第三千百五十八話 神慮(一)
ミドガルド=ウェハラムは、現在、ふたつの顔を持っている。
ひとつは、ミドガルドとしての顔だが、これを知るものは少ない。
もうひとつは、神聖ディール王国魔晶技術研究所長ミナ=カンジュとしての顔であり、こちらを知るものもまた、決して多くはない。
王妃アナスタシア・レア=ディールおよび王子アレグラス・レウス=ディールの連名によって任命されたとはいえ、ミナ=カンジュとしてディライアに留まった時間は短く、その時間もほとんど会議に費やし、残った時間もアナスタシアとの想い出語りに消費されたからだ。
無論、新たな魔晶技術研究所の所長として、ミナ=カンジュが任命されたことは、国中に通達されることだろうが、いまはまだ、それを知るものはほとんどいないだろう。
魔晶技術研究所は、“大破壊”以来、ディライアと連絡を取らなかった。“大破壊”によって壊滅した魔晶技術研究所には、まったくの人手がなかったこともあるが、それ以上に、エベルを別の意味で刺激するような真似をするわけにはいかなかったからだ。
魔晶城の動きは、エベルにはほとんど筒抜けだったとはいえ、エベルが泳がせてくれている間は、その思惑通りに動いているほうが理に適っていた。エベルを無理に刺激して、こちらの計画が整う前に魔晶城を攻撃されるようなことだけはあってはならない。
故に魔晶城は沈黙し、外界との繋がりを絶っていた。
一方で、ディライアからも魔晶技術研究所と連携を取ろうとしなかったが、こちらは、エベルの思惑だろう。
“大破壊”から今日に至るまでのルベリスの命令を調べると、エベルが“大破壊”によって大きくふたつに引き裂かれた聖王国領を再度統治するべく動いていたようであり、各都市との連絡を回復し、聖王国臣民の安全の確保と治安の維持、秩序の安定化のため、全力を挙げるよう厳命していた。
そんな中にあって魔晶技術研究所の所在地である辺境地帯は、“大破壊”の影響を受けて大きく変化しており、迂闊に近づくべきではない、と、強く命じていたため、ディライアが魔晶技術研究所の有り様に気づくこともなければ、魔晶城の存在を知ることもなかったようだ。
エベルの絶対的な支配下に在っただろう当時の聖王国の人間が、聖王の命令を無視して動くことなどできるわけもなく、故に魔晶城は、静寂の中で魔晶兵器や魔晶人形の開発と量産に専念することができたわけだ。
それは、戦力を限りなく欲するエベルの思惑と、対エベル用決戦兵器を極秘裏に開発していたミドガルドたちの思惑が、図らずも合致していたということであり、エベルはみずからの思惑によって滅びた、という見方もできるのだ。
実際、エベルがその気になれば魔晶城を滅ぼし、ミドガルドたちを滅ぼすことなど簡単なことだったのだ。
だが、それをしなかった。
ついにエベルが手を下したのは、魔晶城の戦力が充実してからのことであり、エベルの目標に到達したからなのだろう。そして、エベルはミドガルドを演じ始めたのだが、それは、ミドガルドの遺産とも呼べるウルクを破壊し、また、ウルクが連れてくるであろうセツナを殺すためだった。
エベルの思惑は、ほとんどが叶いながらも、結局のところひっくり返されてしまったのだから、神であれ何事も欲張るべきではない、という教訓となったのではないだろうか。
ミドガルドの同志たる神々も、エベルが滅びたことで、考えを大きく改めたようだった。
それは、ともかくとして。
ふたつの顔を持つミドガルドは、両方の要望を満たすために、魔晶城の大改造を行っている。
ミナ=カンジュとしても、ミドガルド=ウェハラムとしても、魔晶兵器の大量生産は必要不可欠なのだ。
ミドガルド本人としての望みとは、もちろん、セツナたちの決戦がための戦力を提供することであり、そのために多数の魔晶兵器、魔晶人形を量産しなければならない。
ミナ=カンジュとしても、聖王国の戦力を確保するため、魔晶兵器、魔晶人形の量産が必要だった。
ディライアの治安維持は、ルヴェリスによってエベル製量産型魔晶人形が執り行うことになっていたのだが、エベルが斃れたことで動力の供給が絶たれ、すべての魔晶人形が機能停止に陥ってしまっていた。それによって一時的に大きな混乱に陥ったといい、ミナ=カンジュには、早急にディライアに大量の魔晶人形を送り届けるよう、厳命されていた。
また、聖王国はマユリ神軍への協力を約束しており、それは、魔晶技術研究所が製造した兵器の提供という形で果たされることになっており、そのためにも兵器の量産を急がなければならなかった。
とにかく、大量生産だ。
多種多様な魔晶兵器に量産型魔晶人形、そして、魔晶船。
魔晶船の大量生産は不可能に近いが、一、二隻程度ならば生産可能だろうという判断から、建造に踏み切っている。大量生産した兵器をセツナたちの元に届けるためにも、運搬手段が必要だったということもある。また、魔晶船自体、戦力としても数えられるため、数隻は建造しておきたかった。
そのために魔晶城を大改造したのだが、その際、ミドガルドは、新たな同志を得ている。
同志とは、人間ではない。
ラダナス神、フォロス神、ミュザ神同志同様、ネア・ガンディア誕生と同時期に野に下った神々であり、元々至高神ヴァシュタラの一部となっていた神々だ。
ディオス神は、縦に長い頭が特徴的な老人の姿をした男神であり、叡智を司るという。
アグナダ神は、常に活気に満ちた少年のような男神であり、姿も少年のようだった。
ヴァディース神は、女神であり、虹色の衣を纏う淑女の如き姿は、同志の中でも特に美しいといっていい。
いずれもヴァシュタラとして合一していただけあり、元々の同志たちともすぐさま打ち解けたようだった。
なぜ、野に下り、姿を隠していた神々がいまさらになって現れ、ミドガルドに協力を申し出てきたのかといえば、やはり、エベルを討ち滅ぼしたことが影響していた。
数多の神々が合一を果たし、至高神ヴァシュタラとして動き出したのは、二柱の大いなる神エベルとナリアに対抗するためであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
エベルにせよ、ナリアにせよ、数百の神が合一してようやく対等になれるだけの力を持っていたということであり、それだけの力を持った神を討ち滅ぼすことなど、そう簡単にできるわけがなかった。
魔王の杖の護持者たるセツナの力を借りても、まだ足りない。
様々な策を弄し、手練手管を尽くして、ようやく討滅に至ったのは、記憶に新しい。
その戦いぶりを見ていたディオス神は、アグナダ神、ヴァディース神を誘い、ミドガルドの元へ姿を現したのだ。
そんな新たな協力者、新たな同志の出現によって、ミドガルドの計画は加速度的に盛り上がっていった。
魔晶城の大改造に費やした時間はわずかばかりだが、それも六神の力を以てすればこそであり、ミドガルドは、神々の御業を目の当たりにして、ただただ感嘆するのみだった。
神々はやはり神々だ。
人間とは、比べものにならない力を持っていて、それが様々な奇跡を描き、具現する。
ミドガルドはもはや人間ではないとはいえ、神々に遠く及ばない。それどころか、並び立つこともできない。
しかし、神々は、そんなミドガルドを丁重に扱い、尊重してくれるものだから、ますます神々への感謝は深まるのだ。




