第三千四十一話 王国の後先(十)
ミドガルド=ウェハラムは、ミナ=カンジュとして振る舞っている。
ミナ=カンジュとは、かつて彼の部下であり、優秀な魔晶技師のひとりだった。軽率かつ迂闊なところも少なくなかった青年魔晶技師のことは、いまもはっきりと想い出せるくらいには印象が強い。若くして魔晶技師の認定を受けたミナは、魔晶技術研究所における最年少の魔晶技師であり、彼は、その愛嬌と軽々しさでだれからも愛されていた。
もちろん、ミドガルドもそんな彼の軽躁さを好ましく思っていたものだ。
だから、ミナ=カンジュを選んだ、というわけではないが。
ミドガルドが後事を託すほどに優秀な魔晶技師ならば、ほかにもシキ=サガがいたが、年齢を考えると、この姿とは釣り合いが取れない上、シキは、それなりに名の通った人物だった。聖王宮に足を踏み入れることができれば、シキの知人と遭遇する可能性が高い。そうなれば、一発で別人であると露見してしまうだろう。
その点、ミナは都合が良かった。
彼は、無名であり、彼が魔晶技師の認定を受けたときは、その若さからそれなりに騒がれたが、すぐさま研究所配属となったため、聖王宮で彼のことを知る人間は皆無といっていいはずだった。少なくとも、シキよりは露見する可能性は低い。それも極めて、だ。
故に、ミドガルドは、ミナを演じることにした。
そもそも、彼が他人を演じているのは、ミドガルド本人であると通すことが不可能だからだ。
ミドガルドは、ディールの名家ウェハラム家の人間ということもあり、聖王宮には数多くの知人がいた。しかも、魔晶技師の頂点ともいえる魔晶技術研究所の所長だったのだ。魔晶技術研究所と関わりの持つ人間というのは、聖王宮にもそれなりの数がいて、そういった人物がミドガルドのことを知らないわけがなかった。
王妃アナスタシアも、王子アレグラスも、ミドガルドのことをよく知っている。
特にアナスタシアは、ウェハラム家と仲の良いハスタロン家の生まれということもあり、幼いころからの知り合いだったのだ。この変わり果てた姿でミドガルド=ウェハラムと名乗ろうものならば、その瞬間に偽者であると看破され、彼の目論見は露と消え果てただろう。
目論見。
そう、目論見だ。
(まったく……あくどいことをやっている)
胸中、自嘲しながら、彼は、聖王国の重臣たちとの会議に身を投じていた。
聖王宮・法理の間は、重要な会議が行われるための部屋であり、その広間には、王妃の名の下に聖王宮中の重臣が呼び集められていた。そうして招集された大臣の多くは、ミドガルドの知り合いであり、中には、アナスタシアのような幼馴染みもいた。ミドガルドを名乗っていれば、彼らに余計な疑念を持たれただろうし、そもそも、彼の思惑通りに事が運んだかどうか。
会議の場に王子がいないのは、彼が自分の性質というものを理解しているからだ。
アレグラスは、昔から政治が苦手であり、武一辺倒の人物だった。それはおそらく、聖王国に於ける武門の筆頭ともいうべきハスタロン家出身であるアナスタシアの影響によるところが大きいのだろうし、そんなアレグラスをむしろ好ましく思っているのが、王妃だった。
そんな王妃の教育方針をルベレスが止めなかったのは、いずれ国王になったとき、エベルの依り代となるという定めだったからなのだろう。
いまにして思えば、色々と辻褄が合うことが多く、その事実が彼に苦々しい想いを抱かせるのだ。
とはいえ、いまはそんなことを考えている場合では、ない。
彼は、彼の目論見を達成するべく、口八丁手八丁で王妃と重臣たちを丸め込まなければならなかった。そのためにマユリ神に同行してもらっているが、ウルクとセツナ(と、ラグナ)は、会議の進行に邪魔なので外れてもらっている。
セツナは、おそらくアレグラスに興味を持たれ、話しかけられたことだろう。
それは、いい。
アレグラスにとって、セツナの話は、きっと発奮材料になるだろうし、セツナの戦歴の数々を聞けば、アレグラスは必ずや彼を尊敬するようになるに違いない。エベルがいずれ己の依り代となるからと放任していた結果、アレグラスは、アナスタシアの性格を色濃く受け継ぎ、そのためにミドガルドの思い描いた通りの道を歩んでくれるはずだ。
エベルの存在と、その影響については苦い思いしかないものの、エベルの思い描いていた未来が覆っていく様は、爽快といえば爽快だった。
そして、エベルが築き上げた国を自分の思い通りにしていくというのも、悪くない気分だ。
あくどい、とは思いつつも、彼がその行動を止めないのは、きっとそのためだ。
もちろん、ネア・ガンディアと対抗するためには、戦力の充実が必要不可欠であり、そのために聖王国とセツナ一行の間に協力関係を結ばせることが第一の目的であり、そのために彼はミナ=カンジュとして振る舞い、会議で重臣たちを熱く説いていた。
聖王国の将来にとっても、マユリ神一行に協力することが最善手である、と、彼は強くいった。
重臣たちの中には、乗り気ではないものもいたが、ミドガルドが会議を進めていく中で、少しずつ、その態度を軟化させていった。
なにより彼らの態度を急変させたのは、聖王ルベレス・レイグナス=ディールが、ネア・ガンディアの尖兵によって殺されたという話を聞いたときだ。重臣の半分以上は、ルベレスによって登用されており、ルベレスへの恩義が極めて強かった。
先代国王時代から続投しているものたちも、ルベレスへの忠誠心は変わらぬものであり、故に、彼らはルベレスが聖王国を護るために秘密裏に戦い続けていて、ついには戦死したという話を聞けば、顔色を変えざるを得なかったのだ。
ミドガルドは、ルベレスの死も、エベルの死も、自分の死も、利用した。利用できるものはすべて利用する。それが魔晶技師ミドガルド=ウェハラムの信条であったし、自分の命すら利用することに躊躇いがない以上、だれの生もだれの死も、利用価値がある限りは利用し尽くすのみだった。
それもこれも聖王国の将来を想ってのことだ、というのは、建前だけではない。
本音もある。
エベルこそ憎み、徹底的に抗ったものの、生まれ育った聖王国は嫌えなかった。
特に王都ディライアは、彼が生まれた場所であり、そこに生きるひとびとすべてがエベルの影響下にあったとは言い切れない以上、嫌いになどなれるはずがなかった。
ミドガルドの出生から今日に至るまでのどれほどがエベルの力によってねじ曲げられたのかは、わからない。
だが、少なくとも、幼い頃の記憶までもがエベルの影響を受けているとは考えたくなかった。考えられなかった。
そのうち、会議は閉会の運びとなった。
内容としては、すべて、ミドガルドの思い描いた通りのものとなっている。
ディールは、マユリ神と協力関係を結ぶこととし、戦力提供を惜しまない、ということになったのだ。特に魔晶技術研究所は、ミナ=カンジュの指揮の下、マユリ神が求めるだけの戦力を提供するようにと厳命されることになったが、それは王子の決定通りだった。
この決定により、ミドガルドは、大手を振ってセツナたちに協力することができるようになったのだ。
エベルを討ったとはいえ、聖王国人である彼にとって、手前勝手に魔晶技術研究所の戦力を持ち出すことは引け目を感じることだったのだ。