第三千七十一話 救世への道(三)
「……話はわかりました、ミヴューラ様」
オズフェルトは、胸の内に渦巻く悲嘆の情を抑え込むようにして、口を開いた。魂の絆を通じて流れ込んでくる哀しみの激流は、いまもなお、留まるところを知らない。
それは間違いなく、ミヴューラ神が自分を取り戻したからだ。フェイルリングになりきっているときには感じなかったこと、考えなくて済んでいたことを直視しなければならなくなったことで、ミヴューラ神の哀しみが膨張した。それは心という天地を飲み込むほどの嵐であり、洪水であり、天変地異そのものとなって、オズフェルトたちの心までも席巻し、吹き荒んでいる。
異世界の神であるミヴューラ神がそれほどまでに哀しみ、嘆く様を目の当たりにすれば、オズフェルトたちが抱いていた先程までの激情も、瞬く間に消え去るものだ。むしろ、ミヴューラ神に同調し、哀しみ、嘆き、苦しんでいる。
この濁流の如き苦しみを脱するには、世界を救う以外に方法はないだろう。
このままでは嘆きの海に飲み込まれ、絶望の深淵に引きずり込まれてしまうのではないか。そう想えるくらい、ミヴューラ神は、悲しみに暮れていた。
「これよりは、わたしたちもミヴューラ様とともに、この世界を救うために戦いましょう」
「ああ……その通りだ」
ミヴューラ神は、いった。フェイルリングの姿、フェイルリングの仕草、フェイルリングの声で。
「戦わねばならぬ」
そして彼は、大剣を構えた。
「ミヴューラ様?」
「構えよ、オズフェルト」
威厳に満ちた声は、さながら闘争の始まりを告げる鐘の音のように響き渡り、その瞬間、オズフェルトは、全身に凄まじい緊張が走るのを認めた。心に満ちていた哀しみがどこか遠くに吹き飛ばされてしまうほどの衝撃だった。
「卿は、いまや騎士団長なのだろう。ならば、我自らが相手を務めねばなるまい」
「どういうおつもりですか?」
「問答は無用。既に戦端は開かれているのだ。決着をつける以外に道はない」
「そんな馬鹿な……!」
「卿は、それでも騎士団長か」
いうが早いか、フェイルリングの大剣が唸りを上げて虚空を薙ぎ払い、剣風が強烈な衝撃波となってオズフェルトを襲いかかった。
「くっ」
オズフェルトは、透かさず剣を掲げて対抗したものの、凄まじい衝撃波の圧力に吹き飛ばされかけた。
(やるしか……ないのか)
血反吐を吐くような想いでもって、彼は、胸中で叫んだ。
なぜ、ミヴューラ神と剣を交えなければならないのか。
目的は同じ。それどころか、理念も思想もなにもかも、ミヴューラ神からの受け売りといっても過言ではない。新生騎士団は、ミヴューラ神との邂逅によってその方針を大きく変えたのだ。元々は、ベノアガルドより腐敗を一掃するための革命を起こした一団に過ぎず、ベノアガルド国内のことだけしか考えていなかった。それが、国外の情勢にまで口を出し、手を出すようになったのは、すべて、ミヴューラ神の方針であり、理念だった。
この世を救う。
それがすべてであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
求めるものが同じならば、手を取り合って事に当たるべきだ。敵同士ではないのだ。むしろ、最初から味方同士だった。それが、ちょっとした行き違いでぶつかり合ってしまっただけのことだ。それが明らかとなった以上、戦闘を続行する理由などあろうはずがない。
この戦いに一体どんな意味があるというのか。
そういったオズフェルトの疑問は、ミヴューラ神の猛攻の前に為す術もなく消え去るほかない。
猛然と突っ込んでくるフェイルリングの姿は、往年の彼そのものであり、オズフェルトは、金色に輝く双眸を見つめながら、剣を構え直した。
覚悟を、決めなければならない。
事態は、理解した。
内容も、把握した。
納得もした。
すべては、救世神ミヴューラの情の深さが起こした騒動であり、ルヴェリスは、むしろ、ミヴューラ神をより深く信仰することを心に決めた。
(そういうことなら)
なにも問題はない。
そう、想った。
けれども、ルヴェリスには、納得しがたいこともあった。
「なんで、戦闘続行なわけ?」
フィエンネルは、幻装双戟を手前で交差させるようにして、構えていた。双眸は金色に輝き、そこに神威が漲っている。神の力の発露。それは彼が偽者であることを明確にしてくれた一方で、並々ならぬ強敵であることを伝えてきてもいた。
「それが我が神の望みだからだ。それ以外に理由など必要あるまい」
「それはそうかもしれないけど」
ミヴューラ神扮するフェイルリングがオズフェルトに攻撃を仕掛けたからこそ、戦闘が継続されることになったのだ。フィエンネルがミヴューラ神の分身ならば、ミヴューラ神の意図とは異なる行動を取るはずもない。だが、だとしても、だ。
「そもそも戦う必要が――」
「ない、とはいわせんよ」
「なんでよ」
「卿らは、欲しいのだろう」
フィエンネルが、双戟を振り抜いた。
「力が」
交差する双戟が生み出したのは救力の竜巻であり、それは、猛然と地表を掘削しながらルヴェリスに向かって突き進んでくる。ルヴェリスは、即座に右に駆けたが、竜巻もまた、進路を変えた。ルヴェリスの移動する方向へ、向かってくるのだ。
仕方なく距離を離しながら、幻装突剣の切っ先を虚空に走らせる。白い剣閃が描く螺旋は、救力の竜巻となって、フィエンネルの竜巻と衝突した。強烈な光を撒き散らしながら爆散するふたつの竜巻。その余波を受けて空高く飛び上がりながら眼下を見遣れば、フィエンネルがこちらを見つめていた。
「確かに卿らは強い。平均的な人間と比べるまでもなく、強い。我が神の力たる救力を自在に操り、幻装を用い、真躯を顕現することができる。ただの人間には過ぎたる力だ」
フィエンネルが、双戟の片方を足下の地面に突き刺した。穂先より救力が大地に流れ込むのを、ルヴェリスは見逃さない。
「ただの人間相手ならば、な」
「そうね。まったく、その通りよ」
フィエンネルがもう一方の戟を地面に突き刺した瞬間には、ルヴェリスの突剣は、虚空に閃いていた。深紅の剣閃が描く真っ赤な花は、つぎの瞬間、フィエンネルの足下で炸裂し、彼をその周辺の地面ごと吹き飛ばしてみせる。
「いまとなっては、この力だけではどうにも物足りないわ」
もちろん、ベノアガルドを護るだけというのであれば、なんの問題もない。
いまのところ、最大の危機とも呼べる事態は、ネア・ベノアガルドとの決戦だけであり、あのときだけは、セツナの助力がなければどうにもならなかっただろうが、それ以前もそれ以降も、大きな問題はなかった。神獣だろうが神人だろうが、取るに足らない相手だ。
しかし、そういっていられるのも、いまだけではないか、という確信めいた不安がある。
なぜならば、神人や神獣の凶暴性が日に日に増していて、以前にも増して凶悪な力を持った神人や神獣の出現率が増加の一方を辿っているからだ。
神人や神獣は、神威に毒された人間や獣の成れの果てだ。神威とはつまり神の力であり、神は、意図的に神人や神獣を作り出すことが出来る、らしい。
要するに、凶暴な神人が続出している裏には、邪神アシュトラのような悪神が動いている可能性があるということであり、もし、そういった悪神と戦うようなことになれば、いまのままでは、どうにもならないのではないか――そう、考えることが少なくなかった。
力は、欲しい。
いくらあっても足りないくらいだ。
それは、騎士団幹部の現状に対する共通認識であり、故に戦力の増強を急いでいた。
「そう、この程度ではな」
爆発に吹き飛ばされたはずのフィエンネルが、平然とこちらを見ている様に、ルヴェリスは、憮然とした。




