第三千四十三話 ミドガルドのこと(二)
「いえ、違います、殿下。わたくしはミナ――」
「いまさら取り繕っても遅いわよ、ミド」
ミドガルドの言い訳を封じるようにして、アナスタシアはいった。その声音は、謁見のときや会議のときよりも何倍も弾んでいて、瑞々しささえ感じるほどだった。まるで青春の日々に舞い戻ったような、そんな錯覚がミドガルドを取り巻き、彼は、動揺した。
「あなた、反応したじゃない」
「それは……」
図星を指されて、彼は、一瞬、戸惑った。その一瞬が致命的だということに気づきながら、すぐさま取り繕う。
「アナスタシア殿下といおうとしたまでです」
「ミドったら、相変わらず嘘が下手ね」
アナスタシアは、むしろ、嬉しそうに笑ってみせる。気品に満ちた笑顔は、彼女の生まれと育ちの良さを示すものであり、子供の頃から変わらなかった。
「そんなんだから、いつまでたっても結婚できなかったのよ」
「……ですから、殿下」
「いつまでそう演じ続けるのかしら、ミナ=カンジュ殿?」
確信を持って問い詰めてくるアナスタシアの強いまなざしには、抵抗し続けるのは不可能である、と、ミドガルドの頭脳は判断した。人間ならざる魔晶人形の頭脳が超高速で導き出した結論がそれだ。彼は、心情的には認めがたかったが、諦めざるを得なかった。
彼女には、敵わない。
昔から、そうだった。
それこそ、物心ついたときには、ふたちの立場、立ち位置は決まっていたような気がする。
研究家肌のミドガルドにとって、武門の名家に生まれた武闘派のアナスタシアは、ある種天敵そのものといってよかった。
「……そうですね。この場では、ミナ=カンジュとして振る舞わねばなりません」
「なるほど、そういうこと」
アナスタシアは、大いに納得すると、廊下の先を見遣った。そして、彼についてくるようにと促した。
ミドガルドは、やれやれと頭を振りながら、どこか喜んでいる自分に気づき、唖然とした。
まるでこうなることを心の何処かで望んでいたのではないか、とでもいわんばかりだった。
奇妙なのは、アレグラスが、ルベレスのこと以上にミドガルドのことを聞きたがっているというその事実だ。
ルベレスは、ディールの国王である以前にアレグラスの父親だった。実の父親が、戦死したのだ。もっと深く哀しんで普通だし、ふさぎ込んだり、取り乱したりしてもおかしくはない。むしろ、冷静かつ平常心と保ち続けているようなアレグラスのほうが、正常とは思えなかった。
それだけ、王子としての心構えができている、と考えるべきなのかもしれないが、どうにも、そう思えない。 というのも、彼は、ミドガルドの話になると、途端に感情的になったように見えたからだ。
だから、セツナは、思わず問い返した。
「ミドガルドさんのこと、そんなに気になりますか?」
「ふむ……?」
アレグラスは、神妙な顔になり、一瞬、考え込んだ。
「ああ、そういうことか。理解した。貴殿は、こう考えているのだな。実の父親たるルベレス王の死よりも、研究所長とはいえ一介の魔晶技師に過ぎないミドガルドの死のほうが一大事であるかのように振る舞うのは、おかしい、と」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
「いや、そうだろう。よくよく考えてみれば、確かに、不自然極まりないことではある」
アレグラスが苦笑を交えつつ、いってきた。
「だが、子が父の死に様を知りたいと思うのは、不思議なことだろうか」
「いえ、それは……って、はい?」
セツナは、アレグラスが発した言葉の内容を理解した瞬間、声が上擦りそうになるほどに驚愕し、頭の中が真っ白になるという感覚を久々に味わった。あまりにも衝撃的すぎて、言葉がすぐに浮かばない。隣に座っているウルクを見るが、彼女は、きょとんとしている。意味がわかっていないのだろう。
アレグラスに視線を戻せば、彼は、セツナの驚く様子がおかしくてたまらないらしかった。が、笑顔を消して、告げてくる。
「ミドガルドは、わたしの父親なのだよ」
「ほ、本当なんですか……!?」
「ああ、本当だ」
彼は、当然のように認めた。
「ルベレス王が戦死したいまならば、胸を張っていえる。まあ、公にできることではないがな。母の不貞を曝すようなことだ」
衝撃的な内容の言葉を平然とした態度でいうアレグラスだったが、その精神性は大物といっていいのか、異常といっていいのか、判断に迷うところがあった。少なくとも、平凡ではあるまい。平常でも、だ。並の精神状態では、そのようなことはいえまい。
セツナは、赤の他人であり、他国人であり、いまさっき知り合ったばかりの相手なのだ。そんな相手に打ち明けていい話ではない。
「それで、我が父、ミドガルドのことだが……」
アレグラスは、やはり、一切の動揺なく話を進めてくるものだから、セツナは、なんだかわけがわからなくなった。
衝撃を受け、混乱している自分のほうが間違っているのではないか、とさえ思えてくるからだ。
だが、冷静になって考えれば考えるほど、異常なのは、アレグラスのほうであり、セツナの反応は正常そのものだとしか考えられない。
(なんなんだよ、いったい)
セツナは、この場にいないミドガルドに恨み言のひとつもいいたくなった。
「ここは……」
ミドガルドは、アナスタシアに導かれるままに足を踏み入れた部屋の中を見回すなり、茫然とした。遙かなる時の流れを感じて、一瞬、過去に舞い戻ったような感覚を味わう。
その部屋には、彼の過去が在った。
「あなたの研究室……だったかしらね」
「そういって、いつもあなたはからかった」
「ええ。だってそうでしょ。研究室というには、あまりにも物騒だもの」
アナスタシアは、部屋の扉を閉じながら、いった。
確かに物騒といえば物騒だった。広々とした室内には、ミドガルドが若い自分に取り寄せた魔晶兵器の部品の数々が転がっていて、それらを分解したり、独自の改良を施すのが、彼の日常といっても過言ではなかった。
そして、分解された物騒な兵器の数々を見て、アナスタシアは、研究所というよりは兵器庫だといって笑った。そんな彼女に対してむきになるのがミドガルドであり、そのたびに部屋に運び込む兵器の数が増えた。ますます兵器庫の様相を呈していく部屋だったが、アナスタシアは入り浸ったし、そんなアナスタシアとの軽口のたたき合いこそ、ミドガルドには清涼剤だった。
そんな一室ではあるが、王妃と魔晶技師が、たったふたりで部屋に籠もっているところを見られれば、一大事も一大事だが、その点、アナスタシアは抜かりがなかった。
魔晶技師ミナ=カンジュは、現在、魔晶技術研究所の代表に収まっている。つまり、研究所長に繰り上がったのだ。ミドガルドが戦死し、ほかの研究員たちもほとんどが死亡したとあっては、ミナ=カンジュが所長の座につくのは当然の流れだったし、ミドガルドの思い描いた通りだった。
そんなミナ=カンジュとじっくり話し合う必要がある、ということで、王妃は、彼を連れ回していることになっているのだ。
王妃の侍女などは、国王を失ったばかりの心痛を紛らわせるためだと想い、痛ましい表情を覗かせていたが、当の本人は、ルベレスの死など、もはやどうでもいいことになっているのだから、おかしなものだ。
それも、そうだろう。
アナスタシアにとって、ルベレスとの結婚は、望まぬものだったのだ。
結婚は、必ずしも相思相愛の相手と行われることではない。ましてや、名門貴族の出自ならば、なおさらのことだ。
だからといって、不貞を働くことが許されるわけではあるまいが。




