第三千百五十四話 天啓(一)
ディヴノアは、南ザイオン大陸最北の都市だ。東西戦争当時は西ザイオン帝国領土のひとつに過ぎなかったその都市がいま脚光を浴びている。
というのも、ディヴノアに大戦力が結集しつつあったからだ。
統一ザイオン帝国が保有する戦力の大半をディヴノアに結集させつつあるのには、皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンの勅命による。
ニーウェハインがなぜ、ディヴノアに戦力を結集させているのかといえば、大きな理由があった。
天啓。
まさにそうだった。
なにせ、本物の神による啓示があったのだ。
帝国の守護神ニヴェルカインによる啓示は、ニーウェハインをして、帝国の戦力の拡充を促させ、大戦争の準備に駆り立たせた。
ニヴェルカインは、帝国臣民の祈りによって顕現した神であり、神無き世界たるこのイルス・ヴァレにおける唯一無二の神といっても過言ではない。一応、三界の竜王と呼ばれる、古来よりこの世界を見守ってきた神に等しい存在はいるものの、それらは明確に神とは異なる存在だった。
神は、ひとびとの祈りの中に生じる。
そして、信仰するものに祝福を与え、護り、力を貸してくれるものだ。
竜王たちは、信仰者に対し、なんら寄与しないものであり、その時点で、神とは大いに異なる存在だった。
また、異世界から召喚された神々も存在しているし、それらが神として振る舞っていることも知らないわけではない。が、それら異界の神々は、本来在るべき世界への帰還を目的として、この世界のひとびとを利用することに躊躇いもなければ、犠牲にすることさえ問題ないと考えている時点で、本当の神とはいえないのだ。
つまり、帝国はこの世界で唯一、正しい守護神を持つ国といってよかった。
その奇跡の産物たる守護神ニヴェルカインの御業によって、ニーウェハインは、元通りの姿に戻っている。その姿を改めて鏡で見てみれば、セツナに本当によく似ていると思わざるを得ない。育ちの違いの影響か、顔つきが多少なりとも違うようだが、誤差の範囲だろう。
そんなことを彼が思ったのは、随分と前のことだ。
ナリアとの戦いが終わってから、数ヶ月が経過している。
北ザイオン大陸を支配し、南ザイオン大陸をも掌握しようとした邪悪なる女神ナリア。大いなる女神の力は、極めて絶大であり、圧倒的というほかなかった。統一ザイオン帝国が全戦力を結集しても敵わなかったのはいうまでもない。
あのとき、セツナたちがいてくれなければ、帝国は滅亡の憂き目を見ていただろうし、その結果、ナリアによってすべてが支配されていたに違いない。
そうならずに済んだのは、セツナたちが命を張って協力してくれたおかげだ。
セツナたちがいて、ニーウェハイン率いる統一帝国が全力を注いだ。その結果、大いなる邪神は斃れ、帝国は、ようやく落ち着きを取り戻した。
そして、セツナたちが南ザイオン大陸を離れてからというもの、ニーウェハインは、皇帝としての職務に終われる日々が始まった。なにせ、東西に分かれ対立していた大陸をひとつに纏め上げるという作業は、まだまだ終わっていなかったのだ。その大事業を執り行っている最中、ナリアが攻め込んできたがため、一時中断しなければならなかった。
帝国の最盛期に比べれば、半分程度の領土でしかないものの、それでもひとつに纏め上げるというのは簡単なことではない。
骨が折れるし、休む暇もない。
無論、ニーウェハインひとりの仕事ではなく、数多くの家臣たちが彼の手足となって動いてくれるよう手配するのが、彼の主な役割だった。
そうして南ザイオン大陸が完璧に統一され、秩序が安定した暁には、北ザイオン大陸の様子を見に行くというのが、ニーウェハインの当面の目標だった。
かつてひとつの大陸の一部に過ぎなかったザイオン帝国領土は、“大破壊”によって南北の大陸に分かたれた。ニーウェハインたちのいる南ザイオン大陸は、ミズガリス率いる東ザイオン帝国と、ニーウェハイン率いる西ザイオン帝国とに分かれ、争ったが、その間、北ザイオン大陸は、といえば、同じくふたつの帝国に分かれて争っていたことがわかっている。
北ザイオン帝国と南ザイオン帝国だ。
北ザイオン帝国は、かつての第一皇女マリアン=ザイオンを皇帝とし、南ザイオン帝国は、第八皇女だったマリシア=ザイオンを皇帝としていたという。
東西戦争当時、北ザイオン大陸の情勢について知れたのはその程度のことであり、まさか、マリシアが、邪神ナリアの依り代となっていたことなど知る由もなかった。そして、南ザイオン帝国が北大陸を統一し、大帝国として纏まっていたこともだ。
すべては、邪神ナリアの所業であり、北大陸が、ナリアの支配によってどのような有り様なのか、調査しなければならなかった。
ナリアは、膨大な数の神人を戦場に投入していた。それはつまり、北大陸に住むひとびとを数多く神化させ、兵力としていたということにほかならない。神化した人間を元に戻す方法はない。ニーウェハインが元に戻ることができたのは、奇跡以外のなにものでもないというのだ。
もし、北大陸のすべてのひとびとが神化し、神人化していた場合、手の施しようがない、ということだ。
ニーウェとしては、そんなことになっていなければいい、と思うほかなかった。
一方で、北大陸のことにかまけている場合でないことも確かだった。
まずは、南大陸の統治を完璧なものに仕上げなければならず、そのためには、皇帝としての職務を全うしなければならない。
そう想い、職務に専念していたある日のことだった。
ニーウェハインの脳裏に囁く聲のようなものが聞こえた。それは最初、ただの気のせいだと思った。また聞こえた。つぎは、幻聴かなにかだと考えた。さらに何度も何度も聞こえたものだから、気のせいでも幻聴でもなく、確かになにかが聞こえているのだと理解した。
すると、聲は、精確に聞こえるようになった。
それは、守護神ニヴェルカインの聲だった。
帝国の守護神となったニヴェルカインは、ニーウェハインとしか交信することができない、という。それは、ニーウェハインの肉体が持っていた特性を利用して降ろされた神であり、信仰のみを由来とする神ではないという特殊性があるからである、らしい。
そのため、ニヴェルカインは、ニーウェハインに話しかけていたのだが、ニーウェハインが職務に集中するあまり、中々通じ合うことができなかったということのようだ。
それは決して悪いことではないが、喜ぶようなことでもない。
ニーウェハインは、ニヴェルカインがなぜ呼びかけてきたのかを問うた。
守護神は、帝国に危機が迫っているといった。
それも極めて重大な危機であり、そのために戦力を充実させるべきである、と。
ニーウェハインは、それを聞き、即座に動いた。神の啓示を得たのだ。これで動かずにいるのは、無能の極み、愚の骨頂だろう。
戦力を拡充させる必要があるとわかれば、手を拱いている場合ではない。しかも時間的猶予がないとなればなおさらだ。一刻も早く手を打たなければならない。
ニーウェハインは、重臣を集め、守護神の啓示を伝えた。重臣たちは衝撃を受けていたものの、だれひとりとして非を唱えることはなかった。
守護神ニヴェルカインの存在を知らぬものは、いまやいないのだ。
そして、守護神ニヴェルカインこそ、この帝国に繁栄を約束するということも、だれもが知っている。
かくして、統一ザイオン帝国は、軍事国家としての再起を計り始めたのだ。




