第三千七十二話 救世への道(四)
戦況は、必ずしも芳しいといえるものではなかった。押されているといってよく、一方的な展開とさえいた。
しかし、それも想定の範囲内だった。
相手はあのドレイク・ザン=エーテリアだ。偽者とはいえ、完璧といっても過言ではないほどに再現されているだけでなく、本物以上の力を秘めていることが発覚したことは、ベインの心に追い打ちをかけるようなものだった。
「こんなものか?」
ドレイクの姿をしたミヴューラ神の分霊は、大剣を振り翳しながら問うてくる。相も変わらぬ泰然とした態度は、まさに“神武”のドレイクに相応しいものだが、同時に、ベインを奮起させた。ベインは、いつだって自分が乗り越える壁として、ドレイクを想定していたからだ。
騎士団最強のドレイクを乗り越えることこそ、ベインにとって最初にして最難関の目標だった。
質問に答える代わりに立ち上がり、拳を構える。
既に何度となく吹き飛ばされ、打ちのめされている。全身は痛み、傷口から血が流れていたが、気にしている場合ではない。
盟約の丘は、いまや戦場そのものだ。
だれもが神とその分霊たちとの戦いに身を投じている。
逃れる術はなく、交渉の余地はない。
戦い、打ち勝つ以外に道はないのだ。
「まさか」
笑い、己を鼓舞する。
闘争心は、変わらない。いや、むしろ、相手の正体がわかったことで、俄然、燃え上がっているといってよかった。
ただの偽者ではない。ミヴューラ神が用意した偽者だったということが判明したいま、ドレイクに対する怒りは消え去り、超えるべき壁という認識が新たに生まれた。そして、ドレイクがなぜ、ベインの敵となったのか、運命のようなものを感じずにはいられない。
(神様はすべてお見通しってか……!)
ベインにとって、ドレイクはなんとしても乗り越えなければならない存在だった。
最初から、ずっと、そうだった。
だから、この数年、張り合いがなかったのではないか。
勝ち逃げのまま、ドレイクは還らぬひととなった。なってしまった。もう二度と拳を交えるどころか、会うことさえかなわなくなってしまった。そのことが消化不良として、彼の中にあったのだ。
もちろん、目の前にいるのはドレイク本人ではない。ではないが、本人以上の力を持つドレイクが眼前にいて、全力で戦ってくれるというのだ。これ以上の好機はなかった。
偽者とはいえ、このドレイクに打ち勝つということは、最難関の壁を乗り越えるということにほかならない。
ベインは燃えた。そして、吼えた。
「おおおおおおおっ」
「吼えるだけなら犬にもできる」
「るせえっ!」
叫び、踏み込んだ。大剣が閃く。縦一閃。剣風が衝撃波となり、これまで同様、大地を切り裂きながら突き進んでくる。ベインは、避けない。幻装籠手で顔面を庇うようにしながら、衝撃波の真っ只中を突っ切るようにして、突貫する。救力の防壁すら貫通する衝撃波の激痛を堪えた先に、ドレイクの変わらぬ顔があった。
「相も変わらぬ狂人ぶりだ」
「褒め言葉と受け取るぜ」
両腕を振りかぶり、叩きつければ、大剣の腹で受け止められ、幻装同士が衝突した。救力が爆ぜ、凄まじい反動がベインとドレイクの両者を襲う。またしても吹き飛ばされながら、しかし、ベインは確かに聞いていた。大剣が砕け散る悲鳴を聞いていた。
事実、ドレイクの幻装大剣は、刀身の半ばで折れており、彼は、ベイン同様に吹き飛ばされながらその事実に気づいたようだった。
ベインは、救力による空中での姿勢制御を行って着地すると、己の幻装籠手が無事であることを確認し、にやりとした。
「俺のほうが上手だったな!」
「勝利宣言は早いぞ、ベイン・ベルバイン・ザン=ラナコート」
ベインよりも華麗に着地して見せたドレイクは、折れた大剣を手にしたまま、告げてきた。その表情には微塵も動揺が見えない。この程度驚くには値しない、とでもいうのだろう。
(まるでエーテリア卿みたいだな)
ベインは、それによって、ミヴューラ神がどれだけ自分たちを深く観察し、理解しているかを改めて思い知った。ミヴューラ神にとってベインたち神卓騎士はただの手駒ではなく、供に戦う同志である、という神自身の言葉は、本心に違いないと確信できる。同志だからこそ、完璧に再現できるほどに観察し、記憶しているのではないか。
ドレイクが動揺したことなど、一度だってあっただろうか。
いつだって彼は泰然としていた。
まるで大地に根を張り、微動だにしない大樹のように。
だからこそ、ベインは、彼をいつか必ず乗り越えるべき壁として定めたのだ。
だれよりも強く、だれよりも大きく、だれよりも静かなドレイクだからこそ、ベインは、乗り越えたいと想ったのだ。
「本番はここからだ」
ドレイクは、折れた大剣を天に翳した。
「示せ」
ドレイクの全身が光を発した。膨大な救力が爆発的に拡散し、上方へと伸びていく。それは紛れもなく、真躯の顕現だった。
「おいおい……まじかよ……!」
ベインは、呆れるよりもむしろ、歓喜の声を上げていた。
そして、自分自身もまた、真躯を具現するべく力を解き放った。
「滾れ!」
「奔れ」
カーライン・ザン=ローディスのその一言がなにを示しているのかを知らないロウファではなかったし、その瞬間、彼は血の気が引く想いがした。というのも、その一言がカーラインの真価を発揮するための合い言葉そのものであり、それは、真躯の顕現を意味したからだ。
まさか、ここで真躯を顕現するなど、さすがに想定外のことだ。
想定外のことだが、彼は、カーラインの偽者、その全身がまばゆい救力の光に包まれていく様を認めるほかなかったし、認識した以上、対応しなければならないこともわかっていた。
(どうなっても知らないからな!)
胸中で吐き捨てたのは、既に崩壊寸前といっても過言ではない惨状の盟約の丘に対して、だ。新生騎士団にとって聖地といってもいいはずの盟約の丘は、いまや原型を留めていなかった。それはそうだろう。神卓騎士が互いの全力をぶつけ合ったのだ。原型を留めているほうが、どうかしている。
最初に攻撃を仕掛けたのはこちら側だが、だとしても、ここまでの惨状になったのは、戦闘が激化したからだし、戦場を移さなかったからにほかならない。
ロウファとしては、盟約の丘を傷つけたくはなかったが、こうなった以上はもはやどうしようもなかった。ひとり戦場を別の場所に移したところで、どうなるものでもない。
むしろ、仲間同士の連携を期待できなくなり、ひとりだけ不利になる可能性だってあった。
とはいえ、カーラインと戦いが始まって以来、だれかがロウファを手助けしてくれたことなど一度だってなく、そういう意味では場所を移しても良かったのだが、そんなこと、神ならぬ彼に予見できるわけもない。
「貫け」
ロウファもまた、真躯を解放するための一言を紡いだ。同時に全身から救力があふれ出す。
真躯は、救力の顕現、その究極といっても過言ではない。
本来であればミヴューラ神の許可なければ使用できない力というだけあって、その戦闘能力は圧倒的だった。幻装と比べるべくもない。全身が幻装化しているようなものなのだ。いや、ただの幻装ではない。救力のみならず神威をも帯びた幻装であるそれは、神の力の顕現とさえいえた。
なればこそ、神人も神獣も、一蹴できる。
ロウファは、カーラインの真躯ランスフォースの顕現を見届けるとともに、自分自身も真躯ヘブンズアイに変身したことを確認した。
真躯同士の戦いは、これまで以上に激しくなること間違いなく、盟約の丘がこの地上から消え去る可能性さえ、彼は考えた。
それは必ずしも喜ばしいことではない。