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第三千四十五話 ミドガルドのこと(四)

 ルベレスは、ミドガルドとアナスタシアにとって、親友といっても過言ではない存在だった。

 王子として生を受けたルベレスには、幼少期、同年代の子供が幼友達として宛がわれた。そのうちのふたりが、ミドガルドとアナスタシアだったのだ。定期的に王宮に呼ばれ、王子と遊ぶことが幼友達の役割であり、王宮内に遊び友達のいない王子の心を慰めるための存在だった。

 それは、聖王国に連綿と受け継がれてきた制度であり、そうやって王子と幼友達となったものたちは、王子が成長するに従って、その側近として取り立てられたり、身辺に置かれたりしていく。やがて王位を継承すれば、重臣となるのだ。

 ルベレスがミドガルドに期待したのは、彼の右腕、あるいは頭脳としての役回りであり、腹心として側に置いておきたかったのだろう。

 ミドガルドは、当時、ただの人間だったルベレスを王子としてではなく、友人として尊敬していたし、心から服してもいた。だが、自分には、彼の頭脳にはなれまい、という諦観もあった。魔晶技師への夢と憧れがついて離れず、常に、熱に浮かされたような感覚があったのだ。

 そして、そんな感覚を忘れられるのが、アナスタシアとふたりきりでいるときだけだった。

 アナスタシアは、騎士の称号を授けられた。聖王国において、女性が騎士に任じられるのは、極めてめずらしいことであり、たとえ四大名家の生まれであっても、騎士にまでなった女性というのは、数えられるほどしかいない。

 その結果、アナスタシアは、一気に時の人となったのだ。

 凜然たる女性騎士は、一躍有名人となり、彼女は持て囃された。ただ持て囃されるだけではない。彼女は、数々の武功を立て、人気に見合うだけの活躍をして見せていく。するとどうだろう。人気は過熱し、王都では、アナスタシア熱に浮かされるひとびとが増大し、さながら流行病となった。

 アナスタシア自身は、そんな世間の人気に嫌気が差し、ミドガルドの研究室を訪れては愚痴を零したものだった。

『自分の実像と離れすぎた幻想ほど、聞いていて辛いものはないわ』

 そうぼやくアナスタシアに対し、以前のまま接するのは、ミドガルドくらいだったのだろう。

 アナスタシアは、世間の人気が増大するに従って、ミドガルドに依存するようになった。

 ミドガルドの研究室にいる限り、アナスタシアは、いつもの自分でいることができたからだ。騎士になる以前の、まっすぐに目標に向かう女でいられた。

 それはつまり、自分の感情に素直になれるということだ。

 ミドガルドも、同じだった。

 アナスタシアの前では、気取る必要がなかった。ありのままの、昔からなにひとつ変わっていない自分を曝け出すことができた。

 互いに本音を言い合って、喧嘩に発展することも少なくなかったが、そのまま関係性が拗れるようなことはなかった。むしろ、喧嘩をするたびに結びつきは強くなっていったような気さえする。

 しかし、そんなふたりが結ばれることはなかった。

 結婚することができなかった、という意味で、だが。

 騎士として順調に勲功を重ねていくアナスタシアは、当時の国王によって近衛騎士に抜擢された。女性で騎士というだけでもめずらしいというのに、王宮近衛に任命されることなどいままでなかったことであり、王都のみならず、国中がアナスタシア熱に浮かされることになったのも無理からぬことだったのだろう。

 近衛騎士として立派に務めを果たし続ける彼女の人気は、国民的なものとして在り続けた。

 王が彼女を王子ルベレスの妃にしたがったのも無理のないことだし、ルベレスが彼女に結婚を申し込むのも道理だったのかもしれない。

 そして、王子からの結婚の申し出を断れるような立場には、アナスタシアはいなかった。

「わたしも、好きよ。ミド」

 アナスタシアは、みずからの胸に手を当てて、告げてきた。その声音には、強い想いが込められている。

「ずっと、あなたのことばかり考えていたわ。どんなときも」

「アナ……」

「陛下が亡くなられたことよりも、あなたが変わり果てた姿で現れたことのほうが衝撃的なくらいには、ね」

 それは、王妃が口にするべきではない言葉だろう。が、彼女は、もはや外面を取り繕う必要がないとでもいわんばかりに本音を吐露し続けている。ここはミドガルドの研究室。数十年前の過去が滞留し続ける、封印された部屋。

 ここでなら、過去の自分たちに戻ることができる。

「確かに陛下はわたしを愛してくれたわ。でも、わたしは、陛下を愛せなかった。あなたしか、愛せなかったのよ。残酷なことにね」

 ルベレスがミドガルドを重用しながら、親友として振る舞いながら、心の奥底では憎んでいた理由が、そこにあるのだろう。

「もちろん、わかっていたわ。そんなことは許されるべきではないし、王妃としての役割に専念するべきだって、何度も想った。何度も、自分であることを辞めようとした。王妃アナスタシアになりきろうと頑張ったわ。頑張ったのよ。でも、できなかった。無理だった。わたしはわたしでしかなくて」

 アナスタシアの苦悩は、手に取るようにわかった。

 ミドガルド自身の問題でもあったからだ。

「だから、あなたのことしか考えられなかった」

「こんな姿に成り果てても……?」

「姿形は関係ないわよ。だったら、おじいちゃんになったあなたのことを好きなままでいられるわけがないでしょう?」

 そういわれてしまえば、返す言葉もない。

 その通りだ。

 自分自身が、そうだ。

 アナスタシアも年を取った。ミドガルドと同年代ということは、つまり、彼女はいま五十代なのだ。五十代とは思えないくらいの若々しさを保ってはいるものの、だからといって、老いを隠しきることができるわけではない。

 彼女はただの人間なのだ。人間は、老いには逆らえない。

 しかし、その人間であるが故の美しさが、老いの中に詰まっているのではないか、と、思わないではない。

 人間であることを辞めざるを得なかったミドガルドには、羨ましい部分なのだ。

 ミドガルドは、もう、年老いることがない。この躯体頭部に詰まった頭脳のどこかが損傷し、記憶や人格に問題が生じたりしない限りは、このまま在り続けることになるだろう。人格を持つ魔晶人形として、歩み続けるのだ。

 それを羨む人間もいるに違いない。

 永遠の生。

 人間にとっての究極の夢のひとつだ。

 だが、しかし、ミドガルドのそれは、必ずしも同一のものではない。

 この躯体に宿るミドガルド=ウェハラムの人格や記憶、心といったものは、死んでしまったミドガルド=ウェハラムから転写したものであり、彼は、本当の意味では、ミドガルド=ウェハラムではないのだ。

 ではいったい、この感情はなんなのか。

 心の奥底から沸き上がる強い想いは、いったいなんだというのか。

(わからない)

 ミドガルドは、ふと、アナスタシアが彼の手に触れていることに気づき、目を細めた。いつかのように優しく手を包み込む彼女の両手の温かさは、遠い過去の記憶を呼び起こされて、意識の中に再現されている。彼の躯体の感覚器官は、肆號躯体のそれよりも遙かに劣るものだ。

 戦闘兵器である魔晶人形に感覚など不要だからだ。

 ではなぜ、肆號躯体の感覚器官は鋭敏にしているのかといえば、もちろん、ウルクのためだ。

 ウルクのため、というのは、彼のいまの行動理念のひとつであり、彼が聖王宮を訪れたのだってそれが理由だった。もはやウルクは魔晶技術研究所の所属ではないし、ミドガルド自身、ディールと縁を絶ちきって行動することは不可能ではなかったが、やはり、ディールのことは気がかりであり、故にディールとの関係性を保ったまま、ウルクを応援したかったのだ。

 そのために聖王国政府から許可を取ろうとした。

 それだけで、ここにいる。

 だというのに、感情は、どうだ。

 いまやウルクではなく、アナスタシアのことでいっぱいになっている。



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