第三千七十九話 狂乱対神武(四)
「んなわけがあるか!」
「いいや、それが事実だ。卿の」
ベインの反論をにべもなく撥ね除けて、ドレイクはいってくる。ドレイクという人間を演じる、ミヴューラ神の分霊。故にこそ説得力があり、反論の言葉も意味を為さないことを思い知る。
「ベイン。卿は、己に課した枷を外すべきだ。仲間を傷つけることを恐れ、怯え、震えながらつけた枷を」
「枷……?」
なにをいっているのか、と、彼は思った。単純な疑問だった。そんなものはない、と、大声で言い返したかった。言い返せばよかった。ないのだから、ないと主張するのは当然のことだ。当たり前の反論。反応。けれどもベインは言葉を飲み込んで、考え込んでしまった。脳裏に疑問が湧いた。
全力を出せない。
それが相手の出した結論であり、断言なのだが、妄言と切って捨てることができなかった。妙な筆禍利を覚える。
いつだって本気で戦ってきた。それは本当だ。自分の記憶に嘘は泣く、思い込みでもなんでもない。それが嘘ならば、数え切れないほどに戦ってきたすべてが嘘になってしまう。
だが、全力とはなにか。
枷とはなにか。
そう考えたとき、氷解した。
(ああ、そういうことか)
「でなければ、本当に護らなければならないものを護れなくなる」
気がつくと、吼えていた。
吼えながら、泣いていた。
なぜ、涙が零れるのかわからなかった。だが、止めどなく流れる涙の向こう側に過去を視て、そこに自分が立っていた。自分がなぜ、他人に忌み嫌われ、蔑まれるような立場にいたのか。なぜ、暴れ回り、荒れ狂っていたのか。その理由をつぶさに知った。思い出したのだ。なにもかもを。
『おまえは自分がなにをしたのか、理解しているのか』
怒りに満ちた声は、同時に恐怖と不快感を持っていた。だが、当然の反応だったし、それに対する反論の言葉を持ってはいなかった。
訓練相手を殺しかけたのは、ベイン自身だ。だから、なにもいわなかった。ただ、父の言葉を聞いているほかなかったし、それで精一杯だった。自分でも、なぜ、そうなったのかを理解できなかったのだ。
なぜ、訓練相手たちを血の海に沈めていたのか。
『またやったのか。これで何度目だ』
『何度いえばわかるんだ。訓練と実戦は違うのだぞ』
『学ばない人間は獣以下だといったはずだ。なぜそれを――』
いつからだろう。
父はなにもいわなくなり、母も口を聞いてくれなくなった。
だれひとりとして、味方はいなかった。
それでもよかった。
味方など、必要ない。
自分は、最初からひとりだったのだ。だったら、最後までひとりでいい。ひとりで生きて、ひとりで死ねばいい。その結果、ラナコート家が途絶えようと、どうだっていいことだ。どうせ、だれひとりとして自分を認めてくれないのだから。
そう、考えていた。
シド、ロウファと出逢うそのときまでは、確かにそうだったのだ。
だが、シド、ロウファと出逢い、変わった。
シドがいて、ロウファがいて、自分がいる。これほど心地の良い場所はなかった。そこが自分の居場所だと想った。彼は初めて、自分の居場所というものを手に入れたのだ。その幸福感たるや、彼の人生観を変えるほどのものだった。
ひとりで生きて、ひとりで死ぬ――そのような価値観は、いつの間にか捨て去っていた。
シドたちとともに生きて、死のう。
そう想うようになったとき、彼は、ようやく自分というものを手に入れたのだろう。
そしてそれが、枷。
「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
雷鳴が聞こえた。
それが自分自身の咆哮だということに気がつくと、いつの間にか立っていることを知った。吹き飛ばされたはずの足が元通りに戻っていた。足だけではない。両腕もだ。そして、いつにも増して沸き上がってくる力を感じた。あらゆる感覚が鮮明に、透き通っているような、そんな気がした。気のせいではあるまい。というのも、思考が明瞭になっていたからだ。
先程までの疑問も、違和も、不満も不安もなにもかも消え去っていて、ただ、目の前の敵だけを見ていた。
なにも考えない。なにも想わない。なにも悩まない。
なにも、いわない。
ベインは、一歩、踏み出した。瞬間、ディヴァインドレッドが反応し、弓から救力の矢を放つ。しかし、ベインのハイパワードには掠りもしない。遙か後方の大地に直撃し、爆発したときには、ベインは、ディヴァインドレッドの真下に潜り込んでいる。最大出力による急加速で矢を潜り抜け、間合いに入ったのだ。
ベインの、ハイパワードの目は、ディヴァインドレッドを精確に捉えている。
踏み締める。足下の地面が割れ、周囲一帯が陥没するほどの力を込めて、飛ぶ。それこそ、矢のように。一瞬にしてディヴァインドレッドの懐へと到達し、両拳を同時に繰り出した。そして、籠手の噴出口から噴き出す爆発的な救力が、両拳を急激に加速させる。
拳は、ディヴァインドレッドの腹部装甲に直撃した。
しかも両方だ。両拳が分厚い装甲に突き刺さり、へし曲げていく。抜群の手応えとともに物凄まじい反発と、猛烈な殺気を感じた。瞬時に上体を捻り、相手の胴体を蹴りつけると、その反動で飛び退き、加速した。同時だった。暴風のような斬撃が、虚空を切り刻む。ディヴァインドレッドの双剣が舞ったのだ。
だが、ベインは、双剣の間合いの外にいる。
かわしたのだ。
完璧に攻撃を叩き込み、完全無欠に回避してみせたのだ。
感覚が、いつも以上に研ぎ澄まされていた。その研ぎ澄まされた感覚に反射が追いつき、肉体が動いている。真躯が、思い通りに、いや、無意識の反射のまま、動いていた。なにも考えていない。なにも想っていない。なにも悩んでいない。
なにも、ない。
まるで空気のように。
彼は、ディヴァインドレッドが双剣を融合させ、大剣に変形させるのを見て、再び間合いを詰めた。踏み込み、大剣に変形するよりも早く、懐に肉薄する。ディヴァインドレッドは、焦らない。余裕さえ感じさせる動きだった。その上、隙だらけだ。だからこそ、ベインは、ハイパワードで跳躍した。大きく飛び、ディヴァインドレッドの頭上を越える。眼下、ハイパワードの進路に剣閃が走るのが見えた。
よく見れば、大剣ならざる別の刃が、ディヴァインドレッドの甲冑から飛び出している。ただしそれはただの牽制に過ぎない。本命は、大剣の一撃だ。だからこそ、ベインが飛び込んでくるのを待っていた。しかし、ベインは無意識に察知したことで牽制さえも台無しにして、ディヴァインドレッドの頭上を取った。
空中での姿勢制御、方向転換は、真躯ならば簡単なことだ。特に装甲の各所に噴出口を備えたハイパワードならば、空中で反転し、地上に向かって突貫することだって容易だった。
視界は、ディヴァインドレッドを捕捉している。
“神武”の騎士が駆る真躯は、輝かしい大剣を手に、迎撃の構えを見せていた。大剣の切っ先を地面に擦れそうなほどに下ろした構え。掬い上げるように振り上げて、叩き切るつもりなのだろう。もしくは、先程用いた刃でなにかしてくるのか。
ベインには、関係がなかった。
ディヴァインドレッドがどのような対策を練っていようと、ベインとハイパワードにできることは、ひとつしかない。
突き進んで殴りつける。
それだけがハイパワードの攻撃手段であり、すべてだ。
ベインは、再び、雷鳴を聞いた。
それが自身の咆哮だということに気づいたのは、ディヴァインドレッドの大剣が虚空に刻んだまばゆい残光に目を灼かれた後のことだ。
そして、そのときには決着がついている。
ハイパワードの右拳がディヴァインドレッドの胸部装甲を貫き、膨大な救力を炸裂させたのだ。
直後、雷鳴よりも巨大な爆音が、ベインの意識を塗り潰していった。