第三千百七十六話 三位結界の攻防(七)
「……そういや、マリク様はどうなったんだ?」
セツナが疑問をぶつけたのは、ラグナに対してだったが、返答はまったく別の場所からあった。
『ぼくのことを心配してくれるのかい?』
マリク神の声が、通信器越しに聞こえてきたのだ。
「無事……なんですね?」
『うん、もちろん。ぼくは神様だからね』
マリク神は、茶目っ気たっぷりに言い放ってきたものの、その声音はどうにも苦しそうだった。
『そうはいっても、それなりに大変だけど』
通信器越しに聞こえてくるのは、物凄まじい轟音であり、マリク神の声が聞こえにくいのはそういった音に妨害されているからのようだ。
まるで、戦場の真っ只中といった様子であり、セツナは、自身の胸に手を当て、マリク神に通じる扉を開いた。
マリク神の視界が、脳裏に開いていく。
リョハンを敵艦隊最大の戦艦にぶつけるという荒技を行ったのは、ほかに方法がないと判断したからだ。
空中都市リョハンは、太古の空中都市群の一部だ。記録によれば、空中都市群には地上を制圧するための攻撃兵器を備えており、それら攻撃兵器がその性能を最大限に発揮したならば、空中都市群とその住民こそがこの天地の支配者となっていた、と、推測される。
それだけの聖圧力を持った攻撃兵器は、しかし、リョハンにはまったくといっていいほど備えられていなかった。
リョハンは、リオ・フ・イエンの居住区画に過ぎなかったのだ。そんな区画が綺麗に撃ち落とされ、山に突き刺さったのが、リョハンの始まりだった。
そんなリョハンの機能をどれだけ解放したところで、戦闘能力を備えることなど不可能だった。
とはいえ、居住区画だけあって防御面ではなんの問題もなく、マリクの力を合わせることでより鉄壁の防御力を得ていたことは、敵艦隊の一斉砲撃を真正面から耐え抜いたことでも明らかだろう。その防御力の高さ故、敵艦隊を引きつけ続けるという役割を果たせなくなったのは想定外の出来事ではあったが。
リョハンに攻撃兵器は存在しないが、マリク自身に攻撃手段がないわけではなかった。
神威を用い、攻撃する方法ならばいくらでもあるのだ。
神威によって事象変化を起こせば、まるで魔法のようなことだって起こせる。奇跡そのものといっていい。その奇跡の力で攻撃するのだ。
とはいえ、それだけで敵艦隊がどうにかなるとは考えにくかった。
実際、マリクは、艦隊の追跡を開始して早々に差し向けられた飛翔船に対し、攻撃を行っている。それら攻撃は、飛翔船の装甲を貫くどころか、防御障壁さえ打ち破ることができないくらいにか弱いものであり、やはり、マリクだけでは、リョハンを護りつつ敵艦隊を攻撃するというのは、至難の業というほかなかった。
リョハンが完全無欠の防御力を誇るのは、マリクが防御に専念しているからだ。マリクの七体の分霊たちを用いた七霊守護結界。そこに重点を置き、多大な力を割いているからこその鉄壁の防御力であり、そうである以上、攻撃に避ける力とは微々たるものだ。
それでは、どうやって敵艦隊の合流を防ぐため足止めしようというのか。
マリクには、ひとつの考えがあり、その実行のためにこそ、彼はリョハンを急がせた。敵飛翔船による集中砲火をものともせず、ただひたすらにまっすぐ進む。
彼の目論見とは、リョハンによる指揮艦への体当たりだ。リョハンほどの大質量の物体が、膨大な神威を纏って突貫すれば、さしもの飛翔戦艦も無傷ではいられまい。大打撃、いや、大破間違いなしであり、神威と神威の衝突が、必ずや大爆発を起こすだろう。
そして、マリクの思惑通りの結果となった。
リョハンは、次第に増加していく集中砲火を浴びながら、まったく減速することなく、それどころか加速する一方で敵艦隊に追い着き、ついには指揮艦と思しき飛翔戦艦が振り向く様を目の当たりにした。その飛翔戦艦の艦首がこちらに向き、神威砲が火を噴こうとした瞬間、マリクは、リョハンを最大限に加速させ、体当たりをぶちかまして見せた。
鉄壁の防御力は、その瞬間、絶大な攻撃力へと変わった。
リョハンの大質量は、飛翔戦艦を艦首から粉砕し、その巨大な機構をつぎつぎと破壊していった。その最中に神威が爆発を起こし、爆発に次ぐ爆発の連鎖が飛翔戦艦全体を包み込むと、とてつもなく大きな爆発が巻き起こった。神威の大爆発。おそらく飛翔戦艦に内在していた神威がすべて爆発したのだろう。
その空域に存在するすべての飛翔戦艦、飛翔船を巻き込むほどの大爆発は、時空をも歪めるほどの超威力であり、周囲に起こった誘爆を含め、リョハンが耐えきれるものではなかった。
強化した七霊守護結界すらも無意味にするほどの大爆発。
想定していた以上の威力であり、さすがのマリクも肝を冷やすほどのものだった。
爆発に次ぐ爆発が文字通り天地を震撼させ、周囲の空間を歪め、時間の流れさえも狂わせ、次元に穴を空けるのではないかと思えるほどの威力を発揮する中、彼は、自身の存在が消滅していないことだけを確認し、その痛みを耐え抜いた。
爆発が終われば、瞬時に自分が置かれている状況を確認し、把握する。
敵艦隊は、リョハンともどもに消滅した。
なにもかもが跡形もなく消し飛び、残骸ひとつすら残らなかった。
それほどの爆発だったのだ。
(ごめんね、ファリア)
彼は、艦隊の大爆発とともに消滅したリョハンを想い、いまは亡きファリア=バルディッシュに心の底から謝った。
(約束、護れなかったよ)
リョハンのことを頼まれたというのに、そのリョハンを消滅させてしまったことは、彼女との約束を反故にしたということにほかならない。
その事実が胸を苦しめるが、いまは、彼女との約束のことにばかり気を取られている暇も無い。
艦隊は、リョハンともども消滅した。一隻残らず、完全無欠に。
空域の歪みはいまだ是正されていないが、世界が修復するだろう。それまでにしなければならないことは、生き残ったものたちへの対処だ。
艦隊は消滅しようとも、艦隊の神々は生き残っている。
マリクと同じように。
神々が敵軍本隊に合流すれば、リョハンの犠牲が無駄となる。
なんとしてでも、この場に引き留めなければならない。
マリクは、時空の歪みに囚われたままの神々を認識すると、即座に行動した。
七霊守護結界を応用した拘束手段、七霊縛鎖陣。
七体の分霊から放たれる神威の鎖が神々を絡め取り、拘束するのだ。
それによって神々をこの場に留め置き、敵戦力を分断する。
それが、いまの彼に出来るたったひとつの戦い方だ。
「まったく、余計なことをしてくれたものですね」
怒りに満ちた声は、七霊縛鎖陣を構築した直後のことだった。
声のした方向を見遣れば、夜空の下、光り輝く神がいた。七霊の縛鎖に囚われた神は、美しい容貌を忌々しげに歪めている。女神だ。金属の車輪のような光背がその性質を現しているのだろうが、よくわからない。
「漂流神風情が」
「そんなこと、異世界の神様にいわれたくないんだけど」
マリクは、苦笑交じりに告げた。力を求めて召喚に応じた挙げ句、世界に縛られ続けている異界の神に、とやかくいわれる筋合いはない。
「さっさと元の世界に還りなよ」
「黙りなさい」
「黙らないよ。それがぼくだからね」
マリクは、意地悪く言い切ると、女神の美しい容貌が激情に歪む様を見ていた。
敵は、その女神だけではない。
艦隊と行動を供にしていた神々を彼と分霊たちで引き留めておかなければならないのだ。
簡単なことでは、ない。




