第三千九十六話 光剣対騎神(五)
オズフェルトが、自分の身に起こった非常事態を理解したのは、全身に生じた途方もない激痛と、真躯ライトブライトの巨躯が音を立てて崩れ落ちていくのを知ったからだ。
ライトブライトの全身を包み込む強固な装甲が、一瞬にして切り刻まれたのだ。装甲だけではない。甲冑を着込んだ肉体そのものが徹底的に切り裂かれ、破壊され尽くした。粉々に打ち砕かれ、跡形すら残さない。ぼろぼろに砕け散り、音を立てて崩れ去る。
地に残るのは、塵芥のような救力の残り香であり、オズフェルトは、ただの人間として立ち尽くしている自分に気づかされた。
そして、天地を支える柱のように聳え立つワールドガーディアンの威容を目の当たりにしている。
ワールドガーディアンは、こちらを見下ろしている。人間時の十数倍の巨躯である真躯、その数倍の巨大さを誇るワールドガーディアンは、質量ともに圧倒的というほかない。ライトブライトとなって対峙したときですら感じた威圧感は、いま、全身を苛む激痛を忘れさせるくらいの圧力と迫力でもって、オズフェルトの前に立ちはだかっている。
ワールドガーディアンが、振り抜いたまま掲げていた極大剣を天に翳した。すると、遙か上空より降り注ぐ陽光を浴びて、極大剣の刀身が鮮やかに輝いた。ただでさえ神々しいワールドガーディアンの姿が、より一層、威厳に満ちたものに見える。
「だが、意気だけでは、我を越えることはかなわぬと知れ」
ワールドガーディアンの極大剣が回転し、剣先が足下の地面に突き刺さる。
不動の構えに戻ったのだ。
それはなぜか。
(わたしか……)
オズフェルトは、全身の骨がばらばらになったような錯覚に苦しんでいた。真躯は、オズフェルトの肉体そのものではない。救力の結晶たる化身であり、たとえ真躯が破壊されたとしても、真躯を操る当人が死ぬことはない。
基本的には、だ。
例外はある。
真躯を徹底的に破壊し、救力を消耗させていけば、その力の源たる命を絶えさせることも不可能ではない。また、真躯ごと本体たる操者を消滅させることも、必ずしも不可能とはいえないだろう。
ワールドガーディアンの力であれば、なおさらだ。
しかし、ワールドガーディアンはそうしなかった。
ただ、ライトブライトを切り刻み、一時的に破壊し尽くしただけで終わっている。
オズフェルトの命を取らなかった。
殺さなかった。
殺されなかったのだ。
(わたしを待っている……)
荒い呼吸を整え、精神を集中させる。真躯が受けた痛撃は、そのまま操者に届くわけではない。が、全身をずたずたに切り裂かれ、徹底的に破壊されもすれば、深刻な痛みとなってオズフェルトに襲いかかってくるのは、当然の結果だったのだ。
肉体が原型を保っているのが不思議に思うほどの痛み。
現実的な、幻覚。
実際には、彼の肉体はまったくの無傷であり、掠り傷ひとつない。しかし、オズフェルトは心身ともに消耗し、立っているのがやっとという状態だった。呼吸は苦しく、空気を求めて喘いでいた。目は回り、耳は鳴り、喉が渇く。肉体が悲鳴を上げ、精神が慟哭している。
それでも、彼は、剣を掲げなければならない。
(わたしが立つのを、待っている)
オズフェルトは、ようやく呼吸が正常化したのを認めて、安堵した。まだ、戦える。
「照らせ」
告げ、再び真躯を顕現させる。
救力の爆発的な光の中から真躯ライトブライトが出現すると、ワールドガーディアンは、待ちわびていたかのように兜の奥の双眸を輝かせた。極大剣が大地から引き抜かれる。もはや、不動の構えで遊ぶのは終わりだ、とでもいわんばかりであり、その圧力たるや、オズフェルトが思わず後退しかけたほどだ。
辛くも堪え、対峙する。
真躯の中で巨大化した感覚は、全身の痛みを肥大させたが、それも一瞬のことだ。すぐさま、彼は痛みを消し去り、戦いに集中した。
試練を乗り越えなくては、ならない。
でなければ前に進めず、未来も見えない。
世界を救うどころか、ベノアガルドを護ることもできない。
「確かに、あなたのいうとおりだ。意気だけでは」
「そう、意気だけでは――」
またしても、声が聞こえたのは後方からだった。今度は、より疾く、より遠い。そして、全身に激痛が生じるのも、同じだ。目にも映らないほどの速度での移動と斬撃。それもただの一度ではない。何度となく斬りつけられている。でたらめなまでに。
ばらばらになって地に落ちれば、真躯は解け、元の人間に戻る。人間オズフェルトに。消耗し、激痛に喘ぐ、ただの脆弱な人間に。
だが、死なない。
殺されていないのだから、死ぬわけがない。
だから、立ち上がり、剣を掲げる。
「まだだ……まだ、やれる……!」
真躯を顕現すれば、つぎの瞬間には切り刻まれ、ばらばらになっている。だが、死んでいるわけではない。消耗し尽くしているわけではない。命があり、力が残っている。
ならば、やれる。
「こんなもの……なんということはない……!」
オズフェルトは、吼えた。どこかのだれかのように吼えて、気概を込めた。
それでも、立っていることすら許されない。剣風が吹き抜けたつぎの瞬間、真躯の胴体から頭と手足を切り離され、さらに分解されている。
そして、元の人間に戻るのだ。
「まだ、まだまだ……!」
息も絶え絶えといった有り様だったが、オズフェルトに諦めるつもりなど一切なかった。全身に刻まれる痛みが増えるたび、真躯が徹底的に破壊されるたび、力を失い、弱々しくなっていく自分を認識するのだが、それでも、彼は立ち上がり、剣を掲げるのだ。
真躯を顕現し、ワールドガーディアンと対峙する。
そして、切り刻まれて、地に放り出される。
繰り返しだ。
その繰り返し。
何度も何度も繰り返していく。
「やはり、意気だけではないか」
フェイルリングの声が、遙か遠くに聞こえる。
すぐ目の前にいるはずなのに、姿すら遠い。目が霞んで、遠近感が定かではなかった。目だけではない。耳にも異常が出始めている。あらゆる感覚に狂いが生じていて、正常な部分などなにひとつ残っていないようだった。
「いや、意地か」
ワールドガーディアンは、極大剣を足下に突き立てていた。こちらを見下ろしているのだろうが、よくわからない。
オズフェルトは、もはや呼吸すら困難な状態にまで陥っていたのだ。
「どちらでも、同じことだ」
違う、とはいえなかった。
意気であり、意地だ。
それだけが、オズフェルトを奮い立たせている。オズフェルトの意識を現実に引き留めている。もし、意気も意地もなければ、とっくに気を失っているはずだ。夢の世界か、それとも死の国か。いずれかに旅立っていることだろう。
朦朧とした意識の中で、それでも立ち上がれるのは、やはりそこに意地があるからだ。
騎士団長としての意地。
オズフェルトを除く騎士たちは、既に試練を終えていた。
ルヴェリスのフルカラーズは、フィエンネルのデュアルブレイドを、シドのオールラウンドは、カーラインのフレイムコーラーを、それぞれ激闘の末に打ち破っている。ベインのハイパワードは、ドレイクのディヴァインドレッドを、ロウファのヘブンズアイは、カーラインのランスフォースを、やはり死闘の果てに討ち斃しているのだ。
皆がそれぞれの試練を突破した以上、彼らの上に立つ騎士団長たる自分だけが試練を諦めるなど、あってはならないことだ。
尊敬する彼らだからこそ、自分だけが負けるわけにはいかない。それこそ、騎士団の誇りに泥を塗るような、恥ずべき行いだ。
意地がある。
ベノアガルドを旅立つフェイルリングに騎士団を任されたものとしての意地と責任があるのだ。
ワールドガーディアンは、いった。
「意気や意地だけで、我を越えられるなどと思わぬことだ。考えぬことだ。想いだけでどうにかなるほど、この世界は安くはない」
(そんなことは――)
わかっている。




