第三千五十六話 騎士の国にて(一)
衝撃が、腹を貫いた。
分厚い甲冑の上から叩き込まれた一撃は、装甲をひしゃげさせるだけでなく、鎧われた肉体に凄まじい痛みを刻みつけ、内臓を震撼させ、背骨へと至る。骨が軋んだ。猛烈な痛みと、口の中に広がる鉄の味に、彼は口の端を歪ませた。歪な笑みだ。自分でもなにがおかしいのかわからない。わからないが、おかしいのだ。
なにもかもが、おかしい。
そしてそのまま空中高く吹き飛ばされて、態勢を立て直すのに多少の時間を要したのは、激痛が想定を遙かに上回るものだったからだ。
「てめえ、ドレイク!」
ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートは、吼えるように声を上げながら、空中で反転し、着地した。救力を使えば、空中での姿勢制御など容易いことだ――ということが、最近になって理解できてきた。長年、救力を使っていながら、技術的にはまだまだ未発達だったことを思い知ったのは、不様にもほどがある。
とは思うものの、これまではそんな技術が不要だったのだ。
“大破壊”以前は、力だけ出よかった。
真躯は無論のこと、幻装さえ用いる必要のない戦闘ばかりだった。
実際のところ、ベインが“大破壊”以前に真躯を用いた回数など、数えるほどしかない。幻装の使用回数はそこそこあるが、それにしたって、戦闘回数に比べればたいしたものではなかった。
救力だけで十二分に戦えたのだ。
救力は、ひとを救うために救世神ミヴューラから授けられた力だ。つまりは、神の力の一部なのだ。そんな力を使って、圧倒的な勝利を収めるのは当然だったし、技術を必要としないのも道理だった。
その道理が通用しない世界になった。
成り果て、変わり果てた。
果ては、終焉へと向かっている、らしい。
そんな状況下で、わけのわからないことが起きている。
ベノアガルド首都ベノア近郊の平原に、彼はいる。
ドレイク・ザン=エーテリアと対峙して、いる。
死んだはずの十三騎士にして、“神武”のドレイクだ。
重装の甲冑を着込み、大剣を背負う彼の姿は、往年のドレイクそのものであり、故にこそ、ベインの頭の中には混乱が広がっていた。
ドレイクは、死んだ。
騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースとともに、聖皇復活の儀式を止めるべく、“約束の地”へと向かい、そこで命を使い果たした。
その結果、世界は生き延びた。
“大破壊”という悲劇的な破局が起こったものの、世界は、辛くも生き延びている。
彼らの尊い犠牲によって、だ。
だのに。
「なんでだよ、なんでこんなにも本物そっくりなんだよっ……!」
「なぜ、受け入れぬ。なぜ、頑なに我らを偽物と言い張る」
「本物のわけがねえだろ!」
声を裏返らせながら、ベインは叫び、飛び退いた。救力だけを用いるドレイクの動きは、その重装備からは考えられないほど俊敏であり、つぎの瞬間には、ベインが立っていた場所を的確に踏み潰していた。地面に大穴が開くほどの一撃。
直撃を食らえば、救力で身を包んでいても、大打撃間違いない。
(なんたって、こんな……!)
ベインは、ドレイクのつぎの動きを想像しながら、考える。
なぜ、こんなことになったのか。
その日の朝、ベインは、めずらしく自分の機嫌がいいことに気づいた。
“大破壊”以来、機嫌のいい朝など、ほとんどなかった。どんなに晴れ渡る空が出迎えてくれても、どれだけまばゆい太陽が頭上にあっても、穏やかな風に包まれても、いつだって不機嫌で不愉快だった。愉快なことがすべて、この世から消え去ってしまったのではないか、そんな毎日を送っていた。
“大破壊”以来。
“大破壊”は、ただ大陸を破壊しただけではなかった。
ベノアガルドの秩序も、ベノアの安寧も、なにもかもを破壊し尽くしてしまった。
ベインの心の平穏さえも、“大破壊”が起きたあの日、でたらめに破壊されてしまったのだ。
故に彼の機嫌が良い日というのはめずらしく、それは、屋敷の使用人たちにもすぐにわかってしまうらしい。すると、どうだろう。彼に挨拶するものたちだれもが常ならぬ笑顔で接するものだから、なんだか気恥ずかしいような、照れくさいような感情が沸き上がってくるのだが、それも悪い気分がしなかった。
機嫌がいいというだけで、世界そのものの見方が変わってくる。
つまり、普段、機嫌の悪いベインには、世界そのものが決して良くないものに見えているということであり、その事実を認識するたびに、自分という存在が疎ましく思えてならなかった。
なぜ、自分が生き残っているのか。
そんなことを考えてしまう。
生き残るのであれば、自分よりも適した騎士がいたはずではないのか。
なぜ、どうして、自分は、“約束の地”への道行きに誘われなかったのか。
選ばれなかったのか。
そのことを考え始めると、堂々巡りを繰り返し、出口の見えない迷宮に入り込んでしまうものだから、あまり深く考えるべきではない、と、シドやオズフェルトに散々忠告されていた。
なんて優しい連中なのだろう、と、彼は思う。
自分よりもいまの世に必要であり、相応しい騎士がいることは、彼らだって知っているはずだ。
なのに、彼らは、ベインのことを尊重し、気遣ってくれさえする。
そんな彼らのために身命を賭すことは、彼にとってなんの問題もないことであり、道理といっても過言ではなかった。
機嫌がいい日は特に、彼らのためにできることはないか、と考える。
そうしてベノアを駆け回り、一日が終わるのが、機嫌のいい日のベインだった。
が、その日は、そうはいかなかった。
「ベイン様、騎士団本部からの緊急招集です!」
使用人が駆けつけてくるなり、予期せぬことをいってきたのは、ベインが鼻歌交じりに花壇の手入れをしている最中だった。
ベインは、手を止めて、舌足らずな使用人の幼さの残る顔を見た。
「緊急招集……?」
「は、はい! ベイン様におかれましては、いますぐ騎士団本部に出頭せよ、とのことです!」
「緊急……」
ということは、余程のことがあったに違いないのだが、それがどういったことなのかまったく想像がつかず、彼は、立ち上がった。
花壇の手入れを使用人に一任して、すぐさま屋敷に戻り、着替えて外に出れば、馬車の用意が済んでいた。
馬車が騎士団本部に向かう間も、彼は思案し続けた。緊急招集など、ここのところなかったことだ。“大破壊”以降、何度かはあった。そのたびに騎士団にとって重要な決断に迫られたが、ベインは、私見を述べることはなかった。
彼は、自分の分を弁えるということを知っている。
自分には、圧倒的に頭が足りないということも理解している。
考えるのは、頭の良い連中に任せればいい。任せる以上、下された判断がどのようなものであれ、不満や不平を口にするべきではない。故にこの度も、彼が私見を述べるようなことはないだろう。
とはいえ、緊急招集が発された以上、その指示には従わなければならない。
どのような緊急事態が待ち受けているのか、それだけが気になった。
たとえそれがどのようなものであれ、オズフェルトやシドが下した決断に従うのみであり、そういう点では、ルヴェリスやロウファが彼を羨むのもわからない話ではなかった。
彼らは、オズフェルトやシドのように考える類の人間だからだ。
ベインとは、違う。