第三百十四話 王は考える(三)
「野放しにして大丈夫なのですか?」
ゼフィルが尋ねてきたのは、ミリュウの処遇についてだろう。
ミリュウは、捕虜として拘束するどころか、監視さえつけずに放置していた。無論、それには十分な理由がある。放置しておいてもいいという確信がある。
「ウルが支配している間は、な」
ウルの異能を用いることができたのは、西進軍との合流直後、北進軍もまた中央軍との合流に成功したからに他ならない。
おかげで、ミリュウを監視するために人員を割く必要すらなくなった。同時に北進軍のもたらした情報は、ガンディア軍全体の士気を低下させることにはなったが。
「なるほど」
「カインと同じさ。彼の者と同じくウルに手綱を握らせている以上、ミリュウがガンディアに不利益をもたらすことはない。もっとも、エイン軍団長の話ではその必要もなさそうだったが……」
念には念を入れる必要がある。たとえ彼女にセツナに対する害意はなくとも、ガンディア軍に対してその敵意が向けられる可能性は捨てきれないのだ。敵に回れば恐ろしいのが武装召喚師だ。特に、ミリュウら魔龍窟の武装召喚師の実力は、ランカイン=ビューネルの例を見るまでもなく明らかだ。《獅子の尾》の武装召喚師たちが苦戦を強いられたのだ。
ファリアにせよ、ルウファにせよ、力有る武装召喚師であり、これまでの戦いにおいて、ふたりが苦戦したという話は聞いたこともなかった。しかし、ミリュウの仲間であるクルード=ファブルネイア、ザイン=ヴリディアとの戦いがもたらしたものは、ルウファの戦線離脱であり、ファリアの負傷であった。ファリアこそ軽傷で済んだようだったが、ルウファは数日どころかこの戦争には参加できないほどの重傷だといい、いまはバハンダールで療養中とのことだった。
武装召喚師の離脱は、戦力の低下に直結する。痛い話ではあったが、しっかりと療養すれば、軍に復帰することは十分に可能であり、その点では安堵していいだろう。不幸中の幸い、といっていい。ルウファ・ゼノン=バルガザールの無事は、大将軍アルガザード・バロル=アルガザードの士気にも関わることだ。
もし、ルウファが戦死するようなことがあれば、アルガザードの戦意は著しく低下するか、むしろ飛躍的に上昇するかのどちらかだ。ルウファは彼の次男であり、長らく彼の元を離れていた。レオンガンドは、アルガザードのルウファに関する愚痴を聞くことも少なくはなかった。それだけ期待していたということでもあるし、愛していたということでもあるだろう。
そのルウファは、武装召喚術を身につけることで、父や兄とは異なる方法でガンディアに貢献しようとしていたようである。実際、王都に帰還した彼は、その武装召喚師としての実力でガンディアに多大な恩恵をもたらしてくれた。
ログナー戦役では、周辺諸国の目を欺くためにセツナ=カミヤを演じたため、直接戦いに関与はしていないものの、彼のおかげでセツナを自由に動かすことができたのだ。そして、ザルワーン戦争においては、ナグラシア襲撃からバハンダール制圧、ミリュウ部隊との戦いに至るまでを戦い抜き、すべての戦闘で活躍したという。
アルガザードにとって、彼の活躍ほど嬉しい事はなかったはずだ。家族でガンディア王家を支えるという、彼の長年の夢が叶いつつあるのだ。
ルウファが戦死していれば、その夢は幻と消え失せていた。彼は絶望するか、激昂しただろう。どちらにせよ、ガンディア軍には望ましくない影響を与えたに違いない。
(生きていてよかった)
アルガザードの心情、ガンディア軍への影響のみならず、レオンガンド自身の感情として、ルウファの無事を喜んだものだ。
レオンガンドは、王都において、ルウファと対面したときのことを覚えている。感極まって大粒の涙をこぼす青年の姿は、自分という存在の在り方を考えさせられるものだった。
王としてどう在るべきか。
彼の主として相応しく有るには、どうするべきなのか。
即座に明確な答えは出なかったものの、彼の涙を思い出すたびに王としての有り様を考えるということが習慣のようになっていた。
なんにせよ、《獅子の尾》を追い詰めた武装召喚師のひとりを支配下に置くことができたのは僥倖だろう。
ウルの支配は絶大だ。
彼女の異能によって支配されている以上、ミリュウがガンディアに牙を向くことはない。龍の牙は、自国ザルワーンに向けられることになるだろう。
とはいえ、ウルの能力も万能ではない。同時に支配できる数には限度があり、十人が最大同時支配数だという。そして、支配する相手の精神力によっては、その精度が著しく落ちるらしく、それを補うには同時支配数を減らすより他ないらしい。ランカイン=ビューネルの自我はあまりに強烈過ぎたのか、彼のためだけに同時支配数は極端に減ってしまっている。
ウルは、ミリュウの支配に対しては懐疑的だった。ウルは、ミリュウを支配するくらいなら、戦場で敵兵を支配して回ったほうが得策だと思ったようなのだが、レオンガンドの命令には従わざるを得ず、ミリュウを支配した。
ミリュウもまたランカイン同様アクの強い人格の持ち主であったらしく、完全には支配できなかったということだが、レオンガンドとしてはミリュウがガンディアに敵対しなければそれだけでよかった。ミリュウの意識のすべてを支配しようなどとは考えてもいない。ガンディアに牙を向くことさえなければ、後は放っておけばいい。
彼女が本当にセツナに拘っているのなら、それだけで十分だろう。
ガンディアに不利益をもたらすどころか、利益を与えてくれるかもしれない。
「彼女には龍府の道案内でもさせるさ」
「天輪宮に直行することができれば、ミレルバスだけを討つことも可能かもしれませんな」
「それだけではないよ。ナーレスとの約束も果たすことができるかもしれない」
「軍師殿は……」
ゼフィルは痛ましそうに目を伏せた。
レオンガンドの腹心たる四友は、無論、レオンガンドとナーレス=ラグナホルンとの密謀に関与している。彼らにとってナーレスはガンディアを見限った軍師ではない。ザルワーンを内部から破壊するために身命を擲った人物であり、志を同じくする仲間といってよかった。ガンディアを離れて以来、直接言葉をかわすことこそできなかったものの、レルガ兄弟を通しての会話は、彼らの記憶にも留まっているに違いない。
レオンガンドの未来図において無くてはならない人物ではあったが、ザルワーン侵攻の発端となった出来事を考えれば、とっくに命を落としているだろう。彼を腹心として重用していたミレルバスが、その裏切り行為を許すはずもない。レオンガンドがミレルバスの立場にあったとしても、埋伏の毒を演じたナーレスを生かすようなことはしない。
裏切りものには死をもって贖ってもらうしかない。
「……彼との約束を反古にするほど、わたしも腐ってはいないよ」
「しかし、そのためには……」
ゼフィルが天幕の一方を見やり、遠い目をした。視線の先には、きっとあのドラゴンが聳えていることだろう。砦そのものを飲み込み、出現した天を衝くほどに巨大な怪物。セツナですら傷つけることがやっとだったという化け物は、《白き盾》の武装召喚師たちでさえ手に負えない存在だった。
「わかっているさ。いまごろ軍議も一段落付いている頃合いだろう。なんとしてでもあのドラゴンを突破し、龍府に到達しなければならない」
でなければ、レオンガンドが掲げた大義が宙に浮いてしまう。
先王の無念を晴らし、悪の大国を滅ぼすという正義の戦争が、ただの侵略戦争と化してしまう。そうなれば、レオンガンドの評価は地に落ち、信望も消え去るのではないか。再び、うつけの誹りを受けることになるのではないか。
そんな薄ら寒さを感じながら、彼は静かに立ち上がった。
レオンガンドのために用意された天幕の中、雨音は小さくなっていく一方だった。