第三百五話 守護龍(二)
北進軍が龍の首を目撃したのは、イクセン街道の道沿いに野営地を築いて休憩に入り、一夜が明けてからのことだった。
最初、警戒にあたっていた兵士たちが、前方に光の柱を目撃した。天を衝く長大な光は、さながら塔のように聳え立ち、そのあまりのまばゆさに見とれるものが現れるほどだったという。光の柱の出現地点が、北進軍の通過予定地点だということに気づいたのは、そのあとのことだ。
ファブルネイア砦近辺でなにかがあったのだろうということは、だれにだって察しがついた。しかし、それがいったいなんなのかまではわかるはずもなかった。
北進軍の得ていた情報は、そう多くもない。ファブルネイア砦には千人の兵士からなる第二龍牙軍が守備についており、龍牙軍を取り纏める天将に国主ミレルバスの息子ゼノルート=ライバーンが任じられているという程度のことだ。とはいえ、北進軍にとってはそれだけで十分でもあった。こちらの兵力は約二千五百。千人ほどが篭もる砦を攻めるには少し物足りないが、そこは武装召喚師(カイン=ヴィーヴル)が補ってくれるだろう。
ファブルネイアに向かっていたのは、北進軍だけではない。
ファブルネイア砦は、つい昨日の昼間、休憩中だった北進軍を抜き去ったグレイ軍の目的地でもあるのだ。
物見の報告を元に推測すれば、グレイ軍がファブルネイアに辿り着いているのは間違いない。が、グレイ軍がなんらかの行動を起こした結果、砦が光の柱に包まれたとも考えにくいのだ。確かに彼らは皇魔ブフマッツの背に乗り、進軍していたのだが、ブフマッツにそのような能力があるはずもない。ブフマッツの特徴といえば鋼鉄のような体毛であり、炎と燃える鬣に尻尾だ。砦が炎上するのならまだしも、光に包まれるのはおかしな話だった。
そして、グレイ軍やブフマッツが原因ではないということはすぐに判明した。光の柱が消え去り、その中から巨大な龍の首が出現したからだ。とてつもなく巨大な龍の首を見たものは、だれしも、鉄槌で後頭部でも殴られたかのような衝撃を受けた。寝起きのものは完全に覚醒し、警戒に当たっていた兵は大騒ぎに騒ぎ立てて上官から叱られたりもしたようだ。
デイオン=ホークロウは、その喧騒によって浅い眠りから叩き起こされたものの、気分の悪さが持続することはなかった。目的地に出現したドラゴンを目撃すれば、寝起きの不快感など何処かへと吹き飛ぶというものだ。
さっそく軍団長たちを集めたデイオンは、軍議を開くと、ドラゴンの正体について憶測を重ねるなどという無駄なことに時間を費やしたりはしなかった。ドラゴンがなんであれ、攻撃してくるのならば戦うしかないし、北進軍に対して害意がないのならば無視して龍府に向かうなり、中央軍に合流すればいい。
中央軍との合流は、グレイ軍がファブルネイアに先行したときから考えていたことでもある。
「ファブルネイアがどういう状況なのかが知りたいが……」
「危険な任務になりますね」
エリウス=ログナーがドラゴンを仰ぎながらつぶやいた言葉が、デイオンの耳を離れなかった。確かに危険な任務だ。ドラゴンが出現したいま、ファブルネイア砦の現状は知っておくべきなのだが、かといって、その調査のために部隊を派遣すればドラゴンに目をつけられるのは間違いない。
ドラゴンが出現した理由も原因もわからない以上、迂闊に近づくのは危険であり、斥候にも接近を禁じていた。
ファブルネイアに向かったグレイ軍の動向も気になるところであり、デイオンは頭を悩ませた。確たる情報を得ないまま進軍するのは得策ではない。現地がどうなっているのか、グレイ軍がどのような状況にあるのか、知っておくべきなのは事実なのだ。
「俺が見てこよう」
そういって斥候役を買って出てきたのは、カイン=ヴィーヴルだった。仮面の武装召喚師は、相変わらずなにを考えているのかわからなかったものの、彼の物静かな言動からは頼もしさを感じずにはいられない。
「君が?」
「ああ。危険な任務には慣れている」
彼はそういって、仮面の奥の目を細めたようだった。デイオンは、彼がセツナ=カミヤ、ラクサス=バルガザールとともにログナーに潜入したことを知っている。たった三人で敵国に潜入し、生還した彼にとって見れば、ドラゴンへの接近など容易いことなのかもしれない。
「しかしな」
デイオンはカインの状態を鑑みて、了承しかねた。彼はマルウェールの戦いで重傷を負い、本来ならばファブルネイア以降の戦いには連れていけないはずだったのだ。それが、脅威の回復力を見せたために戦線に復帰させる運びとなったのだが、とはいえ、用心に越したことはないというのがデイオンの考えだった。
「俺のことは気にするな。武装召喚術があるんだ。なんとでもするさ」
カインは平然と言い放ってきたが、いつの間にか彼の隣に立っていたウルは不服そうな表情を隠そうともせずに口を開いた。
「……勝手なことをいわないでくださる? あなたが行くとなれば、わたくしもついていく必要があるんですよ?」
「だれだおまえは」
「だれだ……って」
「冗談だ。だが、君が必要があるのか?」
「一応、監視役ですもの」
「一応、だろう?」
「ええ。ですが、あなたを野放しにするのは、他の方々に不安を与えかねませんから」
「そういうものか?」
「そういうものです」
冷ややかに言い放つウルに、カインは肩を竦めていた。
「……わたしとしても、君が同行してくれるのはありがたいが」
デイオンは、マルウェールでの戦いでウルがしたことを思い出しながら、告げた。敵兵が満ちた戦場の中を平然と歩く彼女と、彼女に付き従うザルワーンの兵士たち。ザルワーンの兵士たちは、まるで彼女こそ主君だとでもいわんばかりに、自軍の兵士を攻撃していった。そして、仲間の反撃によって命を落としていった兵士たちの姿は哀れですらあったものだ。
魔女のようだとだれかがつぶやき、デイオンもそう思ったものだ。北進軍結成当時からデイオンがウルに感じていた不気味さの正体がそれなのかもしれない。張り付いたような笑顔も気味の悪いものではあったが。
「将軍閣下直々のご命令とあらば、異議を差し挟むことはありませんが……」
「では、我々も同行いたしましょう」
「ロック軍団長みずから、ですか?」
ウルが驚いたように目をぱちくりさせると、ロックは大きく頷いた。
「ええ。いかにカイン殿が強力な武装召喚師といえども、あれに近づくのは危険であろうということに変わりはありません。大事な戦力を偵察のために失いたくはないのは、将軍も同じでしょう?」
「それはそうだが」
話に割り込んできたロックの態度に、デイオンは渋い顔をした。彼の若々しい言動には、頼もしさよりも危うさを感じずにはいられない。若いだけが取り柄の人物ではない。才能もあり、実績もある。先の戦いでも彼の軍団は、敵将を討ち取るという活躍を見せたのだ。
(手柄が欲しいというわけでもあるまいに。なにを焦っている?)
軍団長以上の階級になど、そうそうなれるものではない。それは彼も理解しているだろう。だからこそ手柄を求めているのだろうか。しかし、彼の口ぶりからは、野心や野望といったものは感じられず、だからこそデイオンは困惑するのだ。
もっとも、ロックはこちらの心境など考えてもいないようだったが。
「ガンディア方面軍第三軍団のうち、五百人を使います。残りはガッシュ=ウェボン副長ともども、デイオン将軍に任せますが、それでよろしいですね?」
「五百人で足りるか?」
「偵察ですよ。勝ち目がないとわかれば、逃げ帰ってくるだけですから」
「ふむ」
デイオンは彼の爽やかな笑顔を見つめながら、北進軍の戦力を計算した。現在、戦力として数えられるのは約二千五百人だ。ガンディア方面軍第二軍団五百名、第三軍団千名、ログナー方面軍第二軍団千名である。そこから第三軍団の五百人を偵察部隊に割けば、残りは二千人。二千人ならば、様々な事態にも対処できるかもしれない。それに、軍を動かすにしても、ファブルネイアの現状がわからなければどうしようもないのだ。
このままファブルネイアに直進するべきか、それとも、中央軍との合流に切り替えるべきか。
「良かろう。ロック軍団長の提案通り、第三軍団の五百人を偵察部隊とする。人選は君に任せる。カイン=ヴィーヴル、ウルの両名はロック軍団長の指示に従ってくれたまえ」
デイオンは、三人に言い渡してから、これでよかったのかと思い巡らせたものの、ほかに良い考えがないのも事実だということを悟るのだ。とにかく、あのドラゴンの出現によって、ファブルネイア砦の周辺がどうなったのかを知る必要があるのだ。砦に向かったグレイ軍の消息も知っておくに越したことはない。
北進軍の行動の指針となる情報は多ければ多いほどよい。情報が多すぎて混乱しては本末転倒ではあるが。