第三千四十八話 ミドガルドのこと(七)
ミドガルドがどのようにして死んだのか。
セツナは、頭脳を総動員して考え抜いた挙げ句、嘘をついている。
アレグラスは、その嘘を嘘と気づかないまま、受け入れ、黙り込んだ。まるで死者への哀悼を込めるような沈黙は、セツナをして心苦しくさせたが、こればかりは致し方のないことだ。
本当のことは、いえない。
ミドガルドがエベルに殺されたということはともかくとして、殺されながらも、魔晶人形としてある意味生きているということは、いっていいわけがないだろう。
ミナ=カンジュによる報告では、ミドガルドは、ネア・ガンディアの尖兵たる神との戦いの中で落命した、ということになっている。セツナの説明は、その報告を補強するものであり、ミドガルドの死に様について、克明に伝えなければならなかった。アレグラスが曖昧な回答を許さなかったからだ。
彼は、父の死の真相を知りたがった。
故に嘘を伝えなければならない立場がひたすらに辛く、苦しかった。
そんな風にして、ふたりの間ではしばらく沈黙が続いた。
「……ありがとう、セツナ殿」
思わぬ一言とともに静寂を破ったのは、アレグラスだった。
「これでわたしは心置きなくこの国の王になれる」
「殿下……」
「なに。ウェハラム家もハスタロン家も元を辿ればディール王家なのだ。王家の血筋であることに代わりはない。それにわたしがミドガルドの子であるという真実を知るものは、母とわたし、そして亡くなられた陛下くらいのものだ」
だから、なんの問題はないのだ、と、いわんばかりだった。
「ああ、あと貴殿らもいたな」
「喋りませんよ、だれにも」
「もちろん、信じている。だからこそ、話したのだ」
「……見ず知らずの相手をなんの根拠もなく信じるのは、いかがなものかと」
「手厳しいな」
彼は、苦笑した。
「しかし、根拠がなかったわけではないよ。貴殿は、我が国を救った英雄なのだろう。ミナ=カンジュにいわせれば、だが」
彼は、尊敬の念を込めて、いってきた。ネア・ガンディアの尖兵たる神を最終的に滅ぼしたのは、セツナの手柄ということになっている。
神殺しを行えるのは、黒き矛くらいのものだ。
その事実をねじ曲げるほど、ミドガルドも愚かではない。
むしろ、だからこそ、セツナを聖王宮に同行させたに違いなかった。
そして、その結果、セツナは、ディールにおける救国の英雄として讃えられることになったのだが、なんだか複雑な気分だった。
神聖ディール王国は、エベルが悲願を達成するために作り上げた国なのだ。エベルこそ支柱であり、この天地のすべてといっても過言ではなかった。その支柱を壊し、天地の理をも打ち破った結果、英雄として褒め称えられるというのは、皮肉にもほどがあるのではないか。
ミドガルドは、聖王国がエベルから解放されたのは事実であり、それによって救われたのだから、なにも不思議がることはない、というのだが。
「ならば、信用に値するだろうし、我が国の秘密のひとつやふたつ、話したところで問題はあるまい」
「問題大ありですよ」
とはいったものの、もはやどうしようもないことではあった。
ディールの国家機密を知ってしまっているのだ。
アレグラスは、なんの躊躇もなく、極めてあっさりと、秘密を喋ってしまった。それを聞かなかったことにする、などということはできない。記憶の奥底に封印し、二度と思い出さないようにすることも、できるわけもない。極めて衝撃的な内容でもあったのだ。いまも、ふとした瞬間、脳裏に浮かび上がり、衝撃をも思い出させる。
ミドガルドに対する印象が大きく変わってしまったのは、いいことなのか、悪いことなのか。
「はっはっは、気にするな、英雄殿。貴殿とわたしの仲ではないか」
「どんな仲ですか」
「それはおいおい、深めていくこととして、だな」
「おいおい、ですか……」
セツナは、アレグラスの独特な雰囲気に呑まれかけている自分に気づき、はっとしたが、いまさらどうなるものでもなかった。
最初からだ。
最初から、アレグラスの勢いに押されているのだ。いまさら抵抗したところで、遅すぎる。
「ああ、おいおいだ。なにせ、貴殿のことをなにも知らぬのだからな」
「はあ……」
堂々と胸を張るアレグラスに対し、セツナは、なんともいえない力強さを感じるとともにすべてを諦めるような気分にもなった。
セツナとアレグラスの会話は、そんな、弾んだような弾まなかったような風にして積み重ねられていった。
アレグラスが公務のために席を立つことになったのが、この会談を終えるきっかけだった。
もし、アレグラス公務に追われなければ、いつまでもとりとめのない会話を続けることになったのではないか。セツナは、そんなことを考えてしまい、肝が冷えるようだった。
アレグラスは、悪い人間ではない。むしろ愉快で、面白い種類の人間だろう。しかも、セツナに好意を持って接してくれていることがはっきりとわかるのだ。
なにも悪くはない。
悪くはないのだが。
「セツナ、疲れているようですが」
ウルクが心配してくれたのは、場所を移してからのことだ。
聖王宮内の一室は、ミナ=カンジュことミドガルドとの合流地点として指定された場所であり、ここで待っていれば、いずれミドガルドが来るはずだった。
「ああ……なんだかどっと疲れたよ」
「話しているだけで、ですか」
「そういうことも、たまにはあるさ」
とはいうものの、アレグラスほど話していて疲れる人物というのは、中々いるものではなかった。相手がこちらに悪意を持っているから精神的に参ってしまう、というのは、ありがちな話だ。が、相手が好意をぶつけてきたがために疲れ果てるなど、そうあるものではない。
(ような気がしたが……そうでもない、か?)
脳裏に浮かんだのは、ミリュウだった。
しかし、ミリュウのことでここまで精神的に消耗したことがあっただろうか、と、思わないではない。が、かつてはそうだったかもしれないし、要は、慣れの問題なのかもしれない。
ミリュウのことは、日常的過ぎて、慣れきってしまっているのだ。
アレグラスも、日常的な風景となれば、慣れるのだろうか。
「わたしにはわかりませんが」
「おまえ、喋ってなかっただろ」
「はい。ずっとセツナのことを観察していました」
などと告白してくるウルクの表情は、どこか勝ち誇っているようにも見えた。なにに勝ち、だれに誇っているのかはまったくわからないが。
「……そうだったな」
セツナは、アレグラスとの会話中、ウルクは、ほとんどずっとセツナを見つめていた。そのことに関して、アレグラスは不敬に受け取るのではなく、むしろ面白がった。
『貴殿はよほど好かれておいでのようだな』
羨ましい限りだ、とも、いった。
本音とも冗談とも受け取れるような発言はアレグラスの得意とするところであり、そのためにセツナは散々翻弄され、疲労し、消耗していったのだ。
「むう」
不意に唸ったのは、セツナの膝の上に乗せた荷袋から顔を覗かせた小飛竜だ。室内にはセツナたちしかおらず、故にラグナが荷袋から顔を覗かせても平気だと判断したのだ。
「どうしたんだ?」
「なんだか、わしはなにゆえここにおるのか、わからなくなってきたぞ」
「だから船に残っていろ、っていっただろ」
「嫌じゃ。それだけは絶対に嫌じゃ」
ラグナは、強く首を横に振った。
「もう二度とおぬしと離れ離れにはならんぞ」
そこに込められた強い想いの前では、セツナも黙り込まざるを得ない。
セツナだって、気持ちとしては同じだ。
もう二度と、あのような想いをしたくはなかった。