第三千五十四話 これから(二)
「セツナのいうように、この世界のためにという理由で神々を説得し、納得させることは困難を極めるだろう。異世界の神々がイルス・ヴァレに残っているのは、みずからの意志ではないのだからな。だれが好き好んで己とは無関係の世界のことを考えようか」
「おぬしのような変わり者でもない限りはな」
「その通りだ」
ラグナの冷やかしを肯定したマユリ神は、こちらに視線を向けてきた。セツナの腕の中のラグナではなく、セツナの目を見つめてきたようだった。
「神々のだれもがわたしのようであれば話は簡単だ。獅子神皇を斃したあと、説得して回ればいいだけだからな」
「その大前提が困難を極めることだと思うんですが」
「なんだ、セツナ。おまえは獅子神皇を斃すのではないのか?」
「斃します。斃しますよ」
いわれるまでもないことだ。
セツナは、既にそう決めている。たとえその依り代がレオンガンドであれ、そこにレオンガンドの意識があり、人格が残っているのだとしても、世界に破滅をもたらす存在を放っておくことはできない。交渉にも応じず、耳を貸さないというのであれば、斃すしかない。
聖皇の力、そのすべてを徹底的に破壊し尽くし、かけらも残してはならない。
聖皇復活の可能性となるものを根絶しなければ。
「でも、だからといって、まるでそれそのものは問題がないとでもいうように仰るのはいかがなものかと」
「わたしはおまえを信じているのだ、セツナ。おまえならば、必ずや獅子神皇を討ち滅ぼし、この世界を救ってくれるに違いないとな」
「随分と、買ってくれていますね」
「買い被りではないぞ。おまえは今日に至るまでの戦いにおいて、それを証明してきた。わたしは、その戦いを見届けてきた」
だから、信じるに足るのだし、疑問を持つ必要はない、と、女神はいう。
もちろん、獅子神皇の打倒は、これまでのあらゆる戦いとは比較にならないほど困難なものであり、次元が違うといっても過言ではない。
「おまえと皆ならば不可能はない。そう信じているだけのことだよ」
マユリ神に見つめられて、セツナは言葉を失った。神々しくも美しい瞳は、セツナの目から心の奥底まで見透かしているのではないか。
「話を戻すが、獅子神皇を斃したとして、神々が交渉に応じ、こちらの話を聞き入れてくれるかどうかというと、難しいだろう。どれだけ力を示そうとも、彼らには関係がない。本来在るべき世界に還ろうというのは、本能なのだ。神々のな。そしてその際には、ミドガルド。おまえの同志たちも、同志であることを辞めるだろう」
「まあ、そうでしょうね。あの方々とは、共通の目的があり、利害が一致したからこそ、同志となったまでのこと」
その目的とは、エベル打倒だった。
エベル打倒が果たされた以上、同盟が解散されたとしてもおかしくはないのだが、ミドガルドたちの同盟には新たな目的が設定された。それこそ、ネア・ガンディアの打倒であり、獅子神皇の討滅だ。つまり、ミドガルドと同志たちは、セツナたちに協力してくれるということだ。いや、既に協力してくれている。
魔晶船があっという間に完成したのは、ミドガルドのみならず、同志たちの協力があったからこそだ。
ミドガルドだけでは、完成までに何ヶ月かかったことか。
そういう意味でもミドガルドの同志には感謝しかないのだが、一方で、ネア・ガンディアの打倒を果たした暁にあの神々がどのような行動を取るのかは、いまのところ不明なのだ。利害が一致している間はいい。セツナたちとの協力関係を失わないためにも最大限の努力をし、神威の発散を極力抑えてくれている。
だが、目的を果たした後は、どうか。
こちらの利があちらの害となり、あちらの利がこちらの害となる可能性もある。
そうなったとき、セツナたちはどうするべきか。
「異世界の神々がイルス・ヴァレの道理に従わぬというのであれば、こちらも異界の道理に従わなければよいだけのこと」
「それは、戦う、ということか」
「ほかに道がなければ、致し方なかろう」
「すべての神々と敵対するというのは、あまり現実的な話ではないな」
「なに、こちらには魔王の杖とその使い手がおるのじゃ。神などおそるるにたらんぞ」
「それもそうだがな」
「それにじゃな。なにも戦わずともよいのじゃ」
ラグナが、腕組みをしながらいった。セツナの腕の中から抜け出した彼女は、彼の右肩でふんぞり返っている。小飛竜態は、かつてのような二本足に一対の翼という形態に一対の腕を追加したような姿となっている。人間態にも超特大飛竜態にも変身できるラグナにとって、腕の一本二本増やすことくらい、造作もないのだろう。
なぜいまになって腕を二本追加したのかといえば、そのほうがふんぞり返りやすいからに違いない。
「獅子神皇を討滅さえすれば、頭の硬い彼奴らとて、多少なりとも耳を貸す気になるはずじゃ。いくらわしらの言い分が気に食わないからといって、滅ぼされてはかなうまい」
「威す、か」
「うむ」
「結局力業かよ」
セツナが冷やかすと、ラグナがこちらを半眼で見つめてきた。
「セツナよ。なんでもかんでも力業で解決してきたおぬしにだけはいわれたくないぞ」
「へいへい、どうせ俺は力しかない大馬鹿者ですよ」
「うむうむ、わかればよいのじゃ」
大得意な顔をしてみせる小飛竜に対し、セツナは辟易する思いだった。
とはいえ、なんでもかんでも力業で解決してきたというのはほとんど事実であり、自覚していることでもあった。
寄る辺なき異世界に迷い込んだセツナにとって、その力だけがすべてだった。
黒き矛に秘められた絶大な力こそが、セツナのすべてであり、拠り所であり、存在意義そのものだった。その力に頼りすぎていたという自覚もあるし、いまもなお、その力に頼らざるを得ないという現実もある。ラグナの案だって、結局のところ、黒き矛の力を頼みにしているのだ。
それそのものが悪いわけではない。
要するに、力の使い方だ。
ただ、敵を斃し、討ち滅ぼすだけが力の使い方ではあるまい。
とは、思うのだが。
(そんなことをいっている場合でもないんだよな)
脅威は目前に迫っていて、それに対して力をぶつける以外の名案が浮かぶことなど、そうあるわけでもない。脅威を放っておくことなどできるはずもなく、考えている時間もなければ、力任せの力業に頼らざるを得なくなる。
考えられる時間があるいまだからこそ、それ以外の方法を模索するべきなのだ。
「まあ、いずれにせよ、すべては勝ってからのことだがな」
「そうじゃな。まずは、あれに勝たねば話にもならぬ」
「獅子神皇……ですな」
いわれるまでもなく、再確認するまでもなく、それこそ、もっとも優先的に考えなければならないことだ。
打倒ネア・ガンディア。
打倒獅子神皇。
それがセツナたちにとっての当面の目標であり、そのためにはまだまだ戦力が足りないという確信があった。
なにせ、相手は神の軍勢なのだ。
数多の神々が敵として立ちはだかり、その頂点には、神々の王と呼ぶに相応しい存在が君臨している。
獅子神皇の首元に刃を突きつけるためには、絶対的といっても過言ではない防衛網を潜り抜けなければならないのだ。
そのための戦力の拡充が、現在の課題だった。