第三千六十六話 盟約の丘で(八)
雷光の剣は、炎の太刀と激突し、両者の間に救力を爆発させる。
救世神ミヴューラから授けられたひとを救うための大いなる力、救力。それをなぜ、偽者たちが平然と使っているのか。
救力と似たまったく別の力であればなんの疑問もない。偽者が偽物の力を用いているだけのことだ。だが、彼らの用いる力は、救力以外のなにものでもなく、故にシドは、偽ゼクシスの斬撃を捌きながら、疑問を持たざるを得ない。
疑問の答えを探そうとするわずかな時間が判断の遅れを招き、反応を鈍らせる。そこに偽ゼクシスの情け容赦のない猛火の如き攻撃が殺到してくるものだから、いつしか、シドは防戦一方となっていることに気づいた。幻装化した太刀は、燃え盛る炎を発しながら、猛威を振るう。対するシドは、雷光の剣でもって反撃を試みるのだが、いかんせん、戦況は不利だった。
こちらが押されている。
「どうしたどうした、そんなものか? 卿の実力は」
煽るように、偽ゼクシスはいう。燃え上がる炎の如き苛烈な攻撃の数々は、往年のゼクシスを想起させるのだが、本物であるはずがないという確信が、シドを昂ぶらせる。
「昔はもっと強かったと思うのだがな」
「あなたの過去なんて、知らないな」
告げ、飛び退く。すると当然のように踏み込み、追撃してきた偽ゼクシスに向かって、シドは、短剣を投げつけた。救力を帯び、幻装化した短剣は、一条の稲光となって偽者に殺到し、直撃、爆発する。偽ゼクシスは、シドへの追撃に集中するあまり、避けきれなかったのだ。
救力の雷光が爆裂する中、シドは、もう一本の短剣を投げつけ、さらに距離を取った。剣と太刀。互いに近接武器である以上、距離を取ることに意味はないし、むしろ、ゼクシスの能力を完璧に再現した可能性を考えれば、不利になるかもしれない。
それでも、シドは、距離を維持する。
考える時間が必要だった。
二本目の短剣が稲妻となって飛翔し、雷光の渦の中でさらなる爆発を起こす様を見届ける。相手は、あのゼクシスの偽者だ。その身体能力、救力、幻装、すべてがゼクシスそのものであり、完璧に近く再現されている。言動も人格も、なにもかもだ。
(いったい、どういうことだ?)
シドは、考える。
ただの偽者ならば、なんの問題もない。
ベノアガルドの騎士団を陥れようとする連中など、全力で叩き潰せばいい。これまでそうしてきたのだ。これからもそうするだけのことであり、そこに一切の疑問は生じなかった。
最初は、この戦いも、そういうものだと想っていた。
ただ、相手がかつての同僚、同志たちを完璧に再現した偽者であり、そのことが多少、心に苦いものを残すかもしれない――などと、想っていた。もちろん、それ以上に、騎士団を愚弄し、侮辱する偽者たちへの怒りのほうが強く、故にオズフェルトの感情的な激発を支持したし、彼の想いこそ、現騎士団幹部共通の想いだという確信があった。
偽者たちを葬り去ることにも、疑問はなかった。
だが、その偽者たちが自分たちとまったく同じ力を使っているということには、当惑せざるを得ない。
何度も言うが、救力は、救世神ミヴューラから与えられた力であり、ミヴューラ神以外には真似のできないものであるはずだ。ただの神の力ではないのだ。ミヴューラ神が世界中から集めた救いを求める想いを力に変え、騎士たちに授けたのが救力だった。騎士たちは、ひとびとを救うために、救いを求める声を力に変えている、というわけだ。
そのため、救力を私的に用いることは禁じられているし、普段の訓練において救力を用いることはなかった。
そんな救力を偽ゼクシスは、当然のように使っている。
(なぜ、そんなことが起こりうるんだ?)
シドは、二本の短剣が生み出した雷光の渦が、内側から破られていく様を見ていた。紅蓮の炎が噴き出したかと思えば、雷光の渦とは逆回転の渦となって爆発的に膨れ上がる。そして、雷光の渦を消し飛ばした勢いで空高く伸び上がると、空中で収束し、ひとの形を取った。
偽ゼクシスだ。
そう認識したときには、シドは、彼の懐に飛び込んでいる。
雷光の如き高速移動こそ、シド・ザン=ルーファウスが異名の由来なのだ。
「さすがは“雷光”のシド」
偽ゼクシスは、シドの高速接近攻撃を受け止めると、にやりと笑った。
「偽者に褒められても」
嬉しくもなんともない。
シドは告げ、爆炎に吹き飛ばされた。
カーラインの幻装長槍は、ただの槍ではない。
槍は、近・中距離の敵を攻撃する武器だが、カーラインの幻装長槍は、槍の欠点を補って余りある能力を持っていた。それは、光の穂先だけを撃ち出すというものであり、これにより、幻装長槍は、近・中・遠距離に対応できるようになった。
しかも、光の穂先による攻撃は、実際の穂先を飛ばしているわけではなく、救力の集合体を撃ち放っているため、撃った瞬間、無防備になるわけではない。ある程度の連続発射も可能であり、カーラインの幻装長槍は、むしろ遠距離戦闘にこそ重点を置いているといっても過言ではないのだ。
(偽者の癖に)
ロウファは、内心毒づきながら、幻装長槍を構える偽カーラインを睨んだ。偽者のカーラインが、本物のカーラインそのもののように振る舞うのは、彼としても許しがたいものがあった。
彼は元来、シド一筋であり、シド以外の騎士団幹部とはあまり親しいわけではない。ベインとは腐れ縁のような間柄で、シドには仲が良いなどと勘違いされているが、ベインもほかの幹部たちも、ロウファにしてみれば同じだった。
シドと、それ以外と。
それは別に、シド以外の人間に一切興味がないというわけではない。むしろその逆といってよく、ルーファウス家のおかげで生きる意味を知ったといっていい彼にとって、シドだけが特別だということなのだ。
だから、シド以外の幹部と親しくはなくとも、彼らのことを毛嫌いしているというわけではなかった。
救世神ミヴューラに認められた十三騎士の一員である以上、ひとりひとり、それぞれに尊敬するべき部分があり、その能力に関しては全幅の信頼を寄せていた。
同じ目的、同じ理念、同じ思想の元に戦う同志たち。
ロウファにとって、シド以外の幹部たちもまた、自分を成立させる重要な要素だった。
それを踏みにじったのが、いま、目の前にいる男だ。
偽者のカーライン。
「セイヴァス卿、なにを躊躇っているのです?」
偽者は、カーラインの声で、口調で、仕草で、いってくる。
「わたしはここですよ」
「黙れ」
ロウファは、怒りを込めて、矢を放つ。
幻装弓は、救力を矢とし、救力の矢は、一条の光となって標的に殺到する。瞬く間。ほんの一瞬の飛翔時間。矢が弓を離れたほとんどつぎの瞬間には、標的に到達しているのだ。事実、光の矢は、見事偽カーラインに直撃し、救力の爆発を引き起こしている。
だが、それで終わりではないことをロウファは知っている。
既に何度も何度も同じことを繰り返している。
直撃のたび、手応えはなく、確信も生まれなかった。
偽者は、カーラインの如き槍捌きでもって光の矢を切り落とし、自身への直撃を防いでいるからだ。
これでは埒が明かない。
(だったら)
ロウファは、幻装弓を水平に構えると、指と指の間に救力を集め、五本の矢を形成した。五本の矢を番え、放つ。五本の閃光は、一瞬にして標的の元へと到達し、凄まじい爆発を引き起こす。
「どこを見ているのです」
声は、頭上からだった。
仰げば、幻装の槍が太陽のように輝いていた。