが、ウェインが、レオンガンドの隙を逃す真似などするはずがなかった。右手の剣を、敵国の王に向かって突きつけるように掲げる。

 刀身が歪に折れ曲がった剣は、一見、殺傷能力などまったく存在しないように見えた。しかし、見た目がすべてではないのは、ほとんどの召喚武装に当てはまる事実である。

 でなければ、だれが好き好んでこんな使い勝手の悪そうな剣を召喚するというのか。

「往け!」

 ウェインの命令に、彼の剣が呼応する。その歪んだ刀身が、青白い光を放ちながら、一直線に伸びたのだ。爆発的な速度だった。矢の如くといっても過言ではなかった。

 剣先が向かうのは、レオンガンドの心臓。どれほど銀獅子の甲冑の装甲が厚かろうと、彼の剣の前では意味をなさない。

「!」

 レオンガンドは、瞬時に反応したものの、それはあまりに遅すぎたのだ。身を捩るには場所が悪く、防ぐべき盾はない。槍で剣先を逸らそうにも、刀身の伸長速度のほうが遥かに速く、レオンガンド程度の技量では届かせることもできなかった。

 そして、切っ先が、レオンガンドの鎧の胸甲に突き刺さった――。

(やった――)

 胸中、勝利の雄叫びを上げようとした瞬間、ウェインは、上空からの衝撃によって吹き飛ばされた。

「!?」

 凄まじいまでの激痛が、ウェインの思考を停止させる。圧倒的な衝撃。予想だにしない事態。視界は目まぐるしく移り変わる。無傷のレオンガンドを認め、その足元に黒い物体の着地を見届ける。視界を彩るのは無数の砕片。彼の剣の破片たち。スネークラインが破壊されたのだ。

 なにものかによって。

(なんだ!?)

 彼は愕然とした。

 実際、なにが起こったというのだろう。

 剣は折られ、肉体は宙を舞っていた。

 ガンディア兵とログナー兵が入り乱れる戦場の光景が、ウェインの視野一杯に広がっていた。その景色も、すぐに変わるだろう。

 全身を打ちのめした衝撃の正体も把握できぬまま、彼は、この作戦が失敗に終わったことを悟った。

 なにものかの横槍が、レオンガンドを護ったのだ。

 流転するウェインの視界は、遂に地面を捉えた。兵士たちの甲冑で埋め尽くされた大地の中へ、吸い込まれるように落ちていく。

(それは駄目だ!)

 ウェインは、心の中で叫んだ。このまま地面に激突して、気を失うような事態だけは、なんとしても避けなければならなかった。命令する。

「風と踊れ……!」

 彼の全身を覆う群青の甲冑が、淡くも華やかな光を発した。周囲の大気が渦巻いて、ウェインの全身を押し包む。緩やかな浮遊感が、彼の意識を覆った。そのまま空中で態勢を整えると、ウェインは、難なくその場に降り立った。周囲の兵士たちが驚くのは、当然であろう。

(よくやってくれた、アークブルー)

 みずからの象徴とも言うべき青の甲冑に感謝を述べると、彼は、改めてレオンガンドを見遣った。剣は折られ、別の武器を召喚するほどの時間的猶予もない。そして、この開きすぎた距離を埋めることはできないだろう。

 目測にしておよそ十メートル。先の方法が何度も通用するはずがなかった。

 しかしそれでも、敵の正体を知っておく必要はある。

「あれか……?」

 事態の激変に驚愕するあまり硬直したままのレオンガンドの足元で、それは、息づいていた。

 漆黒のなにか。

「あれが……」

 ウェインは、怪訝そうに目を細めた。それはとても人間には見えなかった。いや、人間には違いないのだ。その姿かたちは人間そのものだった。そもそもこの戦場に人間以外の存在が入り込んでくる余地などないはずだった。

 それは一見、少年の姿をしていた。簡素な鎧と兜を身に付けながらも、とても戦いなれているようには見受けられない。少年というのは背格好からの判断に過ぎない。実際はウェインと大差ない年齢なのかもしれないが、この際どうでもいい。

 武装召喚師だろう。

 彼の手にした長大な矛は、見るからに禍々しく、いかにも召喚武装であることを主張してやまない形状をしていた。実用的ではないのだ。

 とてもひとの手によって作り出されたものには見えなかった。そしてその矛は、おぞましく、戦慄さえ覚えるほどだった。

(慄いている……? 俺が?)

 ウェインは、自分の手が震えていることに気づいた。さっきの痛みで震えているのではない。敵の少年を見据えているが故に、震えるのだ。

 恐怖に。

 それは、通常では決してありえないことのように思えた。あってはならないことだ。たかが召喚武装を手にした少年に戦慄するなど、ありえない。

 こちらは歴戦の騎士なのだ。《青騎士》と呼ばれて久しく、《飛翔将軍の魔剣》と恐れられる自分が、武装召喚師ひとりを相手に怖じ気づくなど――。

(あってはならない……!)

 歯噛みして、ウェインは、頭を振った。恐怖に沈みかけた心を奮い立たせるために、敵を睨み据える。しかし、レオンガンドの足元に黒き矛の少年の姿はなく、直後、兵士の断末魔が前方で上がった。

 その声も、なにものかの雄叫びによって掻き消されたが。

「おおおおおおおおおおおおおお!」

 獣以上に獰猛な咆哮は、少年が発しているに違いない。その叫びに込められたのは、見境なき殺意であり、どす黒いともいえるほどの敵意だった。

 それは、ウェインがついさっき感じた恐怖と根源を同じくするものであり、彼は、前方から血を巻き上げ、死を撒き散らしながら迫り来る敵に、絶望を見た。

「なんだ……これは!?」

 理解するのも馬鹿馬鹿しいくらいの力だった。

 ウェインとレオンガンドの間に横たわる凡そ十メートルという間合いを埋め尽くしていた歩兵のうち、ログナー側の兵が、急速に減少していく。

 少年が、その身に余るほどに長大な矛を振るうたびに、前方の兵士たちが命を絶たれていったのだ。一方的な殺戮だった。対抗手段を持たない兵士たちでは、どうすることもできないのだ。ただ、殺されるのを順番待ちしているようなものだ。

 ウェインは、己の判断が遅きを失したことを把握した。右腕を、前方に掲げる。

「歌え、風よ!」

 ウェインの言葉に、青き甲冑アークブルーの力が発動した。甲冑が淡い光を発するとともに、大気がざわめいた。

「撤退だ」

 ウェインは、周囲の兵士たちに告げると、黒き矛の少年が分厚い大気の壁に押し包まれるのを見た。大気の障壁は視認できるようなものではないが、鎧を纏うウェインには、感覚で理解できた。幾重にも取り巻く大気の層が、しばらくは彼の動きを制限するに違いない。

 その間にレオンガンドに再び特攻するというのも考えないではなかったが、もはや無理だった。レオンガンドは、いつの間にかかなり後方に下がっていたのだ。この場は武装召喚師の少年に任せたと考えるのが妥当だろう。もちろん、こちらの先の作戦があったればこその判断なのだろうが。

 と、ひとりの歩兵が、ウェインに問いかけてきた。

「撤退……ですか?」

「そう、全軍撤退。バルサー要塞で態勢を立て直すんだよ」

 ウェインは即答すると、前方に視線を戻した。黒き矛の少年は、大気の壁に包まれて、なにもできないでいるようだった。彼を抑えれば、追撃も多少はましになるだろう。しかし、それがいつまで持つか。

 ウェインは、冷や汗をかいている自分に気づいた。黒き矛の力は、あれがすべてではないはずだ。その予感は、いまや確信に近かった。

 歴戦の戦士であるはずのウェインが恐怖を覚えるほどの召喚武装なのだ。並大抵のものではない。

 不意に、ウェインの脳裏を、紅蓮の猛火が焼き払った。

「まさか……!?」

 直後、化け物染みた咆哮とともに、少年を拘束していた大気の障壁が四散したのだった。

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