第三千四十九話 ミドガルドのこと(八)
「待たせてしまったようですね」
セツナたちより遅れて合流場所に現れたミドガルドは、心なしか浮かない顔をしているように思えた。表情の変化がほとんどない旧型の魔晶人形だというのに、どうしてそう感じたのか。ミドガルドが身に纏う雰囲気が、どこか重々しかったからだろう。
「はい、ミナ=カンジュ。随分と待ちました」
ウルクは、だれかに聞かれる可能性を考慮してだろう――ミドガルドの偽名を用い、正直に答えた。確かに、この部屋に入ってから、ミドガルドが現れるまでそれなりの時間が経過している。
暇を潰すための話題が尽きるくらいにだ。
とはいえ、ミドガルドは、セツナたちにはできないことをしていたのであり、彼が時間をかけて様々な説明や調整を行っていたのだと考えれば、至極当然のことだったし、納得もいくことだ。
「待ちましたけど、問題はないですよ」
「そうじゃな。退屈じゃったが」
「竜王様を退屈させるとは、とんだご無礼を働いてしまったようです。申し訳ありません」
「いや、よい。ただの冗談じゃ」
ラグナが快活に笑ったのは、ミドガルドが最適解を返したからだろう。ラグナの機嫌取りに関しては、ミドガルドは中々の上手だった。もしかすると、セツナよりも上手いかもしれない。
「あれ? マユリ様はどちらに?」
「一足先に船に戻られたのですよ」
「そうだったんですね」
ミドガルドの返答に容易に納得できるのは、マユリ神ならば、用事が終わればそそくさと持ち場に戻りかねないところがあったからだ。マユリ神は、自分の役割以外のことに興味を持つということがほとんどない。ウルクナクト号の機関室にミリュウたちが出入りして、マユリ神と交流を持ち、親睦を深めようとしていたのだって、ミリュウたちのほうからしていたことだ。
マユリ神にとっては、自身の本質である希望を叶えることだけが重要であり、それ以外はどうでもいい、とでもいうのかもしれない。
神には、そういうところがある。
「頭の硬い連中を説得するに当たって、マユリ様のお力ほど有用なものはありませんでしたよ」
「でしょうね」
セツナには、ミドガルドとマユリ神が参加した聖王国最高会議の場面が容易に想像できた。王妃こそ素直に納得し、受け入れていたものの、ミナ=カンジュの話を初めて聞いた重臣たちは、様々な感想を持ったに違いなく、疑念を抱いたものがいたとしても不思議ではない。
そんな疑念も、マユリ神の御業が披露されれば、解消されるというものだろう。
なにせ、本物の神様が目の前にいて、ミナ=カンジュの話を肯定しているのだ。
それでもなお疑問を持つものがいただろうし、そういった連中の説得にこそ、ミドガルドは弁舌を振るったに違いない。
故に時間がかかったのではないか。
そう、セツナは納得していたのだが。
「それで、聖王国の結論は出たのですか?」
「ええ。大筋では、殿下の決定された通りとなりましたよ。魔晶技術研究所は、マユリ様御一行に全力で協力し、ネア・ガンディア対策に尽力せよ、とのことです」
「それなら安心です」
「その呼びかたはかなり引っかかるがのう」
ラグナがいったのは、マユリ様御一行という便宜上の名称について、だろう。
マユリ神は、便宜上、セツナたちの代表ということになった。希望を司る女神たるマユリ神という存在こそ、戦力を糾合する上で大いなる御旗となるだろう、というミドガルドの判断からそうなったのだ。実際、セツナが旗印になるより、余程効果的なのは間違いない。
ガンディアの英雄としてのセツナの名は、大陸小国家群のみならず、大陸全土に響き渡ったというが、聖王国ではほとんど効力がなかったように、その雷名がなんの威力も発揮しないことだって十分に考えられる。小国家群の一部では大いに恐れられた名も、その周囲を離れれば、噂話程度にしかならない、ということだ。
「では、マユリ様軍とでも申しましょうか? それとも、マユリ様と愉快な仲間たち、とか?」
「そういうことではなく、じゃな」
「先輩は、セツナが前面に出ていないことが不満なのです」
「うむ!」
ウルクの解説に力強くうなずく小飛竜の後頭部を見下ろしながら、セツナは、嘆息した。それから、ぼやくようにいう。
「俺は別に構わんぞ」
「おぬしはそうでも、わしらはそうではないということじゃ」
「そうです、セツナ。わたしたちの中心にいるのは、セツナです。マユリ様ではありません」
「よくぞいった、後輩よ。もっというてやれ」
「では、先輩、お言葉に甘えて――」
「いや、よしてくれ」
セツナがウルクの言葉を遮ると、彼女は、静かにこちらを見つめてきた。不服極まりないといった感情が、表情からもはっきりと伝わってくるのは、肆號躯体ならではだろう。
「セツナ……」
「むう……セツナよ、おぬしは淡泊じゃのう」
「そんなことに拘る必要性を感じないだけさ」
セツナは、ラグナとウルクの視線を浴びながら、いった。
「だれが先頭に立とうと、だれが旗印になろうと、俺のやることには関係がないからな」
なにが重要でなにが重要でないのか、それを見誤ってはならない。
目的を果たすことが最優先であり、そのための最適の手段というのであれば、自分がだれかの下につくことも甘んじて受け入れるべきだ。セツナは、そう考えている。
「それに、マユリ様が旗印になるってんなら、俺を忌み嫌う神々だって協力的になるかもしれないだろ?」
「それはそうじゃが……」
「神々ですか」
「協力者は多ければ多いほど、いい。特に神々が味方になってくれるっていうんなら、これほど心強いことはないさ。そうだろう?」
「はい」
ウルクがうなずく。
セツナがそのような考えに至ったのは、つい最近だった。ミドガルドの同志たる三柱の神の存在を知り、神々が極めてミドガルドに協力的だという事実を知り、その良好な関係性を目の当たりにしたときから、そんな考えを持つようになっていた。
元より、戦力不足に悩まされてきたのだ。
相手は、ネア・ガンディア。獅子神皇擁する神々の軍勢だ。とてつもない大戦力であり、圧倒的にもほどがあるといっていい。そんな連中に対抗するためには、ただ人数を集めるだけでは駄目なのだ。強力な駒が必要となる。
並の人間では、戦力に数えることはできない。最低でも召喚武装の使い手でなければ、戦闘要員にすらなれない。しかもただの召喚武装使いでは、主戦力たり得ず、敵軍の雑兵相手しかさせられないのだ。
神の力というのは、極めて強大だ。
それが多数、敵に回る。
そのすべてを同時に相手にするようなことはないだろうが、だとしても、多数の神を相手にする可能性があることを考えれば、同等の力を持った存在を味方にすることができれば、これほど頼もしいことはない。
「とはいっても、ネア・ガンディアに属さない神様がどれだけいて、どこにいるのかはまったくわからないんだがな」
多少、心当たりはある。
海神マウアウに闘神ラジャムのことだ。海神マウアウとは友好的な関係を築くことができていて、帝国でのナリアとの戦いでは、積極的に協力してくれている。もし、ネア・ガンディアと戦うということを知れば、味方になってくれるかもしれない。
闘神ラジャムについては、よくわからない。
闘争を好む神のことだ。
もしかすると、ネア・ガンディアとの決戦というだけで、喜び勇んで協力してくれるかもしれなかった。