第三千五十九話 盟約の丘で(一)
盟約の丘は、ベノアガルド首都ベノアの南にある小高い丘のことだ。
なんの変哲もない、どこにでもあるような丘が、なぜ、革命前夜、革命派騎士たちの盟約の地に選ばれたのかといえば、革命派騎士たちの根拠地でもあり、革命派騎士の首魁フェイルリングの故郷クリュースエンドとベノアのちょうど中間地点に位置していたからだ。
クリュースエンドは、その名の通り、フェイルリングのクリュース家と関わりの深い都市であり、土地だ。古くよりクリュース家が統治していた土地であり、いつ頃からか騎士団の領有となっていたが、おそらくその際の様々な事情によって、クリュース家はベノアガルドにおける強大な発言力を持つようになったのだろう。
だが、そんな権力も時代とともに失われていった。
やがてベノアガルドは権謀術数が渦巻き、腐敗と堕落に飲み込まれていくと、クリュース家も例外とはいえない立場となっていたらしい。
フェイルリングが革命を志したのは、みずからの家を本来在るべき正しい姿に戻すためであり、そのためにこそ、ベノアガルドそのものを立て直す以外に道はないと想ったからだ。そして、彼は同志を募り、革命前夜、盟約の丘に集った。
クリュースエンドからベノアへ向かう道中に立ち寄った丘の上で、覚悟を決めたのだ。
革命は、必ずしも成功するものとはいえない。故に、覚悟が必要だった。自分たちが道半ばで命を落とすかもしれないという覚悟だ。
フェイルリングたちが“約束の地”に向かったのも、そのときの覚悟の延長だったのではないか。
ふと、ベインは、そんなことを想った。
盟約の丘は、目前に迫っていた。
丘に近づくたび、革命の日のことが思い起こされる。
革命の日、ベインは結局、なにもできなかった。できないまま、革命が為され、彼は、新生騎士団に入ることで処断を免れた。腐敗だのなんだの、ベインには関係がなかったからだ。だれがどのような正義を掲げていようと、どうだってよかった。
暴れられれば、それだけでいい。
そう想っていた。
フェイルリングと対面し、ミヴューラ神と邂逅するまでは。
やがて、盟約の丘に辿り着く。
“大破壊”以来変わり果てた大地の中にあって、盟約の丘は、以前となにひとつ変わっている様子がなかった。つまり、なんの変哲もないただの小高い丘だということだが、その事実が、この変わり果てた世界では貴重といってもいいのではないかと思えた。
それくらい、世界は様変わりしている。
野も山も川も、あらゆる自然環境に異変が生じていて、故にひとびとは終末の気配を感じ取り、滅びの足音を聞く。救いを求めて喘ぎ、その声が、ベインたちの耳朶に浸透する。どうにかしたいと想いながら、なにもできない日々に懊悩する。
そんな状況下にあって、盟約の丘だけはなにも変わっていなかった。
「いつ見ても、不思議ね」
馬車の中で、ルヴェリスがいった。
「あの丘だけは、まるであのときから時間が止まったように変わっていないわ」
彼の感想は、ベインの想っていることそのものであり、彼はなにもいわないことで肯定とした。
馬車は、二台。
一台目には、オズフェルトとシドが乗っている。
二台目に、ベイン、ロウファ、ルヴェリスが同乗しているのだが、その分け方に不服そうなのがロウファだった。彼としては、シドと同乗したかったのだろうが、副団長のような立場にいるシドがオズフェルトとともに行動するのは至極当然の話だった。
先行する馬車が、丘を駆け上がっていく。
小高いだけの丘だ。
馬車で走破することくらい容易く、なんの問題もなかった。
後続の馬車も、それに続く。
そうして丘の上に辿り着くと、ベインは驚くべき光景を目の当たりにした。
ドレイクが待ち受けていることは、想像通りだった。が、彼以外にも死んだはずの騎士が揃っていて、そのことがベインを驚愕させたのだ。
フィエンネル・ザン=クローナにカーライン・ザン=ローディス、ゼクシス・ザン=アームフォート。
そして、先代騎士団長フェイルリング・ザン=クリュース。
テリウスがいれば、あのとき、“約束の地”に向かった六名が勢揃いしているところだが、彼はいない。当然だろう。彼は、テリウスは、“大破壊”の直後、この島に泳ぎ着いている。
生き残ったわけではない。
死してなお、その意思が力となって偽りの体を作り上げ、この地まで辿り着いたのだ。ある女性との約束を果たすため。ただ、それだけのために。
では、いま目の前にいる騎士たちはなんなのか。
テリウスのように、死してなお、偽りに生き続ける力なのか。
それとも。
「これは……いったい」
「どういうことなの……?」
「それを知るためにここに来たのでしょう」
シドが、狼狽するロウファとルヴェリスに向かって、いった。皆、馬車を降りている。降りて、彼らと対峙していた。
シドだって内心では動揺しているはずだが、表情に出さない辺り、まだ冷静さのほうが上回っているというべきか。ベインはというと、完全に動揺しきっているのだが。
動揺しないわけがない。
いまベインたちの目の前にいるのは、あのとき、ベノアを旅立ったときのままのフェイルリングたちなのだ。なにひとつ変わらない。なにひとつ違わない。違和感もなかれば、疑問も生じない。完全無欠にフェイルリングであり、ゼクシスであり、フィエンネルであり、カーラインであり、ドレイクだったのだ。
だからこそ、余計に混乱が増大する。
死んだはずの彼らがなぜどうしてここにいるのか。
もし生き残っていたのであれば、もっと早く姿を見せ、安心させてくれればいいのではないか。
いやそもそも、だとすれば、なぜ、魂の絆を感じ取れなくなったのか、という疑問が湧く。
救世神ミヴューラによって十三騎士の間に結ばれた魂の絆は、いまもなお、フェイルリングたちを認識してはいない。彼らは死んだままであり、途絶えたままなのだ。
では、いま、目の前にいるのはだれなのか。
フェイルリングたちの姿をした別のなにものか、とでもいうのか。
そんなことがあり得るのか。
「久方ぶりだな、諸君」
最初に口を開いたのは、フェイルリングだった。以前となにひとつ変わらない厳かな口調と、なにひとつ変わらない低くもよく通る声音は、耳にするだけで心が震えた。心の底から敬服し、その場に跪きたくなるような、そんな威力を持った声。不快感はなく、むしろ心地良すぎるくらいに頭の中で反響し、意識を掻き混ぜていく。
いつものように。
だが、そこに違和感を覚えるのは、魂が響かないからだ。
「こうして卿らの無事な姿を見ることができたのは、幸運以外のなにものでもあるまい。世界は壊れ果て、絶望の淵より終焉が顔を覗かせている有り様だ。卿らとて、無事では済むまいと想っていた」
フェイルリングの口から発せられる言葉のひとつひとつが的確に心に刺さり、浸透していく。しかし、魂は反響しない。かつてのように、魂までもが奮い立つようなことがない。その事実こそ、目の前のフェイルリングが本物ではないという証ではないか。
「無事で良かった」
「全員が全員、無事というわけではありませんよ」
オズフェルトが、一歩、前に出た。
まるでベインたちを庇うような立ち位置で、彼は続ける。
「スオール卿、ベノアガルド卿、ケイルーン卿……そして、あなたがた」