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第三百九話 生きている

「退くしかない……か」

 声が、聞こえる。

 口の中に広がった苦味を噛みしめるような声は、彼にとってはよく知った人物のものだ。この世界に辿り着いて以来、とりわけ敬愛し、尊崇してやまない人物。彼の、たったひとりの主。

 獅子の国の王レオンガンド・レイ=ガンディア。その苦渋に満ちた声は、セツナの胸を締め付けるのだが、彼にはどうすることもできないことはわかりきっている。セツナにできることは、彼の刃となって敵を屠ることだけなのだ。

 漠たる闇の中、身動ぎひとつできないことになんの疑問も抱かなかった。当然の道理のように、受け入れている。

「龍府は目前だというのに」

「悔しいですな」

 軍議の最中なのだろう――様々な声が飛び交っていた。レオンガンドの四友、大将軍に左眼将軍などが顔を揃えているようだった。無数の声、無数の意見、無数の思惑が彼の意識の上を通り抜けていく。耳に留まり、心に引っかかるのはやはり、主君の声だけなのだ。

「五方防護陣を抜くこともできず、ザルワーンが勢いを盛り返した以上、致し方あるまい。それに……」

 レオンガンドが声の調子を落としたのは、それを口にするのが恐ろしかったからなのだろうか。セツナにはその辺の機微はよくわからなかったが、なんとなく、そのように感じられた。

「セツナを失ってしまった」

 軍議の場が静まり返ったのは、必然だっただろう。

 セツナが死んだ。

 セツナ・ゼノン=カミヤ。

 黒き矛カオスブリンガーの武装召喚師であり、ガンディア躍進の要として知られる人物。王宮召喚師にして、王立親衛隊《獅子の尾》の隊長である彼は、ザルワーン戦争においても多大な戦果を上げた。ナグラシアの電撃的な制圧に始まり、バハンダールの陥落、ミリュウが率いたザルワーン軍の撃滅。一騎当千の活躍ぶりは、ガンディアの主戦力と呼ばれるに相応しいものだった。

 その彼が死んだ。

 受け入れがたい事実にだれもが息を潜め、言葉を発することさえしないようだった。

「……ゼオルまで退き、戦力を立て直す。状況次第ではナグラシアまで戦線を下げることも考えなければならん。東が騒がしいという話もある」

「ジベルですな」

「ああ」

 レオンガンドが囁くようにうなずく。

 静寂に満ちた軍議の場に、彼の声はよく響いた。

 連戦連勝の勢いに乗じて五方防護陣を突破し、龍府に雪崩れ込むという算段は脆くも崩れ去ったのだ。しかも、攻撃の要たる黒き矛を失ってしまった。ザルワーンが勢いを盛り返せば、戦線を下げる必要性が出てくるのも当然ではあったが。

 だが彼は、疑問を感じずにはいられなかった。

(ちょっとまってくれ……! だれが死んだって?)

 セツナは言葉を発したつもりだったが、声にすらならなかった。

 眼前には闇が横たわり、レオンガンドたちの姿も見えない。死んで、魂だけの存在に成り果て、視力を失ったとでもいうのだろうか。だとすれば、声が聞こえるのはおかしいことだ。それに死者の魂がなにゆえ、ガンディア軍の軍議の場に漂っているというのか。

 戦場で命を落としたとすれば、無念以外のなにものでもない。その無念さ故に、魂だけの存在となってレオンガンドの元に馳せ参じたとでもいうのか。死んだ記憶もないというのに。

 そもそも、さっきまでなにをしていたのかさえ定かではなかったが。

「魔龍窟の武装召喚師……か」

「セツナ殿を死に追いやった武装召喚師ミリュウ=リバイエンは、主を失った黒き矛を手にし、西進軍を全滅。バハンダールをザルワーンの手に奪還したとのこと」

 ゼフィル=マルディーンの台詞によって、セツナは状況を理解したものの、自分の記憶との齟齬の中で混乱を覚えた。

(ミリュウが俺を……?)

 確かに、彼女に圧倒された覚えはある。武装召喚師として、戦士として格上の技量を誇るミリュウが黒き矛の複製を手にしたがために、カオスブリンガーの装備という優位性を完全に失った挙句、命を取られかけたのは事実だ。

 しかし、セツナは生き延びたはずだ。ミリュウが黒き矛を扱いきれなかったおかげで助かったはずなのだ。運が良かった。もし、ミリュウが黒き矛の力を完全に制御していれば、セツナは彼女によって殺され、西進軍は壊滅の憂き目に遭っていたかもしれない。ゼフィルのいうように。

(これは夢だ)

 確信とともに瞼を開けると、目の前に女の顔があった。大きな目がこちらの顔を覗きこんでいて、瞳に自分の顔が映っている。疲労の残る少年の顔。セツナ・ゼノン=カミヤという少年の顔。

 不意に女の顔が真っ赤に燃え上がったかと思うと、飛ぶように離れた。

「ん……?」

 セツナは、ぼんやりとした意識を抱えたまま、首を横に向けた。女が隣に座っている。

「起きてるなら起きてるっていってくれない?」

 そういって、憮然とした顔を見せたのはミリュウ=リバイエンだった。派手な赤毛が、妙に目に痛い。髪の色と同じ真紅の軍服を身につけている。ガンディア方面軍の制服であり、ログナー方面軍の青の軍服とは対照的な色合いといってもよかった。赤い髪の彼女にはよく似合っている。もっとも、ザルワーン人には嬉しくない感想だろうが。

「ミリュウ?」

「そうだけど?」

 彼女が怪訝な表情を浮かべたのは、セツナの反応が不審だったからに違いない。が、セツナこそ彼女と同じような顔をするしかなかった。

 目が覚めたと思ったら、目の前にミリュウの顔があったのだ。驚かなかっただけましだといえる。いや、驚いてはいたのだが、意識がまだ覚醒しきっていないため、反応が鈍くなったのだろう。そう冷静に考えている自分に気づき、苦笑しそうになる。

「なんで?」

「なんで、って看てあげていたんでしょ」

「え、あー……ありがとう」

「あ、改めてお礼いわれるようなことでもないけど……」

 ミリュウのしどろもどろな返答に小首を傾げながら、上体を起こす。全身に痛みが走り、寝惚けていた意識を叩き起こすかのようだった。それでも、完全には目覚めないのが困りものだが。

「ここは……」

 見回せば、テントの中だというのは一目瞭然だった。頭上と四方を覆う天幕は、現在、雨除けとして機能しているようだ。激しい雨音がいまさらのように聞こえている。

 テントの中に設けられた寝具の上でセツナは寝かされていたらしい。全身の痛みが絶えないのは、寝ている場所や姿勢のせいではあるまい。戦闘の後遺症のようなものだろう。黒き矛の反動といっていい。もっとも、反動にしては外的要因の強そうな痛みだったし、体中に巻きつけられた包帯の量からしても、それだけではないということがよくわかった。

「俺は確か、戦っていたんじゃ……」

 セツナは、未だはっきりとしない頭で記憶を探りながらつぶやいた。覚えていることといえば、突如出現したドラゴンの調査に向かい、戦闘になってしまったということだ。

「まさか、覚えていないの?」

「え……?」

「はあ、三日も寝ていたと思ったらこれだもの。ファリアも報われないわね」

「ファリアがどうかしたのか!?」

 セツナが詰め寄ると、ミリュウは少し目を細めた。なにかいおうとしたようだったが、諦めたように首を振った。静かに告げてくる。

「彼女は無事よ。今も元気に働いているわ」

「そうか……。良かった……」

「本当にね」

 ミリュウの含みのある言い方が気にはなったが、いまは追及している場合ではなかった。セツナはまだ、自分の身が置かれている状況を把握していないのだ。ドラゴンの調査から戦闘に至る経過は思い出せる。だが、戦闘がどのようにして終わったのかはわからなかった。

 ドラゴンが黒き竜へと変貌を遂げたのは覚えている。記憶の奥底に、その瞬間の感情が刻まれていた。夢に見る黒き矛の化身が顕現したことは、セツナにとってはこの上なく衝撃的だった。黒き矛の攻撃を受けての変化だ。黒き矛の力を表現すれば、複眼の黒き竜になるのかもしれない。

 あの夢に見る竜は、本当に黒き矛の意志の現れなのだろうか。

「感謝なさいよ、あなたの女神にね」

 ミリュウの言葉の意味が咄嗟には理解できず、彼はただただ反芻するように口にした。

「女神?」

「あー……こっちのことよ」

 少しばつの悪そうな顔をした彼女は、隣で丸くなっていた子犬を抱き抱えた。

「ともかく、あなたが無事なのはファリアのおかげってこと」

「ファリアの……」

「あのとき、あたしにはなにもできなかった」

 ミリュウは目を伏せた。

「それが少し悔しいかな」

 彼女がなにを考えているのか、セツナにはわからない。が、ミリュウがファリアに対して並々ならぬ対抗意識を抱いているのは理解していたし、セツナに対してなぜか好意的なのもわかってはいた。

 だから、どう、ということはない。

 彼女は捕虜であり、セツナはガンディアの武装召喚師であるというだけのことだ。彼女の提案を受け入れた結果、彼女を監視するという役目を押し付けられたものの、そんなことでなにかが変わるということはないのだ。もっとも、ミリュウに対するわだかまりが消えかけていることにも気づいてはいるのだが。

 ミリュウの腕に抱かれた子犬の黒い毛並みをぼんやりと眺めながら考えるのは、そういうことだ。ミリュウと自分の不可解な関係性について。

 彼女は敵だった。

 強敵だった。

 ザルワーンが誇る武装召喚師養成機関・魔龍窟出身の武装召喚師である彼女は、その経歴に恥じぬ実力の持ち主であり、終始セツナを圧倒していた。彼女に敗れ、死ななかったのは、ミリュウが黒き矛の複製物を制御しきれなかったからだ。

 ただそれだけのことで、セツナは生を享受している。

 結果的に勝利を得たのはセツナだとだれもがいう。生き延び、ミリュウを捕虜の身に落とすことができたのだ。勝利以外のなにものでもない。それはわかっている。理解してはいる。それでも、情けないと思わざるを得ない。

 無残な戦闘だった。常に押され、出し抜くことなどできなかった。

 いままで、黒き矛の力に頼りすぎていたつけが来たのだ。鉄の鎧を紙切れのように切り裂き、岩塊を容易く打ち砕く、まさに無双の力を秘めた召喚武装。それがカオスブリンガーだ。その力だけが、セツナ・ゼノン=カミヤという少年の価値だった。黒き矛がなければなにもできないような、か弱い人間なのだと改めて思い知ったのが、ミリュウとの戦闘だった。

 完全に再現した黒き矛を手にしたミリュウが見せたのは、セツナを遥かに凌駕する力だった。黒き矛に秘められた可能性だった。一振りで木々を薙ぎ倒したのを見たとき、セツナは、自分が如何に黒き矛を使いこなせていないのかを思い知る羽目になった。

 同じ召喚武装を手にしたとき、勝敗の決め手となるのは当人の実力なのだ。武装召喚師としての技量であり、戦士としての実力の差が、勝敗を決定づける。

 あのまま、ミリュウが気を失わなければ、セツナは間違いなく殺されていただろう。ミリュウには純然たる殺意があり、敵意があった。たとえ、セツナが気を失ったのだとしても、躊躇いなく殺したはずだ。あのときの彼女には、セツナのような甘さはなかった。

 セツナは、ミリュウを殺さなかったが、それが正しかったのかはいまでもわからない。龍府の内部を道案内するというものの、それを信用していいものかどうか。龍府に戻った途端、敵に戻るかもしれない。そうなれば、セツナは今度こそ彼女を殺さなくてはならない。

 それが、少しだけ恐ろしい。

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