第三千百十六話 獅神天宮(二)
ディナシアは、その外見からして獅子神皇に嫌われる要素が多分にあった。
ディナシアは、いつ頃からか、その姿をセツナによく似た成人男性にしているのだが、それがどうやらセツナの父親に似せているらしいということがわかると、ヴィシュタルも嫌悪を覚えずにはいられなかったものだ。なぜ、ディナシアがセツナの父親の姿を真似ているのか。その理由も意味もわからない。
当初はヴィシュタルやセツナ自身を挑発するためなのではないか、と考えたりもしたのだが、そんなことのために神々の王たる獅子神皇の不興を買うような真似をするわけがなかった。
獅子神皇は、度々、彼の姿に怒りをぶつけている。
それは、獅子神皇の人格がやはりレオンガンド・レイ=ガンディアに基づくものであるからであり、レオンガンド・レイ=ガンディアにとってセツナは英雄以外の何者でもなかったからに違いない。
度々怒りを買い、そのたびに厳罰を与えられているにも関わらず、ディナシアが外見を改めることはなかった。神にとって姿を変えるなど容易いことであるにもかかわらずだ。彼はなぜか、セツナの父の姿を取ることに拘りを見せていて、獅子神皇が罰することすら飽きてしまうくらいだった。
ディナシアがなぜ、セツナの父の姿に拘っているのか、その理由についてはやはりまったく理解できない。獅子神皇の神経を逆撫でにしてまで維持し続けることになんの意味があり、必要性があるというのか。獅子神皇がその気になれば、ディナシアを封印することだってできるというのにだ。
ディナシアは、どれだけ獅子神皇が激昂しようがお構いなしにその姿を取り続けていた。拘っているということは、意味があり、意図があるということだ。
とすればやはり、彼が引き連れている連中となんらかの関わりがあると見て取るべきなのだろう。
ディナシアは、いつものように部下を連れていた。彼を父と呼び慕う黒衣のものたち。彼らが黒い眼帯で両目を隠していることにも、意味があるのかどうか。いずれにせよ、その一団は、見るからに不愉快極まりなく、ヴィシュタルは、どう対応するべきか考えなければならなかった。
黙殺するわけにはいかないだろう。
話しかけてきたのは、一級神のディナシアなのだ。礼を失するわけにはいかない。などと考えていると、
「ディナシア様ほどの御方が話しかけてくださるとは、光栄の至り」
嫌みったらしく返したのは、ウェゼルニルだ。
場所は、獅神天宮ナルンニルノル・永劫の回廊。
ヴィシュタルは、ウェゼルニル、ファルネリア、ミズトリス、イデルヴェインの四名を連れて、この無限に長く続くかのような回廊を進んでいたのだ。
鏡面のように輝く白い床がまるで橋のように遙か彼方まで続く回廊。壁や天井はなく、代わりに空があった。澄み渡る青空は、ナルンニルノルの外の風景がそのままであり、吹き抜ける風も実体を持っている。しかし、この空を飛んでいったところで、ナルンニルノルの外へ出られるわけではない。
ナルンニルノル内部は、外部と隔絶された空間なのだ。
「なにを仰る。神皇陛下に楯突いた挙げ句、なにも為せず、それどころか断罪されながら、平然とした顔で帰参なされた方々に比べれば、わたしなど、たいしたこともない」
「さんざ陛下の怒りを買った姿で居続けるのも、余程だと想いますが」
「そうでしょうか」
ディナシアは、平然とした様子で、言い返してくる。
「陛下が本当にお怒りならば、獅徒の皆様方のような方法で断罪なされるでしょう。しかし、わたしはこのように健在だ。陛下もわかっておられるのだ。わたしがなにゆえこうしているのかをね」
「その姿を続ける理由ですか」
「すべては陛下の御為」
「さすがは一級神様におかれましては、発言に重みがございますな」
ウェゼルニルが心にもないことをいうも、ディナシアは涼しい顔だ。色めきだったのは、彼の部下たちのほうだった。黒衣の少年少女たちは、ウェゼルニルに猛然と抗議するようにして、ディナシアの前に立った。いかにも子供っぽい反応であり、ウェゼルニルは当惑を隠せない。
(ゴッドアローズ……だったか)
ディナシアが部下たちをそう呼んでいることを知っている。
ネア・ガンディアの神々の中でディナシアだけがそのような戦闘部隊を持っているわけではないため、それそのものはめずらしいことでも不自然なことでもなかった。
神は、ただそれだけでも強大な戦力になるが、生物を神化させ、使徒に造り替えることでさらなる戦力の確保が可能なのだ。
ネア・ガンディアでは、神々が独自に戦闘部隊を持つことは、奨励されてさえいた。
神々が獅子神皇に反旗を翻す恐れがない以上、神々がどれだけ戦力を拡充したとしても、なんの問題もないからだ。
それどころか、神々が積極的に戦力を増強してくれれば、それだけネア・ガンディアの戦力も増大するということであり、利点しかなかった。
しかしながら、ヴィシュタルは、ディナシアの戦闘部隊には不快感を覚えずにはいられないのだ。
なぜかは、わからない。
最初からディナシアが気に食わなかったからというのもあるだろうが、ゴッドアローズの一員たちの発言内容が、ヴィシュタルにはどうにも引っかかりを覚えるからかもしれない。
彼らは、ディナシアを父と呼び、こともあろうにセツナを兄と呼んでいるようなのだ。
よくよく見れば、彼らの容姿はどことなくセツナに似ていなくもない。眼帯で隠された部分以外の顔立ちは、セツナそっくりといってもいいのではないか。特に男はそうだ。
ディナシアが用意した自分のための戦闘部隊だ。その姿形や言動も、ディナシアの意図するところに違いなく、ディナシアの姿がセツナの父親であることも、そこに関係があるのではないか。
そう考えれば考えるほど、ヴィシュタルは、彼を不愉快に思わざるを得ないし、内心の怒りを隠せなくなってくるのだが、ここは堪えるしかない。
帰参して早々問題を起こせば、今度こそ、獅子神皇の手で滅ぼされかねない。
それだけは避けなければならない。
それでは、恥を忍んで獅徒として蘇った意味がない。
「ところで、ヴィシュタル殿は、既に聞いておられますか」
「……なにをです」
「陛下がお目覚めになられたそうな」
「……ええ、もちろん」
「さすがは獅徒殿。陛下のことに関しては、我々などより余程耳聡い」
ディナシアが微笑んだ。当然、ヴィシュタルを褒めているわけでもないのだろうし、ただ皮肉をいっているだけだ。慇懃無礼という言葉がこれほど似合う神もほかにはいないのではないか。そんなことを想っていると、ディナシアが続けてきた。
「ついに時が来た、というわけですな」
「時……」
反芻して、ディナシアを見る。金色に輝く瞳からは感情を読み取ることはできない。神の目だ。
「ということは、父上」
「今度こそ、お兄ちゃんを迎えられるんだね!」
「ああ、そうだよ」
「やった!」
「ようやくだな!」
「うん!」
「念願叶ったり、ってね!」
ゴッドアローズの少年少女が口々にいう言葉は、ヴィシュタルに不穏なものを感じさせた。
(お兄ちゃんを迎える……? セツナをか?)
彼らのいう兄とは、セツナのことだが、だとすればおかしなことだ。
「まあまあ、落ち着きなさい。後少しだ。後少しで、願いは叶う」
まるで大きな行事を前に浮き足立つ子供たちをあやすようなディナシアの姿は、どうにも父親そのもののようであり、ヴィシュタルは、背筋が凍るような寒気を覚えた。
ディナシアは、完璧に近く父親を演じきっていて、ゴッドアローズの連中も彼の実の子供であるかのように振る舞っている。その光景の異様さは、なにもかもが歪なネア・ガンディアの中であっても特に強烈だった。
そして、その先にセツナの存在があるということがわかれば、ヴィシュタルも気が気ではない。
(どういうつもりだ? なにを企んでいる……ディナシア)
ヴィシュタルは、自分がいつの間にかディナシアを睨みつけていたことに気づいたが、もはや止めようがなかったし、隠しようもなかった。
ディナシアは、こちらを見て、冷笑していたのだ。




