第三千百九十一話 事態急変(三)
三位結界の消滅と敵艦隊の一斉砲撃は、戦局を一気に変えてしまった。
元より連合軍側が押されている状況ではあったが、敵艦隊の一斉砲撃は、射線上にいた多数の連合軍将兵を飲み込み、それによって神人や神魔へと造り替えてしまったのだ。数の上で押されていたところを、さらに味方の数が大きく削り取られたことは、連合軍全体の士気を大いに低下させ、戦意を奪うのに十分すぎる力を発揮したようだった。
一斉砲撃に巻き込まれたのは、敵軍も同じだ。未だ戦場空域に残っていた小型飛翔船数隻や神人、神鳥らが神威砲の射線にいたがために飲み込まれている。が、神人や神鳥には効果がなかったようであり、神威砲の光が消えたあとも傷ひとつなくその場に残っていた。
しかし、小型飛翔船は、違う。
神威砲の直撃を受けて爆散したのだ。
だが、それで敵軍の戦力が減ったかというと、そんなことはなかった。
先程の神威砲による一斉砲撃は、神化を促すための砲撃だったことは明らかだ。つまり、小型飛翔船に乗っていた人間の兵士たちも神威砲を浴びたことで神人と化したのであり、敵軍の戦力は低下するどころか増強されたと考えていい。
首を斬れば死ぬ人間よりも、“核”がある限りどのような致命傷も立ち所に再生してしまう神人のほうが遙かに厄介だ。
それになにより。
エリルアルムは、後方より迫り来る猛烈な殺気に気づくと、素早く部隊を展開した。銀蒼天馬騎士団は、部隊を複数に分け、戦場全体に散っている。そのため、エリルアルムの部隊も少人数だった。
「姫様、あれは……!」
部下のひとりが悲鳴にも似た声を上げたが、それも無理ないことだった。
エリルアルム自身、叫び声を上げそうになったほどだ。
猛然と迫ってくる一団は、神人だった。神威を浴び、神化した人間たち。しかもただの神人ではない。人間時代の面影を多分に残した神人の姿には、確かに見覚えがあったのだ。
白く変容した全身は、人間時代身につけていたものであろう甲冑を模した外骨格のようなものに覆われているのだが、その甲冑の形状こそ、銀蒼天馬騎士団の騎士たちが現在愛用している竜鱗の鎧そのものだったのだ。しかも、手には召喚武装を持っている。
肉体も竜鱗の鎧も消し飛ばされたが、召喚武装だけは、神威砲に破壊されなかったのだろう。
「そんな……そんなこと……!」
受け入れがたい事実を前に、エリルアルムは頭を振った。しかし、神人となって襲いかかってきた彼らは、紛れもなく、少し前まで彼女の部下として、銀蒼天馬騎士団の一員として、ともに戦ってきたものたちだった。
彼らは、一斉砲撃の射線上で戦っていたのだろう。その結果、神威砲の直撃を受け、神人となった。そして、ネア・ガンディア軍の一員となり、神兵となって、連合軍の敵となったのだ。
神人と化した騎士たちは、ただ禍々しい雄叫びを上げ、突っ込んでくるばかりであり、理性の欠片も見当たらなかった。
エリルアルムは、身を以て知っている。
神人となったものは、ただ周囲に破壊と殺戮を振りまくだけの怪物であり、言葉は聞こえず、交渉の余地はない、と。襲いかかってきた以上は、刃でもって応じ、討ち滅ぼす以外に道はないのだ、と。
これまで、そういった現場を散々見てきた。
彼女自身、散々手を下してきた。
戦うしかない。
ソウルオブバードの柄を握り締め、歯噛みする。
神人たちの顔を見れば、彼らとともに戦ってきた日々のことが脳裏を過ぎった。ここ数年のことではない。もっと昔、十年以上、二十年以上の付き合いのものもいた。エリルアルムが生まれたときから側に仕えているものもいる。
祖国を失ったエリルアルムにとって銀蒼天馬騎士団とは、家族のようなものだった。
それがいま、敵に回った。
理性も知性も持たないただの怪物と成り果てて、目の前に立ちはだかったのだ。
これほどやるせないことはない。
これほど、惨たらしいことはない。
なにか理由があって、なにかしらの強い意志でもって敵に回るのならば、まだ、いい。それが彼らの正義であり、信念ならば、受け入れられもしよう。
だが、いまエリルアルムに襲いかかり、力任せに武器を振るう怪物たちは、ただ神威砲に飲まれただけなのだ。それによって神人に成り果て、変わり果てただけだ。そこに正義も信念もない。いやむしろ、正義や信念をねじ曲げられてしまった、というべきか。
「姫様、考えている暇はありませんぞ」
「そうです。彼らはいまや敵となった。なってしまった」
「もはや、これまで」
「わかっている。わかっているよ」
エリルアルムは、部下たちに背中を押されるようにして、前を向いた。
目の前の神人の顔には、はっきりと面影があった。エリルアルムに長年付き従ってきた騎士の、深い皺の刻まれた顔。その顔を真っ直ぐに見つめながら懐に飛び込めば、猛然と振り抜かれた拳が空を切り、がら空きの腹をソウルオブバードが貫く。そして、翼で神人を包み込み、圧壊させていく。
怒号を上げながら壊れていく肉体の中に“核”を見出したとき、彼女に躊躇はなかった。槍を閃かせ、“核”を破壊する。
その瞬間、神人の肉体は粉々に砕け散り、余韻すら残さない。
余韻に浸っている暇もない。
敵は、まだまだいるのだ。
エリルアルムは、わき上がる怒りのままに吼え、別の神人に向かって飛んだ。
ウルクの目は、戦場の激変を捉えていた。
彼女自身の目だけではない。
戦場たる空域の各所を飛び回るすべての量産型魔晶人形および魔晶兵器・天地が、彼女の目となり耳となっている。
窮虚躯体の強制同期ほどではないが、肆號躯体にも、同種の機能が搭載されている。それによって一定の範囲内の魔晶人形、魔晶兵器を掌握し、命令するだけでなく、彼女自身の意思で遠隔操作することも可能だった。そして、掌握下にある魔晶兵器、魔晶人形が得た情報を自分のものにすることも容易なのだ。
(巻き込まれたのは十五機か)
それは、一斉砲撃時、その射線上にいた魔晶人形と魔晶兵器の総数だ。分けると、魔晶人形が十機、魔晶兵器が五機、それぞれ神威砲の直撃を受けている。しかしながら、破壊されたわけではない。量産型魔晶人形も魔晶兵器・天地も、どちらも強固な装甲に護られている上、波光防壁で自身を包み込むことが可能だからだ。
ただし、無事である、ともいえない。
神威の影響を受けるのは、人間を始めとする生物だけではないのだ。無生物さえ、神威の影響によって変容する。
結晶化がそれだ。
主に結晶化する植物は生物の範疇にあるが、無生物もまた、結晶化する。
そして、神威砲の射線上にいた十五機は、ウルクの掌握下から離れてしまっていた。それがなにを意味するのかというと、簡単なことだ。機能停止状態に陥るよりも酷い状況にある、ということであり、破壊されたという情報が入ってこない以上、考えられるのはひとつしかない。
結晶化したのだろう。
それも瞬く間に、だ。
神威砲に巻き込まれた人間や皇魔が一瞬にして神化し、神兵となったのと同じように。
全八十機のうち、十五機が結晶化し、使い物にならなくなったのは痛いが、いまは、それで済んで良かったと考えるしかない。
なにせ、連合軍全体の戦力低下が著しいのだ。
三位結界の消滅は、三界の竜王による加護を失うのと同義だ。
それがなにを意味するのかわからないウルクではない。




