第三千六十三話 盟約の丘で(五)
ルヴェリスの突剣が幻装化するのを見て、だろう。
偽フィエンネルの双戟に、急速に救力が凝縮していくのが見て取れた。ただの救力は、常人の目に見えるものではない。が、救世神ミヴューラの影響を強く受けた十三騎士ならば、ただの救力さえ目視することが可能だった。その場合、光として目に映る。
屈強な偽者の肉体から溢れ出る膨大な救力が両手に握られた一対の戟に収束し、戟の形状が変化していくのだ。
(……どういうことよ?)
ルヴェリスは、胸中で、疑問の声を上げた。
相手は、偽者のはずだ。
本物のフィエンネルは、死んだ。魂の絆から消滅したことで、ルヴェリスたちは、その死を実感として理解した。その大いなる喪失は、深い哀しみをルヴェリスたちの心に植え付けた。それでもすぐさま動き出さなければならず、哀しみに浸っている暇などはなかったが、それでよかったのだろう。
もし、哀しみに浸るだけの時間があったならば、ルヴェリスは、いまもなお、立ち直れていなかったのではないか。
そんな気がしてならない。
それほどの喪失感を抱いたのは、フィエンネルたちの死を実感し、理解したからだ。死の瞬間、彼らの声が聞こえた気がした。いや、実際に聞こえたのだ。心の声が。魂の叫びが。咆哮が。
彼らは、だれもが誇り高く、死んでいった。
この世界のために死ぬことになんの疑問も抱かず、死んだあとの世界のことを心配してもいなかった。
ルヴェリスたちがいるからだ。
ルヴェリスたちに将来を託し、逝った。
だからこそ、ルヴェリスたちに嘆いている暇もなければ、泣いている場合でもなかった。悲しみに暮れている時間など、どこにもなかったのだ。
だから、駆けた。
全身全霊で走り続けた。
彼らが生き長らえさせてくれたこの世界を少しでも良いものにするために、戦い続けてきた。
そんなおりに現れたのが、目の前の偽者だ。
そしてその偽者が、あろうことか救力を用い、幻装までも使っている。
それはどういうことか。
救力は、救世神ミヴューラの力の一部だ。
救世神に集まる救いを求める声、祈り、願いを源とする力、その一部が騎士団騎士たちに与えられている。
救力が使えるのは、ミヴューラに選ばれた騎士だけであり、それ以外の人間が救力を用いることなどありえない。
では、偽フィエンネルはなぜ、救力を用い、幻装を使うのか。
「俺が救世騎士だからさ、フィンライト卿」
まるでこちらの思考を読んだかのような言葉を吐いて、フィエンネルは、幻装化した双戟を構えた。二本一対の戟は、先程よりも遙かに巨大化している。身の丈を大きく越える長さに複雑な形状の刀身は、フィエンネルの拘りだった。
アルマドール・アレウテラスの闘技戦士だったフィエンネルにとって、目立つことほど重要なことはなかったからだ。
アレウテラスの闘技場は広く、観客席のどの位置からもわかるように見栄えを気にしなければならなかった。そのため、闘技戦士は、派手な甲冑を好み、より大きな得物、仰々しい武器を望んだという。
そんなフィエンネルがなぜ騎士に誘われたのかといえば、元々がベノアガルド出身であり、風の噂に彼の出自を知ったフェイルリングがわざわざアレウテラスを訪れ、そこで彼の実力を認めたからだ。フィエンネルは、フェイルリングの誘いに対し、一も二もなく快諾した。ベノアガルドの下層生まれである彼にとって、騎士団は、雲の上の存在だったのだ。
想えば、その頃から、フェイルリングは騎士団の改革を考えていたのだろうし、革命についても、朧気ながら考えていたのではないか。
だからこそ、騎士団の濁りきった血を入れ替えるべく、ひとり気炎を吐いていたのではないだろうか。
そういった努力が結実し、フェイルリングの周囲に優秀な人材が集まっていったのは、必然だった。
そして、フェイルリングにこそ忠誠を誓うものたちが、彼とともに命を擲ったのもまた、必然といってよかったのかもしれない。
故にこそ、ルヴェリスは、偽者の存在が理解できない。
「救世騎士? なによそれ」
「俺たちのことだよ」
「答えになってないわよ」
「俺たちは、団長閣下の名の下に、この混沌たる世を救うべく戦い続けている。崩壊の日以来、今日までずっと、な」
フィエンネルは、見得を切るようにして、双戟を振り回す。そういった仕草もまた、闘技戦士時代からのフィエンネルの癖なのだが。
「偽者がなにをいうかと想えば、そんなこと」
「これを見て、まだ、偽者というのか」
「……だって、そうじゃない」
ルヴェリスは、幻装化した突剣を構え直した。鍔元に極彩色の花が咲いたような突剣。
「本物のクローナ卿は、閣下や皆ととともに死んでしまったもの」
それが事実であり、現実なのだ。
フェイルリング・ザン=クリュース。
先代騎士団長にして、腐敗の極みにあったベノアガルドを救済した、まさに救国の英雄と呼ぶに相応しい人物であり、オズフェルト・ザン=ウォードにとってすべてといっても過言ではない存在だった。
ベノアガルドの有力貴族ウォード家に生まれたオズフェルトは、物心ついたときには、ベノアガルドの腐敗の渦中にいた。政治は腐りきり、汚職と背任、売国奴さえも闊歩しているような有り様で、それがベノアガルドの日常といってもいいくらいだった。
だれもがベノアガルドの惨状を知りながら、見て見ぬ振りをしていた。
汚いものに蓋をするようにして、目を閉じ、耳を塞いでいた。
そのほうが楽だからだし、また、政治腐敗によって国が終わるとは想わなかったからだ。いや、想っていたとしても、認めたくなかった、というべきか。
良識を持つ一部の有力者は閑職に追いやられるか、ありもしない罪を着せられ、投獄された。ウォード家の中にも、冤罪によって投獄されたものがいたのだが、オズフェルトの父は、親族を牢から出すようにと運動することもなかった。力を、利権を失うことを恐れたからだ。
ウォード家は、ベノアガルドにおける有力貴族だが、常に安全な立場にあったわけではなかった。
政治が腐敗しきり、権謀術数が渦巻いていた。いつ足を引っ張られ、地に引きずり落とされるのか、わかったものではなかったのだ。
故に、オズフェルトの父は、常に細心の注意を払い、言動も慎んだ。あの時代、無難に生きることこそ、もっとも重要であり、困難なことである、と、彼の父は常々いった。
オズフェルトがそんな父の在り方に疑問を持ったのは、必然だったのかもしれない。
そこに正義はなく、信念もなければ、尊貴なるものもない。
魂がないのだ。
幼いころは、それでもいいのだろう、と、想っていた。
だが、長ずるに従って、そんなわけはない、と、考えるようになっていったのは、フェイルリングと出逢ったからだろう。
クリュースエンドの名門、クリュース家の当主となったばかりのフェイルリングと邂逅を果たしたのは、彼がまだ十代前半のころだった。
フェイルリングとは、七歳、離れている。
にもかかわらず、彼がオズフェルトに対等な立場を取ったのは、将来、オズフェルトがウォード家を継ぐことになるからに違いなく、そんな彼に憧れを抱いたのは、腐敗の影が見えなかったからだ。
フェイルリングに光を見た。
光を見たものは、そのために命を捧げなければならない。
そうならざるを得ないのが、人間という生き物だ。
オズフェルトはそう信じていたし、そのために、フェイルリングがベノアガルドに来る日を待ち望んだものだった。
いまより十数年も昔の話。