第三千五十話 ミドガルドのこと(九)
「では、行きましょうか」
セツナがそう促したのは、全員が揃ったからであり、一応の用事が済んだことを確認したからだ。
王都を訪れた目的は、果たした。
王都の現状を確認し、ミドガルドは、自分にできる限りの手を打った。聖王国政府に働きかけ、セツナたちへの協力体制を整えるという方針を取り決めさせたのは、さすがはミドガルドというほかない手腕だろう。これにより、ミドガルドもウルクも、堂々とセツナたちに協力することが可能となったわけであり、魔晶城からの戦力提供も公的なものとなったのだ。
そのための会議にかなりの時間を費やしたミドガルドだったが、疲れている様子は見えない。魔晶人形の躯体である以上、肉体的疲労を感じるということはないのだろうし、重臣たちを説得するために精神力を消耗したということもなさそうだった
。もちろん、魔晶人形の変化の少ない表情からは、そういった情報をうかがい知ることはできないのだが、ミドガルド自身の言動からは、そう感じられた。
セツナにとっては、知らなくてもいい情報まで手に入ってしまったものの、そのことは、胸にしまっておけばいい。
ミドガルドの過去についてとやかくいえるような、そんな出来た人間ではない、と、セツナは自分のことを想っている。
「ええ……そうですね」
「……どうされたんです?」
「いえ……特になにがあったというわけではないのですが」
ミドガルドは、言葉を濁した。というよりは、どう答えるべきか迷っている、とでもいうべきか。そんな彼の曖昧な態度が、ウルクのなにかを駆り立てたのか、彼女がミドガルドに鋭い視線を向けた。
「ミナ=カンジュ。セツナが質問しているのです。正直に答えてください」
「……ウルク。君は、どちらの味方なのかね」
「なにをいっているのですか、ミナ=カンジュ。わたしの主は後にも先にもセツナただひとりです。たとえミドガルドであったとしても、その道理をねじ曲げることはできません」
「ああ、そうだったね。わかっているよ」
とはいいながらも、ミドガルドの反応はどこか残念そうにも感じられた。それはそうだろう。ウルクは、ミドガルドが作り上げた最初の魔晶人形であり、彼にとっては最愛の娘のような存在なのだ。実際、彼はウルクのことを指して、娘と発言している。そんな娘にこうまで冷徹に断言されては、親としては立つ瀬がないのではないか。
「おい、ウルク。そりゃいくらなんでも言い過ぎじゃないか」
「はい? セツナ、わたしは言葉選びに気をつけたと想うのですが」
「そ、そうか……?」
「そうじゃな。随分と柔らかい言い方じゃったと想うぞ」
「さすがは先輩です。わたしの考えなど、お見通しといったところですね」
「うむ。先輩じゃからな」
「尊敬します」
「よいよい」
ウルクは、本心からラグナを慕っているようであり、ラグナはそんなウルクが可愛くて仕方がないとでもいうように対応する。彼女たちの先輩後輩関係は、レムの影響によるところが大きいのだが、それによって奇妙としかいいようのない空気になってしまうのも、レムが原因といわざるを得ない。
もしここにレムがいれば、さらにおかしな空気になっていたのは考えるまでもなかった。
「……話は、船に戻ってからに致しましょう。いつまでもマユリ様を待たせるのは、申し訳がないですからね」
「そうですね、それがいい」
セツナは、ミドガルドの提案に大いにうなずくと、まだ納得していない様子のウルクを説得するのに多少の時間を費やすことになった。
聖王宮を離れ、来た道を戻る。
道中、王都がなぜこうまで静まり返っているのかについて、ミドガルドから説明があった。
王都は、つい先頃までルベレス王が敷いていた防衛体制の元、安穏たる日々を過ごしていたという。
およそ三年前、大陸を引き裂き、聖王国領土にも多大な被害をもたらした崩壊の日は、王都のひとびとの安寧をも奪い去った。明日をも知れぬ不安に駆られるひとびとに対し、王都に舞い戻ったルベレス王は、王都市民の安全と平穏を約束するべく、強固な防衛体制を取ったのだ。
それこそ、量産型魔晶人形による昼夜を問わぬ防衛体制であり、王都中のどこかしこにも魔晶人形が配備され、また常に市内を巡回する魔晶人形部隊が市民の心に安寧をもたらしていた、という。
そんな平穏な日々は、突如、音を立てて壊れてしまった。
市内を巡回中の魔晶人形部隊も、市内各所で防衛に当たっていた魔晶人形の数々も、突如として動かなくなってしまったからだ。
それはなぜか。
エベルが滅び去ったからだ。
ルベレス製の量産型魔晶人形は、心核を白色魔晶石にしていた。白色魔晶石は、黒色魔晶石より低い性能ではあったが、黒色魔晶石よりも数多く採掘されており、研究所には大量に保管されていた。だから、選ばれた、というわけではない。もっと別の理由だ。
「おそらくは、セツナ殿の特定波光を頼りとするのをよしとしなかったからでしょう」
ルベレスは、エベルの依り代であり、エベルそのものなのだ。それはルベレスの判断ではなく、エベルの判断であり、エベルにしてみれば、魔王の杖の使い手たるセツナに頼ることなど、神としての尊厳が許さなかったに違いない。
故に、代替となる魔晶石を探した結果、見つかったのが白色魔晶石だった。そして、その白色魔晶石は、エベルの特定波光に反応する。
つまり、エベルがいたからこそ動いていた魔晶人形たちは、エベルの消滅によって力を失い、物言わぬ機械人形に成り果ててしまったということだ。
「セツナがいない間のわたしのように、ですね」
「そういうことだな……」
うなずきながら、ウルクが再起動するまでに長い時間がかかったことを申し訳なく想った。
ウルクが機能停止状態に陥ったのは、セツナがこの世界から消え去ったからであり、特定波光が世界から消え失せたからだ。ガンディアとディールという遙かに離れた場所であっても届くのが特定波光というものであり、たとえウルクが帝国領土に流れ着いていたのだとしても、セツナが存在していたのであれば、機能停止に陥るようなことなどなかったはずだ。
セツナが地獄に逃げたから、レムは意識を失い続け、ウルクもまた、機能停止であり続けた。
そのことについては、謝っても謝りきれないところがある。
話を戻すと、王都市民が家に閉じこもっているのは、聖王宮から安全が確認されるまでは外出を控えるようにという指示があったからであり、それこそ、量産型魔晶人形たちの一斉機能停止事件のせいだった。聖王宮は、王都の警備・防衛体制をルベレスが率いる魔晶人形たちに任せきりだったのだ。それが突如として動かなくなったものだから、体制の変更を余儀なくされ、それに手間取っている、という状況だったらしい。
そのために王都の“意内”も“意外”も沈黙に包まれており、その現状について、どうやらミドガルドは想うところがあるようだった。
彼が王宮を離れる際、多少の迷いを見せたのは、そのためだったのだろう。
それは、船に戻ってから、明らかになった。
王宮に入ったときと同じように近衛騎士に導かれるまま橋を渡ったが、今度は、橋から先も近衛騎士がセツナたちを先導した。案内役の近衛騎士たちは、最初のときよりもセツナたちを見る目が変わっていたのだが、それは、セツナたちがどういった連中なのか、多少なりとも話に聞いていたからのようだった。
王都の門前まで来ると、近衛騎士たちは、最敬礼でもってセツナたちを見送ってくれた。
当初はどうなるものかと思った王都訪問は、そのようにして、快い気持ちで終わることができたのだった。