第三千三十六話 王国の後先(五)
二名の近衛騎士に先導されるまま、聖王宮の中へと歩いて行く。
白と金を基調とする宮殿は、王宮というよりは、神を祀るための神殿のような印象を受けるのは、やはり、エベルの趣味趣向が大きく反映されているからなのだろう。何百年にも渡って王を演じ続けてきたのだ。たとえ王宮を改修する必要があったとして、エベルの意向が強く反映されるのは当然の話だった。
(だとすれば、いい趣味とは思えないな)
セツナの感性には合わないというだけのことではあるが。
神意の門から聖王宮へ至る道中、道の両脇にはいくつもの彫像が立ち並んでいた。背に翼を生やした美しい女性たちは、いわゆる天使を想起させる。
ミドガルドの話によれば、実際にそれらは神の使いを意味する彫像であり、聖王宮が神の座であることを示しているということだった。神の座所たる聖王宮へ至る道中に様々な階級の天使たちが整列し、聖王宮を訪れるものたちを見守り、あるいは監視しているのだ、と。
それら天使の彫像には、それぞれ名称がつけられているとのことだが、どうでもいいことでもあり、深くは聞かなかった。
そんなことよりも、聖王宮を神の座所として言いふらしていたらしいエベルの自己主張の激しさのほうが気になった。とはいっても、人間に憑依し、成り代わっていたのだから、どれだけ主張しようと、彼の正体がだれかに露見することなど万にひとつもなかったに違いない。そして、だからこそ、彼はやりたい放題にこの国を作り上げ、この王宮を完成させた。
すべては仮初めの、一夜の夢に過ぎない。
五百年一夜の夢幻。
エベルの目的は、すべてを犠牲にしてでも聖皇を復活させ、あるべき世界へ還ることのみだったのだ。たとえば、その目的が叶う方法がほかにあれば、その方法をなんとしてでも実行に移そうとしただろうし、実際、彼はこの世界を滅ぼすことすら視野に入れていた。
聖皇復活が阻止され、聖皇の力のみが降臨し、獅子神皇と名乗っているいまとなっては、復活した聖皇による送還はありえない。ならば、世界を滅ぼしてでも、本来在るべき世界に還ろうという彼の考えは、わからないではない。そして、そのためならばどのような手段も辞さないという彼の覚悟、決意の強さというのも、理解できるものだ。
だからといって、エベルと協力する道があり得たかというと、なかったに違いない、と、セツナは思うのだ。
エベルのように、聖皇によって召喚された異世界の神々は、数多といる。そして、そのほとんどすべてが、聖皇の死後、在るべき世界への帰還を切望するようになったのは、必然的な話だ。聖皇とどのような契約を結んだにせよ、聖皇による神々の送還は、契約内容に入っていたはずであり、それが実行に移されなかったがために、神々はこの地に留まらざるを得なくなってしまった。
そして、神々は、聖皇復活に賭けた。
大陸を四分する勢力を作り上げ、来たるべき決戦のときに備えたのだ。
神々のほとんどは、この世界のこと、この世界の住民のことを毛ほども考えてはいない。自分のこと、自分の本来在るべき世界のことが最優先事項であり、それ以外であるこの世界のことなど、どうだっていいことなのだ。
だから、最終戦争を起こしたのだし、世界を滅ぼすことだって視野に入れられるのだ。
そんな価値観の持ち主と共闘する可能性など、あり得べくもない。
激突は、避けられなかったのだ。
「それにしても、よくもまあ王宮まで通してくれましたね」
「それだけ魔晶技師というのは、この国にとって大切な存在なのですよ」
ミドガルドが誇らしげな反応を見せると、ウルクが少しばかり嬉しそうに微笑んだのが印象的だった。
ミドガルドの姿を見ただけで兵士や騎士が姿勢を正すほどなのだから、彼の言葉通り、魔晶技師が聖王国にとって貴重かつ大切な存在であることは明らかだ。兵士もそうだったが、近衛騎士たちのミドガルドに対する扱いというのは、この上なく丁重であり、先導する二名の騎士は、緊張気味ですらあった。
時折、後方のセツナたちを振り返っては、無事についてきているのかを確認するほどだ。
なにもそこまでしなくとも、と、思わなくもないが、それだけ魔晶技師は重要なのだろうと考えれば納得も行く。
魔晶技師の格好だけならばだれでも真似できるのではないか、というセツナの疑問には、ミドガルドが白衣の袖につけた白金の腕章が回答として示された。
魔晶技師とは、魔晶技術研究所で従事する人間のことを指し示す言葉ではない、というのだ。なんでも、国に認定された資格取得者だけをそう呼ぶらしく、研究所の研究員や技術者を総称して魔晶技師と呼ぶのは、本来であれば間違いなのだそうだ。
そして、その白筋の腕章こそ、魔晶技師の認定証なのだという。
だからこそ、兵士たちも騎士たちも、ミドガルドに疑問ひとつ抱かなかったわけだ。
当然のことだが、魔晶技師なのはミドガルドだけだ。魔晶技術研究所職員の制服の上から白衣を纏う魔晶人形は、一見するだけならばなんの違和感もなく、魔晶技師に見えるだろう。彼が魔晶人形だと一目で見抜くことができるのは、余程魔晶人形を見慣れた人間だけだろう。
ウルクも、魔晶技術研究所職員の制服を身につけているが、白衣は纏っていない。当然、腕章もない。ミドガルドの助手、とでもいうような体裁なのだ。そして肆號躯体は、ミドガルドの躯体以上に人間との見分けがつかなくなっている。これは、魔晶人形に見慣れた人間にも見抜けるものではあるまい。
ミドガルドの場合、最悪、手で触れれば、その質感の違いから人間ではないと判別できるのだが、ウルクの場合は、そうはいかなかった。皮膚は柔らかく、弾力があり、体温を感じるのだから、もはや人間社会に紛れ込んでも、なんの問題もなさそうなくらいだった。
もちろん、ミドガルドは、そのために肆號躯体を作り上げたのだ。
すべては、娘を想うが故だ。
セツナは、というと、普段通りの格好というわけではない。魔晶城に在った衣服のうち、適当に見繕って着込んでいた。普段の格好では、この場には似つかわしくないと判断したのだ。とはいえ、黒を基調としているのは、セツナなりの拘りではあった。
ラグナは、というと、セツナが背負う荷袋の中に隠れている。普段ならばどんな状況であれ自由にさせているのだが、ラグナの存在を知らないひとびとの前に出るということもあり、セツナは彼女の扱いに慎重にならざるを得なかった。
小飛竜態は、見慣れれば愛らしいと思えるのだが、見知らぬ人間からしてみれば、脅威以外のなにものでもない。
マユリ神も、例外ではなく、普段通りの姿ではなかった。普通、マユリ神は、美しい少女神と少年神が背中合わせに重なり合ったような姿をしているのだが、その姿のままでは畏怖させ、混乱を招きかねないということもあり、人間の少女の姿になってもらっているのだ。
わざわざ同行する必要などないのではないか、と、マユリ神はいったが、ミドガルドが女神の協力を仰いだのだ。
ミドガルドは、この王宮でなにかをしようと考えているらしく、そのためには、マユリ神の協力が必要不可欠なのだといった。そんなことは同志に頼めばいいだろう、と、マユリ神は呆れたが、同志は魔晶城での作業に忙しく、手が離せないため、仕方なくマユリ神が駆り出される羽目になったのだ。
美貌の少女は、どこか手持ち無沙汰といった様子で、セツナの隣を歩いている。
不満げな表情は、聖王宮に満ちた気配に対するものだったのだろうが。