第三千五十三話 これから(一)
セツナたちを乗せた魔晶船が魔晶城に帰還したのは、ちょうど日付が変わる時間帯だった。
それだけ長時間王都に滞在していたということもあるが、ミドガルドの要望により、出発時とはまったく異なる経路を辿るようにして魔晶城を目指したからだ。
エベルの守護を失った聖王国領内を多少なりとも見て回って起きたい、というのが、ミドガルドの要望であり、セツナはそれを受け入れた。魔晶船のさらなる試運転をたっぷり行うことができる上、各種機能を試すこともできるため、一石二鳥だったからだ。
魔晶城への帰路、上空から見下ろした大地は、ミドガルドのよく知る聖王国領と似て非なるものだった、という。
それは、王都への往路でもわかったことだが、大陸各地を飛び回ったことで、“大破壊”による損害の規模がより明確に、現実的なものとして伝わってきたのだろう。
それは、かつての聖王国領の様子を知らないセツナにも、はっきりと理解できた。
“大破壊”の影響は、なにも大陸が引き裂かれ、ばらばらになったことだけではない。緑豊かな森は神威に毒されて結晶化し、山は崩れ、大地は割れ、時とともに荒れ果てていく。白化症を患った獣や鳥は、他の生物を襲い、破壊と殺戮を撒き散らす。
さらにいえば、生態系そのものが狂い、滅亡の影が見え始めているのだ。
これは、神々の存在そのものの影響だ。
そしてそれは、異世界の神々にとって、この世界がどうなろうと知ったことではなく、生きとし生けるものが傷つこうとも滅びようとも無関心だということの証明でもあった。
神々の発する力、神威こそが、神属以外のものにとって存在そのものを脅かす猛毒なのだ。
ではなぜ、マユリ神やマリク神の周囲にいる人間たちは白化症を発症せずにいるのかといえば、マユリ神もマリク神も、周囲に気を使っているからにほかならない。直接浴びれば猛毒の神威も、微量ならば悪影響を及ぼすことはないのだ。
だから、イルス・ヴァレにいるすべての神々が、マユリ神やマリク神のように周囲に気を使ってくれさえすれば、白化症を患うものも、森や大地が結晶化するようなこともないはずだった。
しかし、説得してどうなるものでもない。
神威とは、神の力であるが、同時に生物にとっての呼吸のようなものでもある、という。
「おまえの息は臭いから息をするな、っていうようなもんだもんな」
そんなことをまったく無関係な他者にいわれて、応じる神々ではあるまい。これが自分たちを信仰するひとびとのいる世界ならば話は別だが、ここは、神々にとっては異世界なのだ。
この世界がどうなろうと、知った話ではない。
「それよりはもっとずっと深刻だがな」
どこか呆れたようなマユリ神の反応に、セツナは、小首を傾げた。
「わりといいたとえ話だったと思うんですがね」
「いいや、全然」
特等席のマユリ神は、冷ややかなまなざしを向けてきた。金色の神の瞳には、周囲に浮かぶ映写光幕に投影された情報が反射している。それらは、魔晶船に関するすべての情報を網羅したものであるといい、マユリ神は、試運転中、魔晶船がどのような状態にあるのか、常に確認しながらセツナたちとの他愛のない会話に混じっているのだ。
さすがは神様というほかない。
が、手厳しい一言には首を捻らざるを得ない。
「むう……」
「そういうところで馬鹿さ加減が露呈するのが、我が主の主たる所以よな」
「そうですね」
「ラグナはともかく、ウルクまでか」
セツナががっくりと肩を落とすと、ウルクがきょとんとした。彼女は、まるで意味がわからないとでもいうように聞いてくる。
「どうしました?」
「いやいや、おまえこそなんでそんな反応なんだよ。馬鹿っていわれりゃ、俺でも多少はへこむっての。いや、わかってるよ。わかってるけどさあ」
「わかっておらぬから、馬鹿さ加減に拍車がかかり続けておるのではないかの」
「うるせー、竜王」
「それで言い返せた気になっておるところがじゃな」
「おまえに説教されるいわれはないぞ!」
「なにを!」
ラグナは頭の上から飛び降りてくると、その丸みを帯びた鼻先をセツナの鼻先に突きつけてきた。
「まったく……このような状況でよくもまあここまで賑やかでいられるものだ」
「おかげで多少は救われますが」
「そうか。そうだな。明るいのはいい」
マユリ神がミドガルドを横目に見たのは、なんとなくわかった。が、セツナは、ラグナとの空中戦に夢中であり、ふたりに目を向ける暇もなかった。セツナの周囲を飛び回る小飛竜は、あまりにもすばしっこく、魔法でも使っているのではないかと疑うほどだ。
「希望が持てる」
「はい。わたしも、そう思います」
「ミドガルド、マユリ様、ひとつ、質問してもいいですか?」
「なんだね、改まって」
「セツナはなにを落胆したのでしょう?」
ウルクがふたりに質問している間も、セツナはラグナを掴まえるのに必死になっていた。
「それは、君がラグナシア様の発言を肯定したからだろう。いくら心許す従僕とはいえ、馬鹿といわれて気分がいいはずがないのだからね」
「そうだな。ミドガルドのいうとおりだ。セツナはあれでも、案外繊細だ」
「あれでも、とか、案外、とか、色々余計ですってば」
セツナがようやく意見を述べることができたのは、ラグナの尻尾を掴めたからだ。そのまま引き寄せようとするものの、ラグナの抵抗は極めて強い。
「見た目には、繊細には見えないぞ」
「そう……ですか?」
「おまえは、一度自分で自分の姿を見直してみたほうがいいな」
「セツナはいまのままで素敵ですが」
「ああ、おまえの美的感覚を否定するつもりはないよ、ウルク。ただ、繊細には見えないというだけのことだ」
「繊細には見えない……」
ウルクには、マユリ神のいうことがどういうことなのか、よくわからないのだろう。彼女は、イル、エルとともに、セツナを凝視してきた。イルとエルは、ウルクの仕草を真似することが多いのだが、それにしては間がぴったりだったりするのは、ウルクの肆號躯体に搭載された機能の影響なのか、どうか。
肆號躯体は、魔晶城製の魔晶兵器および魔晶人形に対する絶対命令権を機能として搭載されているのだ。
ウルクが一言命じるだけで、魔晶城はその瞬間、彼女のものとなるといっても過言ではない、という。
ミドガルドがなぜ、ウルクにそのような機能を与えたのかといえば、今後の戦いのためだ。ネア・ガンディアとの決戦の際、魔晶兵器の性能を遺憾なく発揮できるのは、あらゆる面で性能が向上した肆號躯体だけであり、だからこそ、肆號躯体にはすべての魔晶兵器を並行的に制御する機能が与えられたのだ。
その機能がイルやエルに影響を与えている可能性を考えて、セツナは胸中で頭を振った。ウルクとイル、エルの息の合いっぷりについては、ウルクが肆號躯体に換装する以前からの話であり、いまに始まったことではないのだ。
そして、ウルクの影響と考えた場合、イルやエルの人格を無視することになり、それはあまりにも悲しいことだと思ったからだ。
イルとエルは、自分というものを持ち始めている。
彼女たちの成長を見守ろうというときに、人格を無視するようなことを考えるのは、ひとでなしのすることだ。
(ま、それは否定できないけどな……)
自虐を交えつつ、彼は、胸中でいった。




