第三千六十一話 盟約の丘で(三)
大剣から放出された救力もろともに吹き飛ばされながら、ベインは、その巨躯を救力で制御し、空中で態勢を整えて着地して見せた。すると、ドレイクが追撃を諦め、大剣を構え直す。以前のベインであれば、ドレイクの追撃を受けていたのは間違いない。
ドレイクは、大剣を両手に握り、低めに構えながら、こちらを睨んできた。その形相は怒りというべきものだろう。
「卿は、自分がなにをしているのか、わかっているのか?」
「はっ、なにをいうかと思えば、そんなことかよ」
背に帯びていた大斧の柄に手を伸ばし、握り締める。拳と大剣では勝負にならないのは、火を見るより明らかだ。間合いに入り込むことができればまだしも、大剣を軽々と操り、棒きれの如く振り回すドレイク相手には、拳の間合いに入り込めるような余地はあるまい。
先程は咄嗟のこともあって得物を抜かなかったのだが、本格的な戦いとなれば話は別だ。
愛用の大斧を両手に握り締め、救力を込める。救力は、体に纏えば鎧となり、武器に纏わせれば、威力を増幅させる魔法となる。
「てめえら偽物に語る言葉はねえ!」
「我らは本物だよ、ラナコート卿」
「ぬかせ」
吐き捨てるように、彼はいった。
(本物だったら、なんで……!)
なぜ、こんなことになるというのか。
相手が本物ならば、端から疑う余地はなく、意味もない。魂の絆が、そう教えてくれるはずだ。であれば、彼らは間違いなく偽者であり、そこに疑問を持つ必要もない。
全力で叩き潰せばいい。
これまで、戦ってきたすべての敵と同じように、だ。
「聞く耳を持たない、か。相変わらずの“狂乱”ぶりだな、ラナコート卿」
「黙れ! 知った風な口をきくんじゃあねえっ」
叫び、地を蹴った。
視界の端では、シドがゼクシスとぶつかり合い、ロウファがフィエンネルと激突し、ルヴェリスがカーラインと戦っていた。
オズフェルトは、フェイルリングとの激闘の真っ只中だ。
図らずも一対一の構図となった。
「懐かしいな、ルーファウス卿」
ゼクシス・ザン=アームフォートは、大刀を下段に構えながら、いった。その鋭いまなざし、隙のない完璧な構え、立ち姿、どれをとってもゼクシスそのひとであり、外見からは偽物だと判断することはできなかった。声の響きも、反応も、シドの知っているゼクシスなのだ。
なのに、本物ではないとわかる。わかりきっている。
本物のゼクシスは死んだのだ。オズフェルトが断言した通り、この世界を救うための尊い犠牲となって、散った。フェイルリングたちとともに。
目の前にいるのは真っ赤な偽物であり、それ以外のなにものでもない。
「こうして刃を交わすのは、いつ以来だ?」
「……あなたと剣を交えるのは、これが初めてのこと」
シドは、そう答えることでゼクシス本人とは認めないことを伝えた。すると、ゼクシスは、少し楽しげに目を細める。いつものように。
「いうようになったじゃないか、お坊ちゃん」
煽る風でもなく、ゼクシスがいう。構えが変わる。下段から中段、中段から上段へ。構えを変化させながら相手の出方を窺うのが、ゼクシスの基本戦術だった。そして、それはシドの戦術のひとつとなっている。
騎士団に入る前から、シドは騎士団の騎士たちに手解きを受けることができた。そういう家柄、身分であり、子供の頃の彼は、自分のそういった権力を利用することになんの抵抗も感じなかったのだ。そのおかげで多くのことを学べ、騎士とはなんたるものなのかを知ることができたのだから、決して無駄ではなかったし、横柄で小生意気な子供時代を過ごせたことは、いまのシドにとって財産となっている。
本物のゼクシスとは、十一歳の年齢差がある。
もちろん、ゼクシスのほうが年上で、シドが騎士団本部を度々訪問するようになった頃には、ゼクシスは従騎士であり、時折、手が空くと、手解きをしてくれたものだった。
若い従騎士にとって、将来の騎士団員候補を手解きするのは、なによりの励みになる。
それは、シドが従騎士として任に着くようになったときに実感したことであり、実体験だった。従騎士としての責務に追われる日々というのは、ときに精神的に堪えるものだ。そういったとき、騎士団本部などを訪れた将来の騎士団員候補と戯れるというのは、いい精神的休養になった。
無論、騎士団の一員として、手を抜くようなことはしなかったし、ゼクシスのような若い騎士たちがシドのような子供に対しても真摯に対応してくれたからこそ、シドもまた、騎士団騎士になることだけを目標に生きていたのではないか。
家柄もあるが、最大の理由は、そこだろう。
騎士団騎士たちの真剣さが、シドの目にはまばゆいくらいに輝いて見えた。
そのまばゆさが、いま、目の前に眩むようにある。
「そういっていいのは、わたしを鍛え上げてくれた方々のみ」
下段に構え直し、偽ゼクシスの変化を待つ。
相手は偽者であり、敵以外のなにものでもない。
攻撃をしかけたのは、こちら側だ。
オズフェルトが問答無用とばかりに斬りかかり、それがきっかけで戦端が開かれた。
だが、相手が偽者である以上、遅かれ早かれこうなる運命だったのは考えるまでもない。現騎士団にとって、まさに神の如き存在であるフェイルリング・ザン=クリュースの姿で現れただけでなく、いまはなき騎士団幹部たちの偽者までも引き連れた彼らに対し、こちらが取り得る手段はひとつしかないのだ。
断固、討滅。
それだけだ。
なぜならばそれは、宣戦布告以外のなにものでもないからだ。
先代騎士団長を愚弄するだけでなく、騎士団そのものに対する挑発行為であり、侮辱そのものだった。
普段温厚なオズフェルトが怒りに身を焦がし、斬りかかったのも、当然といえる。
オズフェルトが、この中ではだれよりも一番フェイルリングを尊崇し、敬服していたのだ。騎士団の中でただひとり、フェイルリングとふたりきりで言葉を交わすことのできる人物がオズフェルトなのだ。フェイルリングがそんな彼を重用するのは当然だったし、また、オズフェルトもフェイルリングの期待に応えようとした。互いに深い信頼と絆で結ばれていて、ふたりだけは、ほかの騎士団幹部とは別格、別次元といっても過言ではなかった。
オズフェルトの怒りは、もっともだ。
シドは、柄を握る手に力が籠もるのを実感しながら、呼吸を整える。力みすぎてはいけない。気を張りすぎてはいけない。体が硬直し、柔軟性に欠け、反応が鈍くなる。それでは、騎士の戦いについていけなくなるのだ。
「あなたは、違う」
「なにが違う? わたしは――」
「あなたは、アームフォート卿ではない」
相手の言葉を遮ったのは、その名を言わせたくなかったからだ。
十三騎士は、だれもが尊敬に値する人物ばかりだった。
テリウス・ザン=ケイルーンとは反目こそし合っていたが、それは性格面、人格面での話であり、能力、実力に関しては互いに認め合っていたはずだ。そして、その人格面も、彼の最期を知れば、尊敬に値すると言い切れる。
だれかのために命を擲つことができるものことこそ、ベノアガルドの騎士なのだ。
事実、ゼクシスは、命を擲ち、この世界を破滅から救った。
では、目の前にいるのは何者なのか。
ゼクシスの姿で、ゼクシスの名を名乗ろうとする偽者。
存在そのものを許すわけにはいかない。
怒りが湧いた。
だから、だろう。
シドは、ゼクシスの構えが変化するのを待たずして、地を蹴った。




