第三千百四十四話 反撃(四)
エレニアは、駐屯部隊の指揮官から直接聞いた話を教えてくれた。
それによると、エンジュールの駐屯部隊五千のうち、四千五百が飛翔船に合流することとなり、指揮官も船に向かったという。指揮官の話では、突如決まったことであり、自分たちもよくわからないが、上からの指示である以上従うしかない、とのことのようだ。
無論、作戦内容を教えてくれることはなかったが、エンジュールが戦火に巻き込まれることはないだろう、とは、いってくれたそうだ。慰め程度に、だが。
指揮官は、女性であり、名をカルナ=バエリといった。エレニアにとっては御しやすい人物であるらしく、それもあって、エレニア親子の生活が脅かされることは一切なかったのではないか。
カルナは、エレニアに強く出るどころか、エレニアを慕い、レインを甘やかしてさえいた。そのことはむしろエレニアにとって頭の痛い話ではあったようだが、おかげで親子が過酷な環境に曝されることがなかったのだから、喜ぶべきだろう。
厳重な監視下に置かれながら、楽園のような生活を送ることができていたのだ。それそのものは、悪いことではない。
「作戦行動……ねえ」
それが先程見た無数の飛翔船の目的であることは、考えるまでもない。あれだけの数の飛翔船を投入するだけに飽き足らず、各地に派遣した部隊を回収しながら戦力の増強を図るのだから、余程のことに違いなかった。
ネア・ガンディアの軍事力は、圧倒的だ。
おそらく、この世界でネア・ガンディアに並ぶ国は存在しないだろう。あの数の飛翔船だけで、世界全土を征服することも容易いはずであり、過剰といってもいい。にも関わらず、さらなる戦力を求め、各地の部隊を回収しているのはどういうことなのか。
念には念を入れている、ということなのだろうか。
「ネア・ガンディアがどのような作戦行動を取っているのかは不明ですが、これは好機でもあります」
シグルドが眼鏡の奥の目を光らせて、いった。
「好機か」
「眠れる死人に起きて頂くには、ちょうどよい機会かと」
「はっ、そりゃあいい。そうしよう」
シグルドは、ジンの提案に大口を開けて笑った。すると、書斎の扉が開き、外に待機していた聖軍兵士が二名、飛び込んできた。
「失礼――」
エレニアへの弁解を言い切ることもなく、二名の聖軍兵士は、突如としてその場に倒れ伏した。なにが起こったのかわからずルニアを見れば、彼女も頭を振った。
すると、周囲の大気が渦を巻いて、それが姿を現した。守護精霊ゼフィロス。彼は、秀麗な顔の表情ひとつ変えず、告げてくるのだった。
「無礼者には容赦などしません」
「いや……まあ、いいんだが……な」
気を失ったままの兵士二名を見下ろして、シグルドは、なんともいえない顔になった。
元はといえば、大声を出したシグルドが悪いのであり、ゼフィロスは当然の反応をしただけのことだ。ゼフィロスがしなければ、ルニアかシグルドたちがみずからてを下したまでのことだ。
「……さて、眠れる死人を起こしに行くか」
「それは構わないが……勝算はあるのか?」
「それは死人に聞きましょう」
「……まあ、そうだな」
エレニアが肯定するのも当然の話だった。
エンジュールに眠れる死者のうち、一名は神算鬼謀の戦術家であり、もう一名は百戦錬磨の猛将だった。
その二名が息を吹き返せば、この状況を見てどう動くべきか、正しく判断してくれることだろう。
「ああ、遅かったですね」
エイン=ラナディースは、あっけらかんとした声で、シグルドたちを出迎えた。
ゴードン=フェネックの屋敷、その地下に死人の住処が設けられており、シグルドたちは、監視の目を掻い潜って屋敷まで辿り着いたのだが、地下室に向かうまでもなかった。なぜならば、エイン=ラナディースは、アスタル=ラナディースとともに黄泉より帰還していたからだ。
ゴードン=フェネックの屋敷は、司政官の住まいにしては質素なものだった。質素ながらも、夫婦がふたりで暮らすには十分すぎる広さがあり、住みやすさを重視した作りには好感が持たれること間違いない。そんな屋敷に地下室があることを知っているのは、ゴードン夫妻とシグルドたち一部の人間のみであり、聖軍将兵のだれひとりとして、そんな場所があることを知らなかった。
監視の目がいくら厳しくとも、隠蔽方法はいくらでもあるということだ。
「あんたらが早すぎなんだろ」
シグルドが呆れたのは、ゴードン邸の監視に当たっていたのだろう聖兵たちが拘束されている様を見てのことだった。
拘束したのは、間違いなくアスタル=ラナディースだ。そして、その行動を指示したのは、紛れもなくエイン=ラナディースであり、この夫婦の目覚めに立ち合ってしまった連中に同情するほかなかった。
「いやあそれほどでも」
「どうやって気づいたんだ?」
「常に耳を澄ませていれば、嫌でも気づきますよ」
エインはしれっとした顔でいってくる。とても年相応に見えない童顔に浮かぶ笑顔は、底知れない恐ろしさを感じさせた。
「耳を澄ませてわかるものかよ」
「まあ、いいじゃないですか。起こしに行く手間が省けたわけですし」
「そりゃあそうだ。で、軍師さんよ。勝算はあるのかい?」
「なければ行動を起こしはしません」
エインは笑顔のまま、当然のことのようにいった。
そして、それは当たり前のことであり、シグルドは、静かにうなずいた。
勝算もなく行動を起こすのは、愚か者のすることだ。が、エインは愚か者ではない。少なくとも、好機を待つだけの忍耐力と、勝算を計算するだけの頭があり、とてつもない想像力がある。そして、そのための情報収集能力も持つ。
ガンディアの軍師ナーレス=ラグナホルンの後継者に任命されただけのことはあるのだ。
「まずは、エンジュールを奪還します。敵は五百名。聖軍の兵士たちは常人以上の力を持ってはいますが、ご覧の通り、妻の手でどうにでもなる相手です」
「そりゃああんたの妻なら当然だろ」
「はは、御冗談を」
「なにがだよ」
「五百名の配置については、現状、確かなことはいえません。しかし、その必要はないでしょう。俺の作戦通りに動いてくれれば、勝利は確実です」
エインの自信に満ちた発言は、さすがは歴戦の軍師というほかない。
「そのための戦力は?」
「そのために鍛錬をされていたのでしょう?」
「……そりゃそうだ」
返す言葉もなく、シグルドは笑った。
そこからは、まさに電光石火の早業といっても過言ではなかった。
監視が厳しくなる夜中のうちに、シグルドたちの作戦行動は開始した。
エンジュール奪還作戦だ。
作戦に参加したのは、《蒼き風》の団員五百名と、エンジュールの黒勇隊、黒剛隊、黒迅隊の三隊、そして守護精霊ゼフィロスだ。主戦力となるのは、ゼフィロスとルニア、そして召喚武装グレイブストーンの使い手であるシグルドであり、指揮を執ったのは、ログノールの将軍アスタル=ラナディース、作戦立案は同じくログノールの参謀エイン=ラナディースだ。
作戦はこうだ。
エンジュール郊外でルニアに暴れさせることで、エンジュールの駐屯部隊を市街地防衛部隊と、皇魔討伐部隊に分断させる。
ルニアは、そのまま皇魔討伐部隊を引きつけつつ指定地点に移動、皇魔討伐部隊が指定地点に到達次第、そこに伏せていた《蒼き風》の戦士たちとともに襲いかかり、撃滅。
一方、市街地防衛部隊に対しては、ゼフィロスとシグルドがそれぞれ部隊を率いて挟撃し、撃滅。
作戦が始まると、いずれも、完全勝利といっていいくらい見事に成功し、その夜のうちにエンジュールの解放は成った。




