第三千百九話 闘神ラジャム(一)
「なんとも親しげじゃったな」
ラグナが不機嫌そうにいってきたのは、海神マウアウとの交渉を終え、魔晶船が琥珀海を飛び離れてからのことだった。甲板から船内に戻る最中だった。
「ありがたいことじゃないか」
「なにがじゃ」
「神様が俺と敵対することなく話し合いに応じてくれたんだぜ」
「ふん。異界の神の甘言に耳を貸すほうがどうかしておるわ」
「なにもそこまで毛嫌いしなくてもいいだろ」
「そうです、先輩」
「じゃがな、後輩よ」
ラグナが、ウルクを振り返ったのが、頭皮を等して伝わってくる。ラグナは、セツナの頭の上でふんぞり返っていたのだ。いつものように。
「あやつは、セツナを狙っておるのだぞ」
「セツナを狙って……?」
「おいおい、なにを言い出すんだ」
ラグナの思いがけない発言に、セツナは唖然とするほかなかった。
「本当のことじゃ」
「それならば、捨て置けません」
「捨て置いてくれ……」
「なりません。セツナ、いますぐ引き返し――」
「だから、そんなことはないっての」
「しかし――」
「ラグナの思い違いだ」
セツナは、ラグナに言いくるめられてしまったウルクの意見を封殺するように告げると、頭の上で憤慨している最中の小飛竜に手を伸ばした。両手で包み込んで御機嫌を取りながら、ため息をつく。
(なんでそうなるんだ。まったく……)
マウアウ神がセツナに対し、特別親しくしてくれているのは間違いないことだが、しかし、あの海神がセツナを狙っているなど、どう考えてもありえなかった。
マウアウ神にしてみれば、神の敵たる黒き矛の使い手を懐柔しておく、というつもりはあるかもしれない。セツナは、これまで相当数の神を殺してきている。その気になればマウアウ神を滅ぼすことだって難しくはないだろう。その事実を踏まえると、マウアウ神がセツナに対し、友好的な態度を崩さないのは、当然といってよかった。
マウアウ神がセツナを敵に回したくないと考える限りは、だが。
マウアウ神の海域を離れた魔晶船は、そのまま北上した。
琥珀海を北へ。
大海原の彼方に大陸が見えてくる。
中央ヴァシュタリア大陸と呼ばれるようになった大地は、“大破壊”によって千々に引き裂かれ、大海原に隔絶された陸地の中でも広大なものといっていいだろう。
大陸と呼ばれる陸地は、ほかに南北ザイオン大陸や東西ディール大陸などであり、いずれも三大勢力の領土だったことは、決して無関係ではないのかもしれない。
三大勢力の領土は、それぞれ、大いなる力を持つ神によって支配されていた。ヴァシュタリア共同体は至高神ヴァシュタラの、神聖ディール王国は黒陽神エベルの、ザイオン帝国は宇宙女神ナリアの、輝かしい祝福とともに在ったのだ。その影響が“大破壊”の被害を最小限に押さえたのではないか、と考えられなくもない。
が、本当のところはどうか不明だ。
いまわかっていることは、“大破壊”によって引き裂かれたワーグラーン大陸の陸地の中でも、特に広大な面積を保有する大陸のひとつが、セツナたちの目指す中央ヴァシュタリア大陸だということだ。
魔晶船は、闘都アレウテラスを目指している。
闘都アレウテラスの守護神にして闘神ラジャムと交渉するためであり、それは海神マウアウのように一筋縄ではいかないだろうことは明白だった。
魔晶船は、あっという間に大海上空を渡り、北の大地に辿り着いた。
そして、闘都アレウテラス近郊に降り立つと、セツナたちは魔晶車両に乗り込み、闘都に向かった。
冬の中央ヴァシュタリア大陸は、気温が低く、セツナは防寒服を用意しておいてよかったと心底思った。魔晶船の乗船者の中では、セツナ以外のだれもが寒さをまったく気にしないものだから、セツナが自分の意志で用意しなければならなかったのだ。もし、防寒対策をなんら講じることなくこの地を訪れていれば、いまごろ寒さに凍えていたに違いない。
そんなことを考えながらも、あっさりとアレウテラスの門前に到着したセツナたちだったが、門番を務める闘士たちに取り囲まれてしまった。セツナたちが乗る魔晶車両を不審に思うのは当然だったし、警戒するのも当たり前のことだ。魔晶車両など、聖王国領でしか見ない。
しかし、魔晶車両に乗っているのがセツナだとわかると、門番たちは、態度を改めた。
かつて、アレウテラスの闘技場で行われた闘神練武祭・奉魂の儀において決勝戦まで勝ち進み、最上級闘士ウォーレン=ルーンとの――いや、闘神ラジャムとの激闘を見せつけたセツナのことは、アレウテラスにおいていまもなお語り草になっているとのことだった。あのとき、セツナが闘神との決闘の最中、突如として姿を消したことは、ラジャムは愚か、その決闘に血湧き肉躍らせていた観衆にとっても残念なことであり、故に、再びセツナがこの地に姿を見せる日が来ることをだれもが待ち望んでいたのだ、とも、闘士たちは興奮気味に語った。
だからこそ、魔晶車両にセツナが乗っているとわかるや否や、闘士たちは当然のようにセツナ一行をアレウテラスに招き入れ、極剛闘士団本部への案内を買って出てくれたのだ。
「随分と人気じゃな」
「そうだな……」
ラグナの感想に他人事のような反応を見せたのは、実感が湧かないからだ。闘士たちはセツナを発見したことで大いに盛り上がっているのだが、その反応は、セツナの想定外のものであり、どうにも取り残されたような気がしてならなかった。
アレウテラスは、以前にも増して賑わいを見せていた。どうやらそれは、近隣の都市からアレウテラスに移り住む人間が増加傾向にあるからだという。なぜそのようなことになるのか、といえば、アレウテラスが神によって守護されているからであり、ほかの都市に比べて極めて安全かつ平和だからだろう。
闘神ラジャムは、闘技に熱中こそすれ、人間想いの神であることは確かだ。セツナとの決闘に現を抜かす傍らで、ひとびとが巻き込まれないように細心の注意を払うなど、自分を信仰するひとびとに対する扱いは、極めて慎重だった。
そういう点では、世界がどうなろうと知ったことではない異世界の神々とは、大きく立ち位置の異なる神であるのは間違いない。
だからこそ、セツナは、ラジャム神とは交渉の余地があると考えていたのだし、アレウテラスを訪れたのだ。
極剛闘士団の拠点は、アレウテラス中央闘技場そのものといっても過言ではない。アレウテラスの中心部に聳え立つ円形闘技場の荘厳さは相も変わらぬものであり、出入りする観客の多さにも違いはなかった。
大小いくつもの闘技場を抱えるアレウテラスでは、相変わらず、毎日のように闘技が開催されているようだった。
「なにがよいのか、わしにはわからぬ」
「俺にも、だよ」
「セツナにもわかりませんか」
「ああ」
「じゃが、闘士として闘ったのじゃろう?」
「それは致し方なく、だ」
あのとき、セツナが極剛闘士団の要求を呑んだのは、情報を得るためであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
だからこそ、セツナは闘技に臨み、闘神との決闘にも応じたのだが、その決闘の最中、リョハンの窮状を垣間見た以上、戦い続ける義理はなかった。
そのことは、ラジャム神にとっては心残りだろうし、当時決闘を見守っていた観衆にとっても消化不良に違いないが。
セツナには、関係のないことだ。
(とはいえ……)
ラジャム神に交渉するということは、だ。
セツナは、闘技場の内部に案内されながら、闘神のことを考えていた。




