第三千百三十六話 時が動く(一)
「召喚に応じて頂けると信じておりましたよ、セツナ」
ラングウィン=シルフェ・ドラースは、魔晶船の甲板上でラグナと取っ組み合いの喧嘩を始めようとするセツナを見ても、動じることなく告げてきた。慈母のような優しさと温かさを併せ持つ声音は、寸前までラグナとののしり合いをしていたセツナの心を一瞬にして穏やかなものにしてしまう。
竜語魔法なのかもしれないし、単純に、ラングウィンの声が持つ力なのかもしれない。
「ラグナシア、ラムレシアは当然ですが」
「わしは眠っておってもよいのではないか?」
「よくはないだろう」
ラムレシアは船の舳先に降り立ち、ラングウィンを見遣っていた。
魔晶船は、ラングウィンの眼前で高度を維持し、滞空し続けている。
冬の夜。
本来ならば肌寒いどころでは済まない気温であるはずだが、“竜の庭”は常春の国といってよく、夜であっても寒くなるということがなかった。薄着で過ごしてもなんの問題もない。時折吹き抜ける風も、むしろ心地いいほどだった。
「そうかのう」
「この世の命運に関する重要な話なのです。三界の竜王、その一翼を担うあなたが参加せずに、だれが参加するというのですか」
「それは……我が主たるセツナが」
「こういうときだけ都合良く従僕面するなっての」
「わしは常日頃からおぬしを主としてじゃな」
「どこがだよ」
半ば呆れ果てかけつつも、セツナは、ラグナの小さな体を自分の頭の上に持って行った。すると、ラグナは、仕方がないとでもいわんばかりにセツナの頭の上に降り立つ。
「……まあ、よい。で、じゃ。ラングウィンよ、わしらを召喚したのは、どういう理由からじゃ?」
「わたくしが召喚したのです。あなたの想像通りの内容ですよ」
「ふむ……」
「そうか」
ラングウィンの威厳に満ちた発言にラグナとラムレシアが口を噤む。
セツナは、ラムレシアの厳しくなった横顔を見て、それからラングウィンに視線を向けた。
ラングウィンがセツナと竜王を召喚したということがどういうことか、少し想像力を働かせればだれにだってわかることだ。
三界の竜王が揃い踏みで、かつ、そこに最高戦力たるセツナを加えるのだ。考えられることはひとつしかない。
「ネア・ガンディアに動きがあった、ということですね?」
セツナが尋ねれば、ラングウィンが厳かにうなずいた。
「そうです」
ラングウィンが肯定すると、それまで柔らかかった甲板上の空気が、その一言、その一瞬で緊迫したものとなった。レムも、シーラも、エスクも、だれもかれもが予感していた物事が的中した事実に顔をしかめる。わかっていたことだ。想像していたことだ。
だが、それが現実のものとなることを望んではいなかった。
だれだって、そうだろう。
「ネア・ガンディアは、先の第二次大破壊以来、沈黙を保っていました」
と、ラングウィンは、語る。
第二次大破壊とは、先頃、獅子神皇が行ったものとされる世界的破壊行為のことだ。ネア・ガンディアの拠点と思しき地点から東西南北の四方に放たれた絶大な力。それによって引き起こされた破滅的な災厄。純粋な破壊行為。海も大地も引き裂かれ、数多の命が奪われてしまった。
だが、それ以来、ネア・ガンディアが息を潜めるようにして動かなくなったのも事実であり、セツナたちが戦力拡充のために飛び回ったのだって、その不可解な沈黙期間を利用してのことだった。でなければ、戦力確保のために飛び回るなどということはできなかっただろう。
そんな状況でもなければ、世界各地で暴れ回っているネア・ガンディアの軍勢を相手に大立ち回りを演じていたかもしれない。
「ネア・ガンディアが沈黙した理由は不明ですし、それがいつまでも続くものではないことは明らかでしたが、まさかこうも早々と活動を再開するとは想いも寄らなかったことです。せめて、もう半年……いえ、一月でも沈黙してくれていれば……よかったのですが」
「まだファリアたちも戻ってきておらんしのう」
「戦力は、多少なりとも確保できたようだが……」
ラムレシアがこちらをちらりと見る。
セツナは小さくうなずいたものの、ネア・ガンディアと本格的な決戦を行うには戦力が不十分であるという事実は認めなければならなかった。
「動き出したっていいますが、具体的にはどのように?」
「まず、説明しておかなければならないことがありますので、聞いて頂けますか?」
「ええ、もちろんです」
セツナがうなずけば、ラングウィンがその大きな宝石のような目を細めた。
つぎの瞬間、ラングウィンの咆哮が響き渡ったかと思うと、ラングウィンの銀嶺のように美しい巨躯から光が迸った。それが竜王の魔力であり、彼女が竜語魔法を発動したのだと理解したときには、それは具体的な光景となって発現していた。
頭上、満天の星空を覆い隠すように広がった光の幕。その中に青空が描き出されていた。いや、よく見れば空だけではないことがわかる。光の幕の下方には雲海が横たわり、上方を蒼穹が埋め尽くしている。そして、雲海と蒼穹の狭間に白い球体が浮かんでいることに気づかされた。
「あれは……」
「あの球体こそ、ネア・ガンディアの新たなる牙城です」
「ネア・ガンディアの牙城……根拠地ってことか」
「あんな丸っこいのが根拠地……ねえ」
「神々の王の居城というには、少々地味にございますね」
「そうだな……確かに地味かもしれんが」
外見だけで判断するのは早計だろう、と、セツナは、白い球体を睨み据えた。
ネア・ガンディアの新たな牙城。根拠地。そこに獅子神皇がいて、おそらくは重臣たちもいるのだろうし、主戦力も揃い踏みなのではないだろうか。
獅徒たちも、神々も、勢揃いしているのだ。
ネア・ガンディアを打倒し、獅子神皇を討ち滅ぼすためには、あの白い球体に乗り込む以外に道はなく、となれば、とてつもない激戦が待ち受けていることが予想できた。生半可なものではない。それこそ、死線の連続となるに違いなかった。
「この映像は、わたくしの眷属が捉えたものです」
ラングウィンがいうには、第二次大破壊後、眷属たちにその発生源を調べさせていたところ、発見することができたのだという。
正確にはわからないが、その球体はとてつもなく巨大であるといい、空中都市リョハンの数倍はあるとのことだった。
また、その球体がネア・ガンディアの根拠地であるということが判明したのは、球体内部につぎつぎと飛翔船が入り込んでいく様を見たからであり、また、球体の外に向かって、つぎつぎと、飛翔船が出現する光景を目の当たりにしたからだ。
そして、その飛翔船が出現していく光景こそ、ネア・ガンディアが動き出している証拠なのだ。
ちょうど、そのときの光景が、魔法の幕の中に映し出されていた。白い球体の表面に大小無数の穴が開くと、その中から続々と飛翔船が姿を見せ、飛び立っていくという強烈な光景だ。
光り輝く翼を広げる無数の飛翔船。
それこそ、ネア・ガンディアがとてつもない戦力を保有していることの証左であり、セツナたちがこの上なく戦力を欲する原因であり、理由なのだ。
と、そのときだ。
飛翔船のいくつかが、こちらに向かって砲撃を始めた。神威砲による砲撃は、光の奔流となって幕の中を塗り潰し――映像が途絶えた。
「これは……」
「ネア・ガンディアの出陣の様子を捉えた我が眷属は、いまの攻撃によって命を落としたのです」
そう語るラングウィンの声は、哀しみに打ち震えていた。
庇護下にある他種族さえも我が子のように慈しむラングウィンにとって、眷属を失うことがどれほどの痛手なのか。想像できないセツナではなかった。
 




