第三千百三十四話 船の中で(二)
「さて……」
セツナは、もはや影も形も見えなくなったシーラの後を追うべく歩き出そうとした。すると、レムが冷ややかな視線で見つめてくる。
「御主人様」
「なんだよ」
「シーラ様があちらへ向かわれてしまったからといって、なにも解決していないことをお忘れなきよう、お願い致します」
「もう、いいだろ!?」
「よくありませぬ」
見れば、レムはいつもの笑顔ではなく、至極真面目な表情でセツナを見つめていた。
「わたくしはともかくとして、シーラ様もエリルアルム様も納得されたわけではありませんし、なにより、ファリア様、ミリュウ様が戻ってこられたとき、大問題に発展すること請け合いでございますよ?」
などと熱弁しながら、ずいと詰め寄ってきたレムに対し、セツナは、反論を持たなかった。
「……そりゃあ……そうだが」
肯定し、考え込む。
確かに彼女のいうとおりだろう。いまは不在だからいいが、いずれファリアとミリュウは異世界から戻ってくるのだ。それから魔晶船を使わずに済むというのであればまだしも、そんなことは絶対にありえないし、そうなれば、居住区画を見て回り、セツナとウルクの相部屋を目の当たりにした途端、天地をひっくり返したような大騒ぎになること間違いない。
ファリアもミリュウも噴火した火山のように荒れ狂う様を想像すれば、肝を冷やすしかない。
「そ・こ・で!」
「ん?」
なんだか嫌な予感がしたのは、レムが突如としてあまりにも眩しい笑顔になったからだ。まるで空を覆っていた幾重もの雨雲が一瞬にして吹き飛び、青空と太陽が現れたような、そんな変化だった。
「わたくしからひとつ、御提案がございます!」
いつになくにこやかな表情で、あまつさえ身振りも加えながらいってきたレムに向かって、セツナは、瞬時に告げた。
「却下だ」
「内容も聞かずに却下とは、どういった了見でございます!?」
「そうじゃそうじゃ、先輩の言に耳を傾けるべきぞ」
「その通りです、セツナ」
「絶対ろくなことじゃねえのがわかりきってんのにか……?」
「そんなことはございませぬ!」
レムが強くいうと、ラグナとウルク、イルとエルまでもが首肯する。レムを頂点とする従者の軍団は、それはそれは固い絆で結ばれているのだろう。内容が内容でなければ、涙を流すくらいに感動することなのだろうが、セツナは、いまはそれどころではなかった。
むしろ、その結束力の強さに腹が立ってくる。
「わたくしは誠心誠意、御主人様と皆様方のことを考え、結論づけたのでございます」
「結論?」
「はい」
レムは、満面の笑顔のまま、居住区画を見回していく。
「この船の内部構造に手を加えることは難しく――」
「マユリ様に頼みゃあちょちょいのちょいじゃねえかな」
「難しく!」
「はい」
レムの凄絶なまなざしの前に、さすがのセツナもうなずくほかなかった。斯様な強引さを見せるレムには、逆らわないほうが身のためだ、ということを身に染みて知っているのがセツナだった。
「ミドガルド様の労苦を無下にするというのも、考え物でございましょう」
「そりゃあ、確かに……」
ミドガルドたちが働き詰めで作り上げたのがこの魔晶船であり、そこにセツナはほとんどまったくといっていいほど寄与していない。セツナは、ただ、完成を待ちわびていただけだ。そして、完成品を無料かつ無償でもらい受けたのだから、大切に扱うべきであり、改造など以ての外ではないか。
先も考えたように、このような事態を回避したければ、最初から彼にそう要求しておくべきだったのだ。
仮に後から改造するのだとしても、ミドガルドに一言断りを入れておくべきだ。そうすれば、いくらでも内部構造に手を入れたとしても、問題はあるまい。
「そこで……御主人様と相部屋になる方を日替わりの当番制にすればよろしいのではないでしょうか?」
「日替わりの当番制……?」
「はい。それならば、ファリア様ミリュウ様を始め、皆様方も御主人様と相部屋で過ごすことができて、幸せにございましょう?」
やはり満面の笑みで同意を求めてくるレムだったが、セツナは、考え込むほかなかった。
「そう……か?」
彼女の提案の理屈はわかる。日替わりの交代制ならば、ウルクだけがセツナと一緒の部屋で過ごすことはなくなるわけだ。が、それならばそもそも、この部屋をセツナ個人の部屋として、別の一室をウルクの部屋にすればいいのではないか、と、思うのだが、どうやらそういう意見は受け付けてくれないようだった。
レムには、頑固なところがある。
「相部屋……」
「わしにはよくわからぬが、どうでもいいことじゃな」
エリルアルムが妙に深刻そうな表情で部屋を見つめる側で、ラグナは安逸とした様子だった。それはそうだろう。彼女は、昔からセツナと寝起きをともにしていたのだ。そして再会後も、それは変わらなかった。
ただし、ミリュウからは、セツナと一緒に寝るときは小飛竜態のままでいるように、と厳しくいわれていた。ラグナはそのことを不思議がったものの、律儀に護っている。というより、人間態よりも小飛竜態のほうが、ラグナにとって楽な形態なのだ。
ミリュウたちが心配するようなことは、一切、起きようがない。
ラグナの人間態があまりに魅力的な美女であったことは、ミリュウのみならず、ファリアやシーラ、レムにも知れ渡り、その衝撃は、いまも根強く彼女たちの中に息づいているのだから、致し方のないことだ。
「わたしは、それでも構いません。それでセツナがいいというのであれば」
ウルクは、表情を引き締めていってきたのは、胸の内の感情を悟られまいという意識の現れなのかもしれない。もしかすると、彼女は彼女で、セツナと相部屋であるということを喜んでいたのではないか。だとすれば、レムの提案を受ければ、ウルクを哀しませることになるが。
(かといって……)
セツナは、扉の上にでかでかと掲げられた名札を見て、眩むような気分だった。
まるでセツナとウルクの愛の巣である、とでもいわんばかりの主張は、ほかの部屋に掲げられた名札には見られないものであり、そこにもミドガルドの強い意志を感じざるを得ない。
ミドガルドには心の底から感謝しているし、その親心には感銘さえ受けるのだが、とはいえ、ここまでやられると、絶句するほかなかったし、複雑な想いを抱くしかない。
(ミドガルドさん。悪いひとじゃないんだけどな……)
娘への愛情が深すぎて、周りが見えなくなってしまっていたのではないか。
だからこそ、このような部屋が設計され、セツナたちに意見を聞くこともなく完成してしまったのではないだろうか。
それこそ、ミドガルドのウルクへの愛情の深さをうかがい知ることのできる出来事のひとつではあるが、だからといって、感心している場合ではない。
セツナは、レムの提案を受け入れることにするとともに、ウルクに話しかけた。彼女が名札を見上げていたからだ。
「……ウルク、ごめんな」
「なぜ、セツナが謝るのです?」
ウルクは、きょとんと、こちらを見た。
「謝るべきは、このような構造にしてしまったミドガルドです。今度魔晶城に戻ったときに謝ってもらいましょう」
そういって微笑んだウルクに、なんだか救われた気がした。




