第三千百八十七話 消滅(二)
「やはり北東方面の戦況があまり良くないように想われます」
ナルフォルンが不安視するほどの戦況には思えず、レオンガンドは、彼女を見た。目を閉じた彼女は、その状態で世界中の戦場を見て回っているのだ。
ナルンニルノル・神皇の座。
「そうか」
「戦力では上回りつつありますが、北東方面には……“竜の庭”には三界の竜王が勢揃いしている上、彼もおります故、戦局が覆る可能性は決して低くはありません」
「では、軍神ナルフォルンよ。そなたならばどうする」
レオンガンドは、彼女に問うた。ネア・ガンディアの軍事の一切を取り仕切る神将たる彼女のことを、軍神と呼ぶものは少なくない。レオンガンドが長い眠りについている間、ネア・ガンディア軍の戦略、戦術を一手に担っていたからだ。
まるで軍事を司る神のようである彼女は、神々以上に戦いのことを知っていた。
「陛下に直接動いて頂くのが最適解かと」
「わたしに動け、と」
「はい」
「それが最上の策というのであれば、良いだろう。して、どのように動けばよい?」
「三界の竜王が築き上げた結界。これを取り除いて頂く。それだけでよろしいかと」
「それだけ、か?」
「はい」
「ふふ、随分と気軽にいってくれるものだ」
レオンガンドは、ナルフォルンのそういうところが気に入っていた。人間時代から、そうだ。心底臆病者で、戦場に立つこともままならないくらいの小心者の癖に、練り上げた策を上申する場合や、指示を下すときとなると、あまりにも堂々としていた。
王を前にしても一切怖じることのないその姿は、軍師の後継者に相応しいものであり、ナーレス=ラグナホルンの面影があった。
とはいえ、だ。
「三界の竜王が力を合わせて作り上げた結界なのだろう?」
北東大陸南西部沿岸地帯において、北東方面制圧艦隊が立ち往生しているのは、三界の竜王が紡ぎ上げた強力無比な結界があるせいだった。その結界は、艦隊の一斉砲撃を防いだだけでなく、神々や飛翔戦艦、大型飛翔船の侵入を阻んでおり、全戦力を展開することができなくなっているのだ。
それ故、北東艦隊が投入できる戦力は、神軍や聖軍くらいのものであり、数の上で押していても一抹の不安を覚えるというナルフォルンの考えもわからなくはなかった。
圧倒的物量差を覆す英雄の存在を知らぬレオンガンドではない。
しかし、だからといって、三界の竜王が紡ぎ上げた結界をそう易々とどうにかできるものなのか、どうか。
できないからこそ、艦隊は立ち往生しているのではないのか。
「はい。しかし、陛下ならば、獅子神皇ならば、その程度容易く掻き消せるのではありませんか?」
「……やってみよう」
ナルフォルンが戦術として提案してきた以上、レオンガンドとしてもそれに乗らざるを得ない。
そして。
「存外、呆気ないものだな」
レオンガンドは、北東大陸南西部沿岸地帯を覆っていた結界を消し去り、苦笑するしかなかった。言葉通りだ。余りにも呆気なく、容易い。
「やはり、陛下の御力は、三界の竜王をも遙かに上回っていたようですね」
「うむ。どうやら、そのようだ」
「創世回帰もおそるるに足らず、ということですかな?」
「それは、どうかな」
ナルドラスの意気揚々とした発言に対し、レオンガンドは眉根を寄せた。
「創世回帰は、イルス・ヴァレが用意した自浄作用のようなものだ。この世界を存続せ、延命させるための最終手段といっていい。そればかりは、さすがのわたしにも防ぎきれるものではない」
だからこそ、三界の竜王が勢揃いするような状況を作るべきではないのだ。三界の竜王は、殺しても死なない。滅ぼすことのできない、不滅の存在だ。ただし、肉体的な意味では死を迎える。転生し、新たな肉体を得ることで、死をなかったことにするのだ。
つまり、三界の竜王が揃うことを阻止する方法はあったということだ。
一柱の竜王を殺し、転生させる。生まれ変わったばかりの竜王を再び殺せば、また転生を行わざるを得なくなる。
それを繰り返せば、三界の竜王が勢揃いすることはなくなり、創世回帰を封じることができたはずだ。
が、それもいまや昔の話であり、いまや三界の竜王が一堂に会している。そうである以上、いつ創世回帰が行われたとしても不思議ではないのだが、その前兆はない。
もしかすると、三界の竜王は、創世回帰を禁じ手としているのではないか。
でなければ、勢揃い早々に創世回帰を行い、世界を滅亡の可能性から救ったはずだ。
それが、三界の竜王の役割なのだから。
しかし、それをしなかった。
三界の竜王は、本来の役割を放棄しているといっても過言ではないのだ。
であれば、恐るるに足りない。
「三界の竜王は、もはや我が敵ではないがな」
レオンガンドは、遙か北東の戦場を見遣り、艦隊が動き出す様を見届けた。
戦況は変わる。
当然、ネア・ガンディア側の圧倒的有利へ。
突如、目の前に聳えていた結界が消失したことは、イルトリにとっても驚くべきことだった。
おそらく三界の竜王が協力して張り巡らせたのであろう強力無比な結界は、艦隊の一斉砲撃すらも無力化し、神々の侵入のみならず、艦隊の侵入すらも阻んでおり、イルトリ率いる北東方面制圧艦隊が攻めあぐねる一因となっていた。
それでも戦況は決して悪いものではない。
むしろ、数の上ではこちらが圧倒しており、さらに増援を送り込むことで勝利を掴み取ることも難しくないというような状況だった。
アルガザードを始めとする飛翔戦艦や大型飛翔船には、ナルンニルノルと繋がる転送機構が搭載されている。転送機構を用いることで、ナルンニルノルから運搬してきた以上の戦力を戦場に送り込むことができるのだ。ナルンニルノルには、無尽蔵の神兵がその出番を待ち続けている。それらを戦場に転送することに関しては、なんの制限もなかった。
艦隊指揮官にすべて任されている。
故にイルトリは、敵軍を圧倒するだけの数の神兵を本国より転送し、戦場に投入し続けているのだ。
そうすることにより、北東大陸の戦局は、間違いなくイルトリに傾いてきていた。
艦隊の半分を失うという大損害を出したものの、このまま戦いを進めることができれば、北東大陸の敵戦力を殲滅し、獅子神皇に勝利を捧げることも不可能ではない。
厄介なのは三界の竜王と神々、そして魔王の杖の護持者だが、それらとの決戦の前に敵戦力を根絶やしにするのだ。
それだけで、勝利に近づく。
そう考えていた矢先だった。
『結界が消えたようだが』
「陛下の御業ならば、当然のこと」
イルトリは、動揺を隠しながら、いった。
三界の竜王の結界が消失したのは、まず間違いなく敵側の問題ではあるまい。自軍の動きが影響している。となれば、考えられるのはひとつしかない。
獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアが動いたのだ。
獅神天宮ナルンニルノル・神皇の座に在りながら、力を動かした。
ただそれだけで、イルトリたちが触れることもままならない竜王結界を消失させてしまったのだから、神々も言葉を失うしかない。
獅子神皇の実力に関しては、疑いようもなかったし、絶対に逆らえない存在であることは認識していた。
が、それにしても、だ。
(なんともはや)
賞賛することすら憚られるような圧倒的な力を目の当たりにして、イルトリは、目を細めた。
獅子神皇に刃向かうことの愚かしさが、身に染みてわかろうというものだ。




