第三千七十話 救世への道(二)
「……力こそ大きく失ったが、封印の器たる神卓を破壊されたことで自由の身となった我は、以前よりも救いの声を聞くことができるようになった。救いを求める声こそが我が力の源。我はすぐさま力を取り戻した。いや、以前よりも強大な力を得たといったほうが正しいだろう」
そう語るミヴューラ神の力がいまにもいや増していく様子が、その体から満ち溢れる神威の膨大さによってはっきりと認識できる。フェイルリングそっくりそのままの肉体から放出される神威は、神々しい光となってオズフェルトの視界を染め、周囲に影響を及ぼしていく。湖面に広がる波紋のように、周囲の風景を歪めながら、拡散しているのだ。
それがかつてのミヴューラ神よりも大きな力である、と、断定することはできなかった。なぜならば、オズフェルトは、ミヴューラ神の真の力量というものを目の当たりにしたことがないからだ。
ミヴューラ神は、かつて、神卓に封印されていた。神を封じる器としての卓は、ミヴューラ神の力を抑制し、波長の合うフェイルリングが現れるまでは、外部と繋がることすらできないほどだったのだ。フェイルリングとの邂逅によって、ミヴューラ神は、神卓の外に干渉する手段を得た。フェイルリングを通し、世界に繋がり、顕現したのだ。が、それでも、ミヴューラ神が真の力を発揮することはできなかった。
かつて、交渉の末、決裂し、敵対関係となったセツナを討ち滅ぼすべく、フェイルリングは、真躯ワールドガーディアンを駆った。ワールドガーディアンは、救世神ミヴューラの化身にも等しい存在であり、究極の真躯といってもいい。その力は、当然、ミヴューラ神の力そのものに限りなく近いというのだが、あとで聞いた話によれば、やはり、真価を発揮することはかなわなかった、という。
あれだけの力を発揮してもなお、当時のミヴューラ神からしても真価には程遠い代物であり、その当時よりもさらに力が増したというのであれば、どれほどのものか、オズフェルトにはうかがい知りようもない。
ただ、魂の絆を通じて、ミヴューラ神が嘘をいっていないことはわかっている。
魂の絆は、心と心を結ぶものだ。
本心を現せば、はっきりと見て取れてしまう。
もっとも、隠そうと思えば隠せるのだが、絆で結ばれた騎士たちが己の本心を隠すような真似をすることは、ほとんどなかった。だれもが馬鹿正直に生きている。
まっすぐに。
「それにより、我は、世界の現状を正確に知ることができた。だが、それがよくなかったのだろう。儀式の阻止によって起こった天変地異が、世界を引き裂き、破壊し尽くしたという事実は、世界を救うことが存在意義たる我の根幹を揺るがすものだった」
嘆きが、怒濤のように押し寄せてくる。天を覆い隠し、地を飲み込むほどの感情の津波。激情の洪水。魂の絆で結ばれているからこそ感じ取ることのできるミヴューラ神の哀しみは、オズフェルトのみならず、ルヴェリス、シド、ベイン、ロウファの四人の心をも埋め尽くしているに違いない。
事実、盟約の丘で繰り広げられていた激闘は、休戦状態になっていた。だれもが手を止め、フェイルリングの姿をした神に目を向けている。自分たちの疑問が氷解しながらも新たな驚きに直面し、絶句している。そして、ミヴューラ神の感情に同調してもいる。
「我は、己を見失った。この世界を救うためにしたことが、結果的に世界に破壊と混沌を撒き散らす行いとなってしまったからだ」
「しかし……聖皇が復活していた場合を考えれば……」
この程度、などと口が裂けてもいえないものの、世界が滅亡するよりは少しはましだろう。いや、ずっとましといっても過言ではあるまい。世界は存続し、生命が死に絶えているわけではないのだ。大陸がばらばらになり、破壊と混沌渦巻く終末模様ではあるし、世界そのものが死に瀕しているのかもしれないが、それでも、生きているのだ。
生きている。
それだけは、紛れもない事実だ。
そして、生きている限り、諦めるわけにはいかないのだ。
「最悪の状況を想定して、それよりも良ければいい、という話ではないのだ。我は、この世界を救おうと想った。救いを求めるひとびとの声を聞いた。だれもが、この不自然な世界で救いを求め、喘ぎ、苦しんでいた。故に我は、汝らとともに立った。だのに」
ミヴューラ神は、頭を振った。その仕草には、様々な感情が入り交じっているように見えた。
「我は、この世界にさらなる苦痛をもたらしてしまった。ひとびとに。生きとし生けるものに。そして、友たる半身を失ったことの哀しみから、我をも忘れたのだ」
「それで……閣下に?」
「おそらくは、そうだろう」
オズフェルトの推察をミヴューラ神はあっさりと肯定した。
「救世神ミヴューラなどという名ばかりの神ではなく、この世界を救うために己が命を捧げた英雄になろうとしたのだと想う。フェイルリング・ザン=クリュース。我が友にして半身たる彼こそ、この世を救う騎士に相応しい――そう、無意識に想い、気がつけば、我は彼になっていた」
ミヴューラ神の言葉から伝わってくるのは、フェイルリングへの限りない信頼であり、尊敬であり、感謝といった美しい感情の数々だった。ミヴューラ神とフェイルリングの間には、オズフェルトたちには立ち入ることの出来ない絆があり、神と人間という垣根を越えた信頼関係が築き上げられていたのだ。
だからこそ、ミヴューラ神はフェイルリングの死を惜しみ、嘆き、哀しむうちに、フェイルリングになってしまっていたのだろう。
そこに悪意も邪気もない。
むしろ、純粋無垢といってもいいほどの感情だけが、輝いている。
「それからは、我は彼そのものとなって活動を続けた。彼らとともに」
そういってミヴューラ神が指し示したのは、カーラインであり、ゼクシスであり、フィエンネルであり、ドレイクだ。皆、ミヴューラ神と同じように輝きを帯びていた。神威の輝き。神の光。
「彼らは……いったい……」
「もちろん、彼らも本人ではない。彼らもまた、我自身なり」
「ミヴューラ様御自身……」
「分霊という。我が力を分け、生み出した分身たちよ」
「分霊……」
「本人ではないが、完璧に再現できているはずだ。我と汝らは魂の絆によって結ばれているのだから」
自負するように、ミヴューラ神はいった。
実際、フェイルリングを始め、カーラインもドレイクもだれもかれも、完璧に再現されていた。元より魂の絆が存在しなければ、偽者と断定することなどできなかっただろうと想うほどにそっくりそのままであり、だからこそ、オズフェルトたちは混乱せずにはいられなかったのだ。
魂の絆があり、そこで死が確定していたから、彼らが偽者であるとわかったのだ。
そして、それこそがミヴューラ神を見破る力となった。
「我が失ったのは、フェイルリングだけではない。カーラインも、ゼクシスも、ドレイクも、フィエンネルも、テリウスも。皆、失ってしまった」
だから、皆を再現したのだ、といいたいのだろう。
フェイルリングたちとともに“約束の地”に赴きながら、ただひとり、テリウスだけがミヴューラ神の騎士団にいないのは、彼だけは、その死後も活動を続けていたからだ。
死してもなお、騎士として活動する彼を、ミヴューラ神は、無意識のうちに応援してくれたのではないだろうか。
でなければ、いくらテリウスでも、“大破壊”の中心地よりベノア島まで辿り着くのは困難ではないだろうか。




