第三千百六十六話 幕、上がる(二)
空中都市リョハンの中枢部には、マリクのみがいる。
いや、空中都市リョハン全体を含めても、マリクのみだけが、残っている、というべきか。
リョハンの一般市民も、戦闘要員も全員、この空中都市を降りてもらっていた。
リョハンでもって陽動作戦を実施する以上、だれひとりとして置いておくわけにはいかなかった。それでは、全力で敵の的になるという彼の作戦が実行できないからだ。
リョハンは、ネア・ガンディアにとって因縁の深い都市だ。
何度となく軍勢を繰り出し、そのたびに撃退されている。
ネア・ガンディアがリョハンに拘った理由のひとつは、リョハンが武装召喚術の総本山であり、多数の武装召喚師を抱えていたからだろう。世界有数の戦力を誇るリョハンを放っておけば、反ネア・ガンディアの温床となり、中心となりかねない。
故に制圧し、ネア・ガンディアに取り込むか、撃滅するべきである、と、彼らが考えたのだとしてもなんら不思議ではなかったし、そのために度々軍勢を差し向けてきたのは、当然の結果だと思えた。
それらネア・ガンディアの軍勢を退けてこられたのは、幸運というほかあるまい。
毎度毎度、援軍のおかげで絶望的な状況を潜り抜けてきた。
もし、援軍がなければ、最初の戦いで敗れ去っていた可能性がある。
その場合、リョハンは滅ぼされることなく、ネア・ガンディアに取り込まれていたのだろうが。
幸運にも生き延びてきたリョハンが、その本来の姿を現したのは、つい最近のことだ。
太古の空中都市群、その一部が、機能を停止した状態で眠りについていたのがリョハンであり、マリクがその機能を再起動したことで、都市は空を飛んだ。
それは、ネア・ガンディアの軍勢から逃れるための手段として活用されることとなり、逃げ続けることも不可能ではない、と、マリクは考えていた。
しかし、だ。
逃げ続けた先に未来はないのも確かだった。
リョハンだけが生き延びたところで、世界全土がネア・ガンディアのものとなれば、その暁にリョハンの未来は闇に閉ざされるだろう。
いや、そもそも、果たしてネア・ガンディアが世界全土の掌握に興味を持っているのかどうか、という疑問がある。
ネア・ガンディアの支配者は、獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアだ。
彼こそは、聖皇の力の器である、と、セツナはいった。
聖皇ミエンディアの力を引き継いだ存在であり、世界を滅ぼしうる力を持った獅子神皇が、果たして、世界全土を統治することを望むのか。
実際、獅子神皇は、その絶対的な力で以て世界を破壊している。
獅子神皇にその気が無くとも、軽く力を解き放つだけで甚大な被害が生じ、数多の命が奪われることは、だれの目にも明らかだ。
獅子神皇を放って置くことなど、できるわけもない。
それは、この世界の未来を閉ざすということだ。
故に、セツナは、ネア・ガンディアの打倒と獅子神皇の討滅を掲げ、世界中から戦力を集めようとしていた。
神々の王と神々の軍勢を打倒しようというのだ。
生半可な覚悟と戦力では、足りない。圧倒的に足りないのだ。
そうして戦力を集めている真っ只中、ネア・ガンディアが動き出したものだから、たまったものではない。まだ、ネア・ガンディア打倒に相応しい戦力を確保できてなどいないというのに、だ。
敵は、待ってはくれなかった。
(当然のことだけれど)
こちらの都合を見て動いてくれる敵などいようはずもない。
が、それにしたって突然過ぎやしないか、と、愚痴りたくなるようなネア・ガンディアの動きだった。
突如として本拠地を飛び出した大艦隊が、いまや、東ヴァシュタリア大陸を目前に捉えている。
大艦隊。
これまでマリクが目の当たりにしてきたどの飛翔船よりも巨大な飛翔船を中心に、大小無数の飛翔船が隊伍を組み、夜空に陣形を組んでいた。
降り注ぐ星明かりよりもまばゆい光の翼が、無数に空を舞っている。
それはさながら、大いなる天使の群れの如くであり、圧倒的としかいいようのない光景だった。
それら大艦隊を挑発するべく、彼は、リョハンを大陸南西の海上に突出させていく。
ネア・ガンディアにとって不愉快極まるリョハンの存在を大いに主張することで、敵戦力を集中させようというのが彼の狙いだった。
そのためにリョハンに住むひとびとを“竜の庭”に降ろし、武装召喚師たち戦闘要員も降ろしたのだ。
ニュウ=ディーは、残りたがったが、致し方のないことだ。
リョハンは、この戦いを無事に乗り切れるとは約束できない。
なぜ、彼がこうまでリョハンを突出させるのかといえば、敵軍の注目を集め、引きつけるためだが、それこそリョハンの防御力に自信があるからだ。
元々、リョハンは、マリクとその七体の分霊によって紡ぎ上げられた強靭な守護結界に包まれていた。並大抵の攻撃ではびくともしない結界は、“大破壊”の影響や余波からもリョフ山を守り抜き、度重なる攻撃からもリョハンを護ったものだ。
リョハンが空を飛ぶようになり、守護結界の精度は高まった。
というのも、守護結界で護る範囲が狭くなったからだ。護る面積が狭くなった分、防御力を高めることができたのだ。
さらにリョハンの機能を調査するうちに、いままで知る由もなかった機能を発見した。その機能を用いれば、守護結界の防御力を何倍にも引き上げることが判明すると、マリクは、機能の復活と拡張に全力を注いだ。
リョハン防御力が上がるということは、リョハンのひとびとをより安全に護ることができるだけでなく、今後の戦いにも利用できるかもしれない。
その考えは、当たった。
鉄壁の防御力を誇るリョハンは、ネア・ガンディアの大艦隊を引き受けるに足るはずだ。
(あとは、セツナたちが上手くやってくれるはず)
そう、彼は信じている。
信じるほかない。
リョハンとマリクができることといえば、鉄壁の防御力を利用して、敵軍を引きつけることだけだ。それだけでは、敵軍の数を減らすこともできないし、リョハンが攻撃に転じようものなら、その瞬間、撃墜されることはいうまでもない。
リョハンに攻撃能力がないわけではない。
が、攻撃機能を用いるには、防御機能を抑える必要があり、となれば、敵艦隊の的になっているであろうリョハンが沈むのは目に見えている。
リョハンにできることといえば、敵軍を引きつけること、ただそれだけなのだ。
敵艦隊への攻撃は、セツナたちや“竜の庭”の戦力に任せるほかなく、マリクは、彼らの奮闘と勝利を願うしかなかった。
しかも、だ。
(そうか)
マリクは、遙か前方に浮かぶ敵艦隊が、ふたつの艦隊に分かれていく様を目の当たりにして、苦い顔をした。
艦隊のひとつは、リョハンに向かってくるようなのだが、もうひとつの艦隊は、大陸を目指しているようだった。
敵も、考えている。
リョハンの存在だけでは、敵艦隊のすべてを引きつけることはできなかったのだ。
その時点で、この策は失敗に終わった――というわけではない。
敵戦力の半数でも引き受けられたのだ。
全戦力が大陸に向かうよりは、余程ましといっていい。
とはいっても、大艦隊ではあった。
ふたつに分かれてもなお、大艦隊は大艦隊なのだ。
ネア・ガンディアがこの地の制圧に主戦力を差し向けてきたのは、疑いようもなかった。




