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第三百十八話 いつもの光景

 ロンギ川の川辺には、森が横たわっている。

 川辺というよりも、街道沿いといったほうが正しいのかもしれない。街道の南部一帯を覆う森が川の付近まで進出してきているといった具合であり、川遊びで疲れたひとびとが日除けに利用することも少なくはなかった。

 あざやかな夏の光が、森の影をより深く、より濃いものにしている。川辺ということもあってか、常に風が吹き抜けており、暑さを逃れ、涼むにはちょうどいい場所だったのかもしれない。

 実際、木陰に地面に敷物を広げ、涼みながら川遊びに興じる子どもたちを眺めるひとも少なくはなく、川辺も森側もいつにない賑わいを見せていた。

 そんな喧騒の中にあって、ミレルバス=ライバーンが目を留めたのは、森の闇の一点だった。

 集団から離れた一点に、ひとりの男が立っている。まるで幽鬼のようだと彼が思ってしまったのは無理もなかった。

 影の中でも浮き上がるような青白い肌と爛々と輝く双眸が、その男がただものではないことを示していた。

 その男は、水遊びをしに来たわけでもないのだろう。ましてや、川遊びに興じる子供の保護者という風でもなく、また、だれかに連れられてきたという感じもなかった。

 くたびれた衣服は泥にまみれているように見えたし、痩せ細った体はろくに食事もしていないように思われた。だが、男は、自分の状況など意に介していないかのように川の流れを見、そして、こちらを見た。

 ミレルバスの視線に気づいたのかもしれない。

 ミレルバスは妹に手を引かれ、川の中ほどまできていた。川幅は広く、川岸の様子などはっきりと見えるはずもない。

 それなのに、ミレルバスは男の顔の造作まで脳裏に思い浮かべることができるような気がした。きっと気のせいだろう。そこまではっきりと見えるほどの距離ではなかった。

 男がこちらを見て、どのような表情をしたのかもわからないが、男が森の中に消えていったのはミレルバスの視線が気に食わなかったからかもしれない。

「お兄様?」

「あ、ああ……なんでもないよ」

 妹のあどけない顔を見下ろしながら、ミレルバスはわけもなく胸騒ぎを感じたものだった。



 瞼を上げると、魔晶灯の冷ややかな光が視界に突き刺さるかのようだった。鋭い痛みに思わず目を閉じる。

 再び生じた暗闇の中で苦い顔をすると、彼は小さく息を吐いた。

 夢を見ていたらしい。

 懐かしい日々を彩る美しい情景。川のせせらぎに、照り輝く水面は、彼の少年時代の中でも特にまばゆいものだ。

 数少ない家族との触れ合いは、色あせた日々の記憶の中で、わずかばかりに残光を放っている。天輪宮での日常は、酷くくすんで思い出せもしない。

 不意に郷愁に襲われるのだが、この龍府こそが自分の故郷なのだと思い出して苦笑する。龍府で生まれ、龍府で育ち、そして龍府で死ぬのだろう。多くの国主がそうであったように、だ。

 先の国主、悪名高いマーシアス=ヴリディアですらそうだった。ザルワーンの中心たる龍府に生まれたものだけが国主たる資格を持つ。

 建国の昔から定められた掟であり、ザルワーンをザルワーンたらしめるものなのだと信じられた。

 血統主義で塗り固められた五竜氏族という特権階級が龍府に居を構えているのも、その呪縛めいた掟によるところが大きいのかもしれない。

 龍府を離れれば、その魔法が解けるかもしれないと危ぶみ、恐れていたのかもしれない。

 だから五竜氏族は、龍府という古びた楽園にしがみつき、狭い世界から広い天地を支配しようとしたのだろう。先代の国主がそうであったように。さらにその昔の国主たちがそうであったように。

 いつ崩れ去るともしれない机上の空論を積み重ね、近隣諸国の情勢に一喜一憂していたのが、歴代の国主たちであり、五竜氏族だ。

 元より周辺諸国より一回り広い国土を持ち、多大な軍事力を誇ったが故に、ザルワーンという国の意識は膨張し、思考は緩慢になっていたのかもしれない。

 やがて、末端の兵士たちまで繋がるはずの神経さえも鈍り、内臓は腐敗し、壊死しようとしていた。

 音もなく壊れていくとはこういうことなのだと、青年期を迎えた彼は、他人事のような面持ちで見ていたものだ。結局、ミレルバスの思考も、五竜氏族の人間らしい腐ったものだったのかもしれない。

 彼と再会するまでは、そうだった。国が腐敗していく様を間近で見ているだけで、なにもしようともしなかったのだ。実害がなかった、というのもあるのかもしれない。

 マーシアスの暴政の魔手は、まだ、五竜氏族には及んではいなかったからだ。

 安寧があり、平穏があった。

 少なくとも、ライバーン家とその周囲には。

 目を開くと、今度は痛みを感じることはなかった。頭上から降り注ぐ魔晶灯の光に多少は慣れたからだろう。

 見上げると視界に飛び込んでくる大型の魔晶灯は、過度に飾り立てられており、ここがザルワーンの首都龍府の中枢であり、権力の中心であるということを思い知らせるかのようだ。

 豪奢なのは魔晶灯だけではない。ライバーン家の質素さとは正反対の豪華さは、彼の意向とは関係のないことの現れだった。

 天井、壁、床に至るまで、目に痛いほどの飾り付けが施され、傲慢な王の居室には相応しいものだといえた。

 龍府天輪宮泰霊殿・主天の間。

 龍府の中心に聳える巨大な建造物の、まさに中枢に位置する空間だ。あらゆる意味でザルワーンの中心といっていい。

 国主と、国主に許されたものだけが立ち入ることのできる場所であり、多くの人間にとっては神聖不可侵の領域だった。

 彼は、玉座に腰を下ろし、肩肘をついていた。群れ集う数多の龍があしらわれた玉座は、ザルワーンの国主として相応しいものだとして、先の国主マーシアスがみずから設計したものだ。

 設計しただけではなく、材質などもすべてマーシアスが選び抜いたものであり、独裁者たる彼のやり方を象徴するかのようだ。だれも彼に口出しできない。だれも彼を諌めようとはしない。

 彼はザルワーン建国以来、はじめての絶対者であったのかもしれず、彼の長きに渡る独裁政権は、ザルワーン全土に深い傷を刻みつけたのだった。

 そんな暴君の遺した玉座に座っているのは、自分の立場を確認するためではない。おどろおどろしい見た目とは裏腹に、座り心地は悪いものではなく、ひとりで考えごとをするにはちょうどいい感覚を与えてくれるのだ。同時に、彼のようにはなってはならないという戒めでもある。

 もっとも、と彼は考える。

 ミレルバスがマーシアスのように権力を振るい、ザルワーンを我が物にしていたのならば、こんな事態にはならなかったのではないか。政治も軍もすべてを支配し、末端に至るまで、彼の思い通りに動かすことができたならば、ガンディアの進撃など許しはしなかっただろう。

 そう思う。

 が、そんな簡単なものではないのだということもわかりすぎるくらいにわかっている。すべてを思うがまま支配し、操ったところで、ミレルバス一個の脳では考えられることなどたかが知れている。

 軍事にさほど詳しくもない人間が戦争の指揮を取るなど、愚かな話でもある。戦いなど、セロスたちに任せておけばいい。そのための神将であり、龍眼軍なのだ。

 嘆息する。

 そうしたところで、結果は変わらなかったのかもしれない。

 ガンディア軍が電撃的にナグラシアに攻め寄せ、あっという間に陥落させたのは九月八日のことだ。それから五方防護陣に迫られるまで、二十日もかかっていない。

 なんという進軍速度なのだろう。

 思い返すたびに信じられないという面持ちになるのだが、それが現実だということもわかっている。だからこそ、絶望的な気持ちにもなるのだ。

 果たして、勝てるのだろうか。

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