第三千四十話 王国の後先(九)
「ネア・ガンディアについては、知ってはいた。しかし、父上は、たいしたことはない、と仰せであられたため、わたしは気にも留めていなかった。父上は、わたしたちに心配させまいと、必死だったのだな」
アレグラスは、遠い目をして、いった。
そこは、天詩の間と呼ばれる部屋であり、普段から応接室として使われているらしい。聖王宮内の一室ということもあってか、調度品のひとつとっても高級そうであり、選び抜かれた一品が配置されているといった様子だった。それらの配置も、エベルが決めたものなのかどうか。
どうにも居心地が悪いのは、沈痛な面持ちの王子に対し、多少なりとも引け目を感じているからだろう。
セツナが虚偽の報告をしたわけではないとはいえ、片棒を担いだのは間違いないのだ。少なくとも、ミドガルドの報告を一切否定せず、むしろ肯定的に振る舞っていた時点で共犯者以外のなにものでもないだろう。言い逃れは出来ない。
とはいえ、真実を伝えれば、聖王国の敵とならざるを得ないのだから、致し方のないことだ。
戦力が欲しいというのは、セツナたちにとって切実な望みであり、それを知ったミドガルドが気を利かせてくれたのだ。
つまり、聖王国と敵対することもなければ、魔晶技術研究所の戦力を勝手に持ち出す必要もない状況を作ってくれた、ということだ。
それは、聖王国の将来にとっても重要な決断であり、適切な判断である、と、ミドガルドは考えたようだった。
セツナたちが掲げる打倒ネア・ガンディアという目的には、ミドガルドも賛成してくれていた。ミドガルドから見ても、ネア・ガンディアの存在は許容できず、放っておけば世界中がその魔手によって制圧されるか討ち滅ぼされるのは間違いない。
故にミドガルドはみずからセツナたちに協力することを約束してくれたものの、それがミドガルド個人の判断ではなく、国としての判断であるという風にしたのだ。
聖王国は、ミドガルド(ミナ=カンジュ)の報告を受け、ネア・ガンディアへの対抗策を検討しなければならなくなったのだ。
ミドガルドは、ネア・ガンディアが聖王国の将来にとってのみならず、世界にとって大いなる禍根であり、このまま放っておけば世界全土がその軍門に降ることになるだろう、といった。それだけならばまだしも、最悪、世界が滅ぼされる可能性がある、と、付け加えて。
ネア・ガンディアとは、この世界に於ける絶望そのものであり、絶望に立ち向かうために立ち上がったのが、希望の女神マユリを旗頭とするセツナ一行である、と、彼は、謁見の場で王子たちに伝えた。
そのとき、セツナ一行の旗頭がマユリ神になってしまったことは、セツナにとってはどうでもいいことだった。むしろ、マユリ神のほうが旗印として見た目も良ければ、印象もいい気がしてならなかったし、それならばそれで問題はないと思っていた。
もっとも、マユリ神は、というと、あまり乗り気ではなかったが。
聖王国政府は、ネア・ガンディアへの対抗策のひとつとして、魔晶技術研究所にマユリ神に協力するようにと厳命した。これにより、ミドガルドは、大手を振って、その戦力をセツナたちに提供できるようになったわけだ。
ミドガルドが王都を訪れた目的のひとつは、達成できたことになる。
また、国王ルベレスの死に関する対応も、行われた。
不安定な情勢下では、国民の不安を煽るような真似は避けたいというのは当然の話だったし、そのためにルベレスの死を伏せ、王位継承も先送りにするという判断を取るのも無理からぬことだ。“大破壊”以来、安定しているのは、王都ディライアとその周辺くらいであり、ディライアから離れれれば離れるほど、安定とは程遠い状況が生まれている。
その事実を知りながら手を出せないのは、聖王国の国土があまりにも広いからだったし、その国土もばらばらになっているからだ。
つまり、エベルは、“大破壊”以降、聖王国全土に手を伸ばしていなかったということになる。エベルがなにを考え、なにを企み、なにを目論んでいたのか、いまとなっては想像もつかないが、ミドガルドに注目していたことだけは明らかだったし、ミドガルドを殺し、その死を利用してセツナを殺すことに注力していたことも確かだ。そのためにほかがおざなりになっていたとは考えにくいことではあるが、その可能性がないとは言い切れない。
「しかし……だとしても、わたしくらいには伝えておいて欲しかったものだが……」
アレグラスの痛恨の想いが、静かな声音からひしひしと感じ取れて、セツナは、ますます居づらくなった。
セツナがなぜ、アレグラスに天詩の間に呼ばれたかといえば、ミドガルドがセツナを名指しして、先の戦いにおける勝利の鍵である、などといったからだ。そして、ミドガルドはこうもいった。
『セツナ殿は、陛下の最期を見届けられた御方でもあります。セツナ殿こそ、陛下の御遺志を継ぎ、神の打倒を果たされた、まさに英雄と呼ぶべき御仁なのです』
嘘を信じ込ませるには、ほんの少し真実を混ぜることが重要だと聞いたことがあるが、ミドガルドは、まさにそれを実践しているようだった。
確かにルベレスの最期を見届けもしたし、エベルの討滅を果たしたのも事実だ。が、立場が違う。ミドガルドの発言では、セツナはまるでルベレス側の人間のようにいっているが、実際には、まったく逆の立場だった。だのに、ミドガルドは一切言いよどむことなくそう言い切って見せたのだから、役者といっていいのだろう。
その結果、謁見が終わるなり、セツナはアレグラスに話を聞かせて欲しい、と、呼ばれてしまったのだ。王子殿下直々の指名とあれば、断るわけにもいかない。
ミドガルドからは口裏を合わせるようにいわれたが、もし万が一、アレグラスに問い詰められるようなことがあれば、上手く切り抜けられる自信はなかった。その場合は、口下手で通せばいい、と、ミドガルドは気楽にいってくれたものだが、ミドガルドのような役者でもない人間には難しい話だと思わずにはいられなかった。
しかも、アレグラスは、ルベレスの息子なのだ。
セツナがルベレスを殺したわけではない。それは事実だ。ルベレスが死んだのは、エベルがその肉体を不要とし、処分するようにして消滅させたからだが、だからといって直接関係がない、とは言い切れなかった。セツナが魔晶城を訪れなければ、あのような状況が生まれることはなかったのだ。
少なくとも、セツナがエベルと関わらなければ、ルベレスがあんな目に遭って死ぬことはなかっただろう。 多少の負い目を感じるのは、ルベレスが消滅する瞬間を目の当たりにしたからであり、無惨にも消し炭にされていく彼の姿が目に焼き付いているからだろう。
「ところで、技師殿の報告の中で、ミドガルド=ウェハラム殿も戦死したとあったが、本当なのか?」
「え、ええ……」
セツナは、アレグラスの鋭すぎる目つきに気圧され気味になりながら、うなずいた。
ミナ=カンジュの報告では、ルベレス率いる魔晶技術研究所の戦力の大半が、ネア・ガンディアの尖兵との戦いの中で失われたことになっている。その中には数多くの魔晶技師が含まれており、研究所の所長であったミドガルド=ウェハラムもそのひとりだった。さすがは有名人だけあって、ミドガルドの戦死が伝えられると、王妃も王子も衝撃を受けていた。
「ミドガルド殿は、どのような最期を迎えたのか、御存知ならば教えて戴きたい」
アレグラスは、態度を改めるようにして、セツナと向き合った。




