第三千八十五話 天弓対絶槍(二)
ロウファは、見事に成功した策に浮かれることなく、一瞬動けなくなったランスフォースから飛び離れると、そのまま、上空への飛翔を開始した。
救力を用いれば空中での姿勢制御や方向転換、再跳躍すらも可能なのは、十三騎士ならば常識といっても過言ではないが、ヘブンズアイのそれは、純粋な飛翔能力であり、すべての真躯の中でもっとも飛行能力に優れているのがヘブンズアイだった。
空中は、ヘブンズアイの領分だ。
とはいえ、空中での戦闘を得意としているわけではない。
空中戦ならば、シヴュラのエクステンペストやシドのオールラウンドのほうが分があるのではないか。おそらくだが、この試練がエクステンペスト、オールラウンドのいずれかの真躯との戦闘であれば、ロウファの不利具合は、いま以上だっただろう。領分たる空中に逃れたところで、エクステンペストは嵐を起こし、オールラウンドは雷光となって迫ってくるのだ。
不利も甚だしい。
「さすがに、考えますな」
カーラインが、いまも濛々と立ちこめる爆煙の中から賞賛の声を上げてきた。爆煙に包まれているのは、ランスフォースの頭部だけだであり、上空から見下ろすと、奇妙な光景に見えなくもなかった。甲冑を纏う巨人が、頭部から煙を噴き出しているのだ。奇妙というよりは、珍妙というべきか。
しかし、その爆煙も事も無げに消え去ると、傷ひとつないランスフォースの頭部が現れた。
「しかし、この程度では」
「だったら、これならどうだ?」
ロウファは、上空にあって、初めてヘブンズアイの真価を発揮しようとしていた。ヘブンズアイは、空中戦を得意とするわけではないが、空中こそが領分であり、空中でこそ、その能力を最大限に発揮できるという特徴があった。
地上では、真躯中最大最高の射程を誇る超長距離攻撃も使用できないのだ。
だからこそ、彼はランスフォースとの距離を取ることに意識を向けていたのであり、ランスフォースの足止めに躍起にならなければならなかった。地上戦では、どうしたところで不利なのだ。距離を詰められれば、最初のように手も足も出ず、回避に専念しようにも、追いつかれ、攻撃を受けざるを得なくなる。
かといって、こちらから打って出るのも、難しい。
ヘブンズアイは、遠距離攻撃を得意とする、というよりは、遠距離攻撃に特化しているといったほうが正しい。
近・中距離を得意とし、遠距離も決して不得手ではないランスフォースとは、決定的に相性が悪いのだ。
ただしそれは、地上戦に限定した場合のみだ。
空中に移動することさえできれば、話は別だ。
光背を展開し、救力を集中させる。と、
「させませんよ!」
カーラインが叫び、ランスフォースが地を蹴った。空中高く飛び上がり、最高到達点でもう一度、跳躍した。救力による再跳躍。凄まじい速度と勢いによって、猛然と突っ込んでくるランスフォースからは背筋が凍るほどの圧力を感じずにはいられないが、しかし、ロウファは、冷静だった。
(それじゃあ届かない)
ランスフォースがどれだけの勢いで跳ぼうとも、遙か上空に達しているヘブンズアイには、とても到達できるわけがなかったのだ。それでも、ランスフォースからしてみれば、跳ばざるを得ない。跳び、できるだけ距離を近づけさせ、右腕を伸ばしきる。そして、槍を突き出し、穂先から光の槍を射出するのだ。
そのときには、ヘブンズアイの光背は、展開を終えていた。曲線を描く光背が展開しきると、地上から見れば、まさに天に開く巨大な目のようだっただろう。そして、その目が瞬くようにして、光芒を放つのだ。膨大な破壊の光が奔流となって降り注ぎ、極大の光の柱が聳え立つ。
光の槍ごとランスフォースを飲み込み、その全身を破壊しながら地に叩きつけ、さらに止めどなく破壊の力を叩きつけていく。
ロウファは、容赦しない。
これは試練だ。
ロウファに課せられたミヴューラ神からの試練。
であれば、情け容赦などする必要はない。そもそも、相手は偽者なのだ。偽者のカーラインであり、本人ではないのだから、手加減をしなければならない理由はない。そんなことをしている場合でもない。
故に、彼は、全霊の力を込めた。
ヘブンズアイの真価を発揮し、力を放ち続けた。
ランスフォースを徹底的に破壊し続け、粉々になるまで力を注ぐ。
一度、己の領分にさえ至ることが出来れば、そこから一方的な展開になるのは、ヘブンズアイの性質上、当然のことだった。当たり前の、ありふれた結果だ。これは、相手がだれであれ、そうなるものだ。たとえ“神武”のドレイク、その真躯たるディヴァインドレッドが相手であったとしても、こうなったに違いないという確信がある。
なぜならば、これほどの高度に到達できるものは、ヘブンズアイを除いてほかにはいないからだ。
いや、それだけではない。
この高度から、これだけの威力を持った攻撃を地上に届かせることができるのも、ヘブンズアイだけだろう。他の真躯には真似のできない、唯一無二の取り柄。得手。地上戦を不得意とし、近接戦闘を弱点とするには余りあるほどの強みといっていいのではないか。
もっとも、そうはいっても、高空に至る前に完膚なきまでに破壊されてしまえばそれで終わりであり、そういう意味でも、相手がランスフォースだったのは好都合だった。
ランスフォースは、貫通力においてはほかに並ぶものがおらず、真躯の中でも最大最強といってもいいのだが、それだけといってもよかった。当たれば確実に貫通する槍も、当たらなければどうとでもなるし、当たっても、その部分を犠牲にすればやり過ごすことができる。
これがディヴァインドレッドだったらば、どうだったか。デュアルブレイドならば。いずれにせよ、ロウファが上空に至る前に真躯を破壊されて、終わってしまったのではないだろうか
(結局は相性が物をいっただけのことだ)
ロウファは、眼下を見遣り、目を細めた。破壊の光の照射を終え、地上には、もはやなにも残っていなかった。盟約の丘の一角に大穴が開いているだけだ。ヘブンズアイの視力をもってしても底が見えないほどに深く、巨大な穴。ランスフォースは、跡形もなく消滅したのだろう。
そう想った矢先だった。
「まだですよ。まだまだ……」
カーラインの声が、聞こえた。
「まだ、わたしは負けていません」
大穴の底とは異なる場所に彼は立ち尽くしていた。
「斃れていない」
真躯ランスフォースは、無事とはいえない有り様だった。それはそうだろう。ロウファは、手加減をした覚えがないのだ。最大威力の破壊の光を長時間照射し続けた。丘の表面を抉り、貫き、地底深くまで続く墓穴の底のような大穴を空けるほどに、だ。真躯を消滅させるには十分すぎるほどの力を費やしたはずだった。
それなのに。
「ここにいる!」
ランスフォースは、見るも無惨な有り様で、立ち尽くしていた。
立ち尽くし、こちらを仰ぎ見ていた。
甲冑は原型を留めておらず、全身、至る所が損壊している。にも関わらず、ランスフォースの兜の奥で、双眸は爛々と輝き、闘志を失ってはいない。
むしろ、俄然、闘志が燃えてきたといわんばかりだった。
(ああ……)
ロウファは、ヘブンズアイの目を通して、ランスフォースにカーラインの面影を見ていた。
(あなたは、そういうひとだったな)




