第三千三十三話 王国の後先(二)
魔晶技術研究所は、神聖ディール王国において極めて重要な立ち位置にあった。
それもそのはずだ。
魔晶技術は、なにも兵器に利用されるばかりではなく、ひとびとの生活にも密接に関わりがある様々な分野にも手広く影響を及ぼしている。聖王国の繁栄は、無論、エベルの力によるところが大きいが、聖王国のひとびとが高水準の生活を維持できていたのは、紛れもなく魔晶技術の発展と普及に寄るところが大きい。
たとえば、魔晶灯ひとつとっても、そうだ。
世界全土、さまざまな地域で利用されている魔晶灯は、聖王国においては、魔晶技術によって根本的に改良されたものが出回っている。国外への持ち出しが厳禁されていることもあり、小国家群の人間であったセツナには知れなかったことだが、どうやら、聖王国の魔晶灯は、世界中に出回っている様々な魔晶灯に比べて遙かに魔晶石の消費効率が良く、魔晶石の交換頻度が極めて少ないというのだ。
魔晶石は、その冷ややかな光によって食物などの保存剤として活用されることも多いが、魔晶技術は、魔晶石の冷やす力を熱する力に転化させた。つまり、湯を沸かすのも、魔晶技術を用いれば容易くなったのだ。小国家群においては、風呂を沸かせるのにも手間がかかったものだが、聖王国では、そのようなことがなくなっている。
魔晶技術の発展と普及は、国民の生活水準を大幅に引き上げており、国民にとってこれほど住みやすい国はないだろう。
安全面でも、そうだ。
魔晶人形に比べれば旧世代的とはいえ、様々な魔晶兵器が各地に配備されており、それらは、人類の天敵たる皇魔を相手にする場合、大いにその猛威を振るった。皇魔の根絶こそ困難であるものの、聖王国領において、皇魔の被害に遭う可能性は、ここ数十年で激減したという話だった。
それもこれも魔晶技術の誕生と発展によるところが大きく、それに携わる魔晶技師は、聖王国のひとびとにとって尊敬するべき対象と見做されている。
ミドガルドが姿を見せるなり、兵士たちが大きく動揺を示したのもそのためだ。彼ら兵士は、骨の髄まで、魔晶技師を尊敬するように教育を受けている。なぜならば、兵士たちが命を預けるのは魔晶兵器であり、魔晶兵器の開発者たる魔晶技師に疑念を抱くようなことがあれば、魔晶兵器を信用することもできず、むしろ命を落としかねないからだ。
魔晶兵器を信用するために魔晶技師を信頼する。
そのような教育がここ十数年で徹底されていて、聖王国民の中でも特に兵士たちは、魔晶技師を尊敬し、信頼を寄せている。
故に魔晶技師だけが身につけることを許された特別製の白衣を纏うミドガルドの姿を見て、兵士たちは大いに動揺したのだ。疑念を抱きもしなかった。それほどまでに魔晶技師の白衣というのは、有名であり、効果的らしい。
セツナがそんな話をミドガルドからつぶさに聞いたのは、王都内を移動中のことだ。
(まるで印籠だな)
魔晶技師の白衣の威力を目の当たりにして、セツナが抱いた感想はそれだった。
魔晶装甲車両・疾迅に乗って、先導する騎兵の指示通りに移動している。
王都の道幅は、大通りに関していえば、疾迅が通るには十分すぎるほどの横幅があった。人通りがまったくないことも、車両で移動するには幸運だったのだろう。
当初、ミドガルドは、車両で王都内を移動することは提案しなかった。というのも、王都は、聖王国の中心であり、人口がもっとも多い都市だ。疾迅で移動するには、様々な面で問題があるのではないか、と、彼は考えたらしい。だが、誰何を問うた兵士ランダイン=フォボハックが車両に乗ったまま移動することを勧めてくれたため、それに従うことにしたのだ。
時間がかからないという意味でも、疾迅で移動したほうがなにかと楽ではあるのだが。
「それにしても……静かですな」
「普段は賑やかなのですか?」
「ああ、もちろん。そういえば、君は王都を訪れたことがなかったね」
「はい。話には何度となく聞きましたが」
ウルクが窓の外を見遣りながら、いった。
「これが王都ディライア」
どこか感慨深げな声音は、彼女なりに王都への憧れでもあったのかもしれない。
ウルクは、魔晶技術研究所で生まれ、育った。魔晶技術研究所の周囲こそ歩き回り、様々な訓練などを行ったというものの、魔晶技術研究所以外の都市や地域を訪れたことがなかったという。初めての外界が、遙か彼方の異国の都市ガンディオンとは、彼女の運命も数奇というほかない。
「とはいえ、わたしにとっての王都の記憶も、もはや数年前のものに過ぎないが……」
「そのころと、大きく変わっているところはあるんですか?」
「特には見当たりませんな。なにもかもあの頃のままです。不自然なほどに」
「エベルの庇護下にあったのだ。“大破壊”の影響を免れたとしても不思議ではないよ」
マユリ神が、冷ややかにいった。
「その守護を失って、この国はどうなるものか」
「……そういえば、そうか」
窓の外を流れる町並みには、傷ひとつ見当たらない綺麗な建物が群れをなしており、それらがエベルという大いなる神の庇護によって輝きを保っていたというのであれば、これから先、徐々に色褪せていくに違いないと想像できる。
エベルは、討ち滅ぼした。
セツナたちが、だ。
そうしなければこちらが殺され、滅ぼされていたのだから、致し方のないこととはいえ、その結果、ディールという大国に大きな影響を及ぼすことになってしまった。エベルとは無関係の一般市民の生活にまで、暗い影を落とすことになるようであれば、考え込まざるを得ない。
「この静寂もそのせいかもしれませんな」
「ミドガルドさん……」
「気にしないことです、セツナ殿。あなたは、やるべきことをやった。それだけのこと」
ミドガルドの声音は、淡々としているが、決して投げやりなわけではない。
「エベルの目的が聖王国の繁栄と安寧であれば話は別ですが、あのものは、この世界を滅ぼしてでも元の世界に還ることを望んでいた。それが召喚され、この世界に縛り付けられた神なれば当然の道理だとしても、この世界に生きるものにとっては否定するべき所業でしょう。たとえそれが、この国の衰退を招く結果になろうとも」
ミドガルドの意見は、セツナにも大いに理解できることだ。
聖皇ミエンディアに召喚された神々のほとんどは、本来在るべき世界に還ることを切望している。悲願であり、渇望なのだ。
本来であれば、神々は、聖皇との契約を果たし、それで元の世界に還ることができたところを彼女の死によって五百年以上も束縛されることになってしまった。
それが神々にとって、どれほど辛いことだったのか、想像もできない。
神々がどれほどの犠牲を払ってでも聖皇復活を成し遂げようとしたのは、神々にしてみれば当然だったのだ。必然。道理といってもいい。義務ですらあるだろう。
だが、そのためにこの世界を滅ぼそうという結論に至るのであれば、この世界の住人たるセツナたちが立ちはだかるのもまた、当然の帰結であり、道理だ。
道理と道理がぶつかり合えば、どちらか一方しか生き残れないのだ。
そして、セツナたちが生き残り、エベルが滅んだ。
それだけのことだ。
王都が沈黙に包まれていようと、ディールの将来に暗雲が立ちこめ始めていようと、世界が滅ぼされるよりはずっとましだ。
そう考えれば、多少は気が楽になった。