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第三百十二話 王は考える(一)

「陛下、ここにおられましたか」

 天幕内に飛び込んでくるように入ってきたのは、ゼフィル=マルディーンだった。相も変わらぬ柔和な表情は、この野営地を覆う暗憺たる空気の中では奇異なものでさえある。しかし、レオンガンドは、いつもと変わらない四友や将軍らの姿を見るたびに安堵を覚えるのも事実だった。

「わたしを探していたのか? なにがあった?」

「セツナ殿の意識が回復したとのこと」

「それは本当か!?」

 レオンガンドが身を乗り出したのも無理はなかった。ドラゴンの勢力圏から逃れるために後退してからというもの、彼の耳に入ってくるのは都合の悪い情報が多かったからだ。

 セツナ・ゼノン=カミヤが、ビューネル砦に出現したドラゴンと戦い、負傷したという情報もそれだ。しかも意識を失ったままだという。レオンガンドが、気が気でなかったのは当然だった。

 もっとも、セツナがドラゴンに敗れたという報は、軍団長以下のものには聞かせていない。ガンディアの矛が敗北を喫するなどという情報は、例え事実であっても、全軍の士気を下げるだけなのだ。

 ただでさえ戦意が下がり始めているというのに、この上、頼みの綱の黒き矛が負傷したという話が出れば、兵士たちが絶望しかねない。

 そんな状況下にあって、ゼフィルのもたらした報告には、レオンガンドも笑みをこぼさずにはいられなかった。

「はい。いまは軍医に検査を受けているところだそうです」

「そうか……。良かった」

 レオンガンドは、安堵の息を吐くと、ゆっくりと目を閉じた。

 まぶたの裏に浮かぶのは、苦痛にうめく少年の姿だ。

 レオンガンドが、意識を失ったままのセツナと対面したときのことだ。ガンディアの期待を一身に背負った少年はまさに満身創痍であり、レオンガンドは自分がセツナに与えた役割の重さを感じずにはいられなかった。命が無事でよかったと思うと同時に、あのドラゴンには彼ですら敵わないかもしれないという可能性に頭を抱えた。

 だが、だからといって歩みを止めるわけにはいかないのだ。ザルワーンの地を踏み、各地での戦いに勝利し、ようやく龍府を視界に入れることができるほどの距離にまできたのだ。五方防護陣を突破すれば、目と鼻の先に、ザルワーンの首都があり、国主ミレルバス=ライバーンの居城がある。ここで退く訳にはいかない。

 なんとしても五方防護陣を突破し、龍府を落とすのだ。

 でなければ、これまで払ってきた犠牲が無意味になる。マイラムで掲げた大義が空中をさまよい、意味を失ってしまう。正義は、為さねばならない。そして、正義を語る事が許されるのは、勝者だけなのだ。多大な戦力を失ったからといって、ここでガンディアまで引き上げるなど、ありえないことだ。それは敗北と同じだ。

 無論、敗北とは大きく異なる状況ではある。

 ナグラシア、バハンダール、ゼオル、マルウェールという四つの都市がガンディアの制圧下にあり、ザルワーンの国土の三分の一ほどを手にしたことになる。それだけでも十分ではないか、という声が聞こえるのも当然の話だ。十分な成果、十分な戦果、十分な結果。それだけで、ガンディアの国力は大いに上がるだろうし、ザルワーンの脅威も小さなものになる。

 だが、それもすべてが上手くいったら、の話だ。ここで戦線を下げれば、得たものの幾つかを失うことは明白だ。

 まず、マルウェールの維持は困難になるだろう。

 マルウェールは、ザルワーンの北東部に位置する都市だ。ただでさえ補給線が伸びきっているのだ。ガンディア軍が戦線を下げた後、ザルワーンの残存戦力がマルウェールの奪還に向かえば、それで終わる可能性が高い。

 それに、ジベルが動いている。

 ジベルは、ガンディアが黙殺したザルワーン南東部の都市スマアダを制圧し、また、ガロン砦以東の旧メリスオール領に軍を展開、支配下に置いてしまったという。ガンディアが軍を引けば、ジベルの軍勢がマルウェールの制圧に動き出すという可能性も大いにあった。

 故に、引き下がれない。

 五方防護陣に出現したドラゴンを倒し、龍府へと迫らなければならないのだ。

「お会いになられますか?」

「いや……いまは止めておこう。無理をさせたくはない」

 レオンガンドは、静かに告げた。すぐさまセツナに会いに行き、無事を喜ぶのもいいだろう。王がみずからの矛の身を案じるのは、演出としても悪くはない。レオンガンドの行動に胸を打たれるものもいるだろうし、戦後、美談として語られること請け合いだ。

 しかし、レオンガンドは、自分の存在がセツナという少年に与える影響を考えて、それをしないことにした。

 セツナは、レオンガンドを唯一無二の主君として仰いでいる。それはだれの目にも明らかであり、ゼフィルたちなど、黒き矛もレオンガンドの前では子犬のようだ、と囁き合っているほどだ。

 彼は、どれだけ疲労困憊であっても、痛みに苛まれていても、レオンガンドの前では気丈に振る舞おうとするだろう。無理をしてでも、無事であるということを強調するだろう。ガンディアの黒き矛として、王立親衛隊《獅子の尾》の隊長として、王宮召喚師として。

 それがセツナという少年なのだとレオンガンドは認識しているし、その認識は大きく間違っていないはずだ。

 健気なものだと思わずにはいられない。

 が、レオンガンドは、自分のためだけにセツナに無理をさせるのは本位ではないと考えている。

 セツナに無理をさせるべきは、戦場においてのみだ。しかも、それは常人には無理であっても、黒き矛の武装召喚師には必ずしも不可能なことではない。どのような苦境にあっても、彼ならば覆してくれるだろうという期待が持てる。そして、その期待に答えてきてくれたのが彼だ。

 これまでもそうやってきたのだ。

 常人には考えられないような戦果を挙げてきたのがセツナだ。バルサー平原しかり、ログナーしかり、バハンダールしかり。

 一度や二度の敗北で、レオンガンドの信頼が揺らぐことはなかった。

 むしろ、セツナでも負けることはあるのだ、という当然の道理を再確認して、安堵すら覚えたものだ。彼は化け物ではない。不敗の、不滅の存在などでは決してない。十七歳の少年であり、異世界の存在であっても、レオンガンドらと変わらぬ人間なのだ。

 しくじることもあれば、負傷し、敗退することもありうるのだ。

「ベルには教えてあげたのか?」

「はい、もちろん」

「そうか。ならいい」

 レオンガンドの反応にゼフィルが微笑をもらしたのは、セツナの意識が回復したことを知らされたファリアの反応を思い出したからだろうか。

 ファリア=ベルファリアは、合流以来、精力的に働いていた。まるでセツナが意識を失ったままだということを忘れようとでもするかのように。

 とはいえ、戦闘以外で武装召喚師の出番はそう多くはない。隊長補佐として《獅子の尾》の活動記録を報告書にまとめ上げ、レオンガンドに提出するのが、現状、彼女のできる仕事だといえる。王都にあれば、雑務に追われることもあるだろうが、敵地においてそれはないといっていい。

 王立親衛隊は三隊ある。そのうち、《獅子の牙》は盾として、《獅子の爪》は剣としてレオンガンドに近侍するのが役割であり、戦場においても、平時においてもそれは変わらない。しかし、《獅子の尾》だけは違う。彼らだけは、王の側にいるのではなく、戦場を転戦するのが主な使命だった。

 しなやかな獅子の尾のように、自由自在に戦場を駆け抜け、敵を蹂躙する。それが王立親衛隊《獅子の尾》であり、遊撃部隊としての運用方法こそ、当初からの役割だった。

 遊撃部隊として上手く運用できてはいないものの、戦力としては十二分に機能しているのが《獅子の尾》だった。西進軍の快進撃の根底には、《獅子の尾》の活躍がある。もし、《獅子の尾》が西進軍に組み入れていなかったなら、バハンダールを突破することも難しかったかもしれない。

 ザルワーンでの戦力配分は上手くいった。中央軍は《白き盾》という最硬の防壁によって鉄壁の守備力を得、さらに武装召喚師や《蒼き風》、同盟国の援軍を集中させてもいた。

 北進軍には、マルウェールを落とすための最低限の戦力と、武装召喚師(カイン=ヴィーヴル)と異能者ウルをつけた。十分すぎる戦力だった。

 そして西進軍。ログナーの強兵とガンディアが誇る最高戦力たる《獅子の尾》をつけたのだ。彼らが多大な戦果をあげるのは、わかりきったことではあった。

 ともかく、戦場で活躍してくれれば、それだけでいいのだ。平時になにをしていようと構いはしない。レオンガンドが《獅子の尾》に求めるのは戦果であり、成果だ。戦いのないときは、休んでいてくれていいのだ。

 ファリアは、性分としてそれだけでは納得できないのかもしれない。

 だから、いまも精力的に動いているのだろう。休めといっても聴かないのが彼女という人物であり、故にこそ、レオンガンドはファリア=ベルファリアを信用してもいる。かといって、無茶をして倒れられても困るのだが。

 ファリアが倒れたら、きっとセツナに悪い影響を及ぼすだろう。

 セツナには、ファリアが必要だ。彼はまだ幼子のようなものだ。異世界からこのイルス・ヴァレへと召喚された彼は、右も左もわからないままこの大地に放り出された。そんな折、彼は彼女に出逢ったのだ。

 彼にとってファリアは命の恩人であり、それ以上に、心の支えだったに違いない。

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