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第三千六十九話 救世への道(一)

「わたしは、生き延びたのだ」

 偽者は、いった。

 それはまるで、自分に言い聞かせるような言葉であり、呪文のようでもあった。

「何度も聞いた。だが……」

「そう、だ。君のいう通りだ。不自然なことだ。ありえないことだ。不可解なことだ」

 偽フェイルリングは、頭を振る。その表情には、いままで存在していた神々しいまでの威厳が損なわれはじめていた。歪に割れ、壊れていくフェイルリングの表情を見るのは、たとえ偽者のものだとわかっていても、決して気分のいいものではない。

 常にひとびとのことを考え、憂いを帯びた顔をしているのがフェイルリングだったとはいえ、だ。

「生き延びたものが、なぜ、魂の絆から消え失せる。そんなことはあるはずがない。魂の絆は、我々がミヴューラとともに戦い抜く決意と覚悟の証であり、約束。生きている以上、戦い続けている以上、魂の絆を外れることなどありはしない」

「だったらどうして――」

「わからない」

 偽フェイルリングは、ただただ頭を振る。その苦悩に満ちた表情は、痛ましく、見るに堪えない。斃すべき偽者と断じたはずなのに、オズフェルトは、彼に斬りかかることができなくなっていた。

「わたしは、だれだ?」

 彼は、自問する。

「わたしは、フェイルリング・ザン=クリュース」

 導き出した答えは、しかし、空を切った刃のようにどこか虚ろで、儚く消える。

「いや、違う」

 みずから否定する偽者の様子を見つめながら、オズフェルトは、彼の身に起きている異変について考える。偽フェイルリングは、自分がフェイルリングだと信じ込んでいた別人のようだった。まったくの別人が、なにものかの力によってフェイルリングに成り済ましていたのだろう。

 だとすれば、辻褄は合う。

 魂の絆から消え去ったという事実と、いま、オズフェルトたちの目の前にいるという現実の、辻褄。

 ただし、その場合でも、疑問点は残る。

 救力だ。

「違うな」

 彼は、何度も言った。

「違うのだ」

 何度も、何度も、首を振った。

「違う……」

 消沈しきった偽フェイルリングの表情は、見るからに哀れであり、同情を誘うものだった。

 いまのいままで、全身全霊の力で以て、存在のすべてを否定しようとしていたオズフェルトが、思わず息を止めてしまうくらい、偽者のまなざしは虚ろだった。まるで、彼の中にはなにもなく、真っ白な空白しか残されていないような、そんな表情。

 つい先程までの威厳も神々しさも、なにもかもが消えて失せ、立っているのは、なにもないただの偽者といった有り様であり、オズフェルトは、茫然とした。

 まさか、このような状況になるとは、想定していなかった。

 怒りすら、どこかにいってしまった。

(どういうことだ……いったい……)

 オズフェルトが疑問を口にしようとしたときだった。

「そうか……そういうことか。そうだったな。そうだったのだな」

 偽者が、突然、なにかに思い至ったかのように口を開いた。弱り切っていた表情に力が戻り、輝きが取り戻されていく。神々しくもまばゆい金色の輝き。神の光。神威。

「ようやく、すべてを思い出したよ、オズフェルト」

 彼は、フェイルリングの声で、そういった。ただし、フェイルリングとして振る舞っている、という風ではなかった。口調が違う。雰囲気が違う。仕草が違う。

「思い出した?」

「そうだ」

 彼は、うなずく。その人間めいていながらもどこか非人間的な空気感を持つ仕草は、フェイルリングを偽っていたときとは、まるで趣が異なっていた。もはやフェイルリングを演じる必要はない、とでもいわんばかりであり、事実、その通りのようだった。

「わたしはすべてを思い出した。記憶の奥底に封じ込めてしまっていたすべてを、たったいま、取り戻した。すべては汝のおかげだ。オズフェルト・ザン=ウォード。我が愛しき同志よ」

「同志……?」

 その一言で、オズフェルトの脳裏に閃くものがあった。衝撃が閃光の如く全身を駆け抜ける。

「まさか……」

「そう、そのまさかだ」

 フェイルリングの姿のまま、それは、オズフェルトの推察を想像し、肯定した。

「我はミヴューラ。傲慢にも救世神を名乗る、神が一柱なり」

 フェイルリングの全身が神々しい光に包まれたかと思うと、その背後に光の輪が出現した。まばゆいばかりの光と満ち溢れる神威は、彼が紛う事無き神そのものであることを示している。そしてその神とは、彼が名乗った通り、救世神ミヴューラであることは、ミヴューラ神をよく知るオズフェルトには、瞬時に理解できた。

「そんな……そんな馬鹿な……」

 理解したが、同時に、混乱もした。ありえないことだと思った。そんなことがあるはずがない、と、脳が理解を拒絶したのだ。

 偽フェイルリングの正体がミヴューラ神だった、など、信じがたいにもほどがあったし、たとえ事実であったとしても、信じたくないことだった。それではまるで、ミヴューラ神が自分たちを騙したようなものではないか。

「確かに……馬鹿げたことかもしれない。だが、我は本気だったのだ」

 ミヴューラ神は、フェイルリングの姿で、しかし、彼自身の感情、表情で、いった。

「我は本気で、フェイルリングになろうとした。フェイルリング・ザン=クリュースとして生きようとしたのだ」

「閣下になろうと……? どうして、そんなことを……」

「理由は単純だ。彼は我が唯一の半身であり、道半ばに斃れた同志だからだ」

 ミヴューラ神の金色に輝く双眸が、オズフェルトを見つめている。そのまなざしには見覚えがあった。他者の慈しみに満ちた、神らしからぬ柔らかなまなざし。いつだって、どんな状況だって、その目は、不変だった。オズフェルトたちが諦めない限り、ミヴューラ神が見離すことはない。

 そう確信させる目。

 だから、だろう。

 オズフェルトは、瞬時に彼を受け入れてしまっている自分に気づいたが、それを止めようとも思わなかった。止められるはずもない、ミヴューラ神こそ、オズフェルトたちが戦っていられる理由なのだ。力の源であり、信念の根幹であり、理想の象徴なのだ。

 否定など、できようはずもない。

「聖皇復活の儀式を阻止したとき、フェイルリング、ゼクシス、フィエンネル、カーライン、テリウス、ドレイクの六名は、他の同志たちとともに命を落とした。あの場にいて、生き残ったものはだれひとりいない。神である我を除いてな」

 ミヴューラ神の言葉によって、フェイルリングたちの死は絶対的なものとなった。もはや揺らぐことはなく、だれの手によっても覆しようがない。それは悲しいことだし、辛いことだが、オズフェルトたちにとっては既に乗り越えたことでもあった。

 だからこそ、なのだ。

 だからこそ、フェイルリングたちの偽者を許せなかった。

 なのに、ミヴューラ神に対する怒りはなかった。

「我だけは、生き残った。生き残ってしまった。神であるが故に、友と死ぬことも許されなかった」

 ミヴューラ神は、フェイルリングや皆を失ったことをだれよりも哀しみ、苦しんでいた。それが魂の絆を通じて、伝わってくるのだ。直接、心に入り込んでくる。感情の津波が押し寄せてきていた。悲哀、苦痛、懊悩、様々な感情が入り乱れ、洪水となってオズフェルトの心を掻き乱す。

 ミヴューラ神が目の当たりにしてきたものすべてが、脳裏に投影されていく。

 “約束の地”でのフェイルリングたちの戦いぶり、死に様、そのすべて。

 それらが一瞬にして意識を満たし、記憶を埋め、心を塗り潰していった。

 いまや、オズフェルトの心は、ミヴューラ神と完全に同調していたのだ。



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