第三千六十二話 盟約の丘で(四)
カーライン・ザン=ローディスに酷似したその男は、槍を構えている。
身の丈以上の柄と長い穂先を持つ長槍は、男の腕の長さも相俟って、広い間合いと攻撃範囲を持っているはずだ。
故に、近接武器同士ならば、男のほうが有利を取れる確率が高く、そういう意味でもロウファが対応したのは正解だったのだろう。
あのとき、オズフェルトへの一斉攻撃から庇ったものが、そのまま、その敵に対峙する羽目になるのは、必然だった。
「卿がわたしの相手、ですか」
「不服か、偽者の分際で」
「酷いものの言い様もあったものですが」
カーラインの姿をしたその男は、まるで彼そのもののように振る舞った。若輩者のロウファにすら慎重な態度を崩さず、聞けば、なんだって懇切丁寧に教えてくれるカーラインは、騎士団騎士の模範のような人物だった。
騎士団幹部は、任務に着いていないとき、騎士団本部や各地の拠点で騎士を相手に教鞭を振るうことが少なくない。この場合の教鞭とは訓練用の木剣や木槍であり、つまりは戦闘訓練を行うということだ。そして騎士団幹部が訓練するというと、従騎士や準騎士は言わずもがな、正騎士もこぞって参加したものだ。
そんな騎士団幹部の中で、もっとも人気を誇るのがカーラインの訓練だった。
カーラインは、教え方が丁寧であり、従騎士にさえ、手取り足取り教えてくれるからだ。
ロウファも、彼に様々なことを学んだ。シドについで好感を持つ騎士といえば、カーラインの名を挙げてもいいくらいに想っているのも、そのためだ。
逆に、訓練の教師としてもっとも人気がなかったのは、ベインとドレイクが双璧を為した。暴れん坊のベインの訓練は生傷が絶えないために不人気なのは当然だが、ドレイクの場合、だれもがその鍛錬についていけないために人気がなかった。
ドレイク自身の人気は、極めて高いのだが。
記憶の中の十三騎士たちが、いま、目の前で完璧に近く再現されているという事実は、ロウファにさえ激しい怒りを沸き立たせていたし、オズフェルトが問答無用に斬りかかったのも当然という気持ちだった。
「あなたがたの心情を鑑みれば、致し方なし」
「心情?」
心の奥底から沸き上がる感情のままに、ロウファは、偽カーラインを睨んだ。いつにも増して穏やかな表情を浮かべる紳士然とした騎士の姿は、ロウファの神経を逆撫でにするには十分すぎる。
「偽者如きが、わたしたちの心情を理解しようなどと!」
「行動に、感情が乗りすぎですよ」
そういったときには、偽者は飛んでいた。一足飛びに間合いを詰め、長い長い槍を突き出す。
「だから、有利を取っていても、こうなる」
「なっていないじゃないか」
吐き捨て、ロウファは、顔面に触れる寸前、弓の柄で受け止めた槍の切っ先を睨み、強く打ち上げて飛び退いた。飛び退き様、矢を番え、放つ。救力を込めただけの矢は、次第に加速しながら偽カーラインに殺到する。槍が回転し、矢を弾き飛ばした。そのときには、第二射がロウファの手を離れている。つぎは、最初から最高速度の矢だ。第一射を弾いた直後に偽者の手元に肉薄していた。が、偽カーラインは、その矢すらものの見事に切り払って見せると、槍を構えた。
穂先が淡く、燃えるように輝き出す。
(あれは……)
ロウファは、自分の目で見たものを信じたくないと想った。想いながら、しかし、それがなんであるかを理解しなければならないという現実にも迫られる。
偽カーラインの槍に宿る光。
それは、救力の光以外のなにものでもなかった。
「なにを不思議がっているのです。救世神ミヴューラに選ばれた十三騎士のひとりならば、救力を使えて当然のこと」
「笑えない冗談だな」
ロウファは、弓に番えた矢に救力を凝縮しながら、偽カーラインの槍が本物のカーラインの槍のように輝くのを認めた。認めるほかない。それは紛れもなく、ロウファたちが使う、ミヴューラ神の力の片鱗たる救力以外のなにものでもなかった。
ロウファには、いや、十三騎士ならば、わかるのだ。その力がなにに由来するものなのか、一目でわかる。
偽カーラインの槍に宿る光は、紛れもなく救力であり、救力の凝縮によって槍の外見に変化が起き始めていた。幻装だ。
ミヴューラから与えられた世を救うための力である救力には、さまざまな使い方がある。ひとつは、身体能力の向上。それは救力の基礎的な使い方であり、救力を使用している状態と、使用していない状態では、身体能力の差は歴然としている。
ひとつは、戦闘能力の向上。武器や防具に救力を纏わせることで、攻撃の威力や防御能力を高めることができるのだ。
ひとつは、再生。軽傷程度ならば瞬時に回復し、重傷であったとしても膨大な救力を費やすことで回復することができる。
これらにより、騎士団騎士は、常人よりも遙かに強力な戦闘要員となる。
そして幻装は、それら救力の使い方の基礎と応用、その一段階上の技術であり、救力によって武器や防具を変化させ、その性能までも自分好みのものに造り替えるというものだった。
(どういうことだ)
ロウファは、目の前にいるカーラインを偽者と断じたが、その判定に間違いはないと、いまでも確信していた。たとえ偽者がカーラインのように救力を用い、幻装を使おうとも、偽者が本物になることなどないのだ。偽者は偽者に過ぎず、だからこそ、混乱する。
偽カーラインの幻装は、カーラインの幻装化した槍そのものであり、光り輝く槍を構えるその姿は、往年のカーライン・ザン=ローディスそのものといっても過言ではなかったのだ。
ルヴェリス・ザン=フィンライトは、突剣の折れた切っ先を見遣り、その先に佇む男に視線を移した。
突剣とは、刺突専用に鍛え上げられた細身の刀身を持つ剣のことだが、その鋭く尖った細身の刀身は、半ばほどで折れていた。折られたのだ。フィエンネル・ザン=クローナの偽者が振り抜いた双戟によって、容易く真っ二つになった。
フィエンネルの偽者は、まるで本人そのもののように振る舞っている。
表情、態度、仕草、立ち姿。なにからなにまでフィエンネル当人のようであり、そのことが、ルヴェリスに隠しようのない苛立ちを覚えさせていた。
それは死者への冒涜であり、侮辱であり、ルヴェリスたちへの挑発でもあった。
フィエンネルは、死んだのだ。
フェイルリングたちとともに、死地に赴き、その暗示された死の約束通りに死んだ。
世界を破滅の運命から護るために命を擲ったのだ。
その結果、世界は滅びを免れ、生き延びることができた。
世には終末の空気が漂い、混沌たる状況に明るい未来など見受けられないが、しかし、聖皇の復活がなり、滅び去るよりは遙かに増しだ。
生き延びたからこそ、ルヴェリスたちのいまがあり、未来について考えるだけの時間がある。
そういった時間をくれたのが、フィエンネルたちの尊い犠牲だ。
世界が存続する限り未来永劫語り継ぐべき偉業を踏みにじるのが、偽者たちの存在だった。
「腕が鈍ったのではないか? フィンライト卿」
「否定はしないわ」
折れた突剣に救力を集め、凝縮し、変化を起こす。幻装化は、元の武器を問わない。どのような武器であれ、どのようなものであれ、必要なだけの救力を費やせば、望み通りの幻装へと変化させられるのだ。
たとえば、石ころを剣に変化させることだって、やろうと思えば可能だった。ただし、元の形よりかけ離れればかけ離れるほど、必要な救力は多くなるため、普通はそんな無駄なことはしない。
「でも、偽者のあなたにそんな風に呼ばれたくもないのよ」
ルヴェリスは、告げ、フィエンネルそっくりの偽者を睨んだ。