第三千三十一話 新たなる翼(六)
再開した魔晶船の試運転は、順調そのものだった。
試運転を始めてから数十分が経過しても、船のどこにも異常は見受けられず、すべてが正常で、しかも、なにもかもが操縦者の思い通りに動いていた。マユリ神はみずからの手足のように自在に船を操って見せ、ウルクナクト号よりも極めて軽快かつ機敏な魔晶船をすぐに気に入ったようだった。
機関室の座席に体を固定したセツナも、虚空に投影された映写光幕に映し出された光景から魔晶船の速度や小回りの利きやすさを存分に理解していた。が、一方で、急加速中や旋回中は、船体にかかる重圧によってまともに立っていられないという点は、問題かもしれない、とも思った。
ウルクナクト号は、その点では優秀極まりなかったのだ。たとえば高速飛行中に急停止しても、セツナたちにはなんの影響もなかった。ウルクナクト号には、船体にかかる重圧を低減する機能が備わっており、それが船内で生活するに当たって好影響を与えていたのだろう。
そのことを伝えると、ミドガルドは、待ってましたとばかりにマユリ神に指示を出した。すると、セツナが感じていた重圧があっさりと消えて失せたものだから、彼も驚くほかなかった。
「魔晶船はウルクナクト号を参考に設計し、開発したものです。当然、重圧を低減する機能も備わっていますとも」
ミドガルドは自負するようにいったが、だったら最初から使えばよかったのではないか、などと思わないではなかった。
とはいえ、重圧低減装置なりなんなりのおかげもあり、船体がどのような状況であっても船内を歩き回ることが可能となり、セツナは、座席に縛り付けられていた状態から解き放たれた。座席の座り心地は決して悪いものではなかったが、自由を奪われるというのは性に合わないこともあり、解放されたことで彼は心底安堵していた。
「戦闘用の機能については、試運転のしようもないな」
「そりゃあ、そうでしょう」
セツナは、マユリ神の一言に苦笑を漏らした。
船首の神光砲にせよ、船体各部の砲座にせよ、無闇に撃っていいものではあるまい。もし万が一、なにかに直撃するようなことがあれば、大問題だ。
どこかの海上、遙か高空で出力を抑えた砲撃ならば、問題が起こる可能性も限りなく低くなるだろうが。
「では、戦闘機能の試運転については“竜の庭”に戻る最中にでも行うとしよう」
「うむ。それがよいのう」
魔晶船が進路を魔晶城へと向けた。
試運転を終えようというのだが、そのとき、ミドガルドが口を開いた。
「ひとつ、試運転のついでに頼み事をしてもよろしいですかな?」
「頼み事……ですか」
セツナは、ミドガルドの表情のない顔に目を向けた。彼がなにがしかの思惑を持っているようだということはわかっていた。そのため、驚きはない。
「王都ディライアに向かって頂きたいのです」
「なぜじゃ?」
「王都ディライアは、その名の通り、神聖ディール王国の王都。ディール王家によって統治運営され、長らく栄華を極めてきた都市です。“大破壊”以降も、おそらくは変わらぬ栄光の中にあったでしょう。なにせ、王家の支配者はエベルだったのですから」
ミドガルドのいうとおりに違いない。
エベルは、代々のディール王家当主――つまり、ディール国王、通称・聖王を依り代としてきていたようなのだ。ディライアの繁栄とは、エベルの加護と祝福によるものであり、聖王国が三大勢力の一角をなしていたのもまた、エベルの大いなる力によるところが大きい。そして、その力は、いまでこそ失われたものの、それまでは聖王国領を護り続けていたはずだ。
特に王都となれば、エベルが放っておくわけもない。
魔晶城およびその周辺地域はエベルに見離されたようだが、それはおそらく、いずれ魔晶城を我が物としたときに手を加えようと画策していたからだろう。あるいは、ミドガルドへの嫌がらせ的なものもあったのかもしれない。
エベルは、ミドガルドを極端にまで嫌っているようだった。
「そのエベルが滅びたいま、ディライアの状況がどうなっているのか、この目で見て、確認し、把握しておきたいのです」
ミドガルドは、そういうと、皮肉げに続けた。
「わたしはこれでも聖王国の人間でしたからな」
聖王国の神に存在を否定され、さらには人間であることすらやめた自分自身への皮肉だろうが。そこには複雑な感情が垣間見える気がした。
「ということだが、どうする? セツナ。決めるのはおまえ自身だ」
「なんで俺なんです?」
セツナがマユリ神に尋ねたのは、純粋な疑問からだった。船は現在試運転中であり、マユリ神の思うままに動くはずだ。彼女の気分次第でどこへだって行けてしまう。
「わたしはおまえの協力者だよ、セツナ。ミドガルド流にいうなれば、同志だ」
「同志……」
「そして、船の主もまた、おまえだ、セツナ。船の舵を取るのはわたしだが、船の針路を決めるのはおまえでなくてはならない。おまえこそが希望であり、光なのだから」
「神がいってよい言葉とも思えんがの」
ラグナが苦笑を交えたのは、セツナが魔王の杖の護持者だからだろう。
神と魔は対立する存在だ。
特に百万世界の魔王の力、その顕現たる魔王の杖の使い手となれば、神々にとって最悪の存在であり、糾弾こそすれ、許容することなどあるべきではないはずなのだ。ラグナは、そのことをいっている。
「いいのだ。魔王の杖の使い手たるセツナにこそ、希望の光は宿る。それが事実だ」
マユリ神は、動じない。
「実際、魔王の杖の力なくば、エベルを討ち滅ぼすことはできなかった。それは、彼とて理解しているさ」
「……そうじゃな」
ラグナは、からかい甲斐がないとでもいわんばかり小さく息を吐いて、マユリ神の意見を肯定した。
視線が自分に集中するのを感じつつ、セツナは口を開く。考えるまでもないことだ。
「じゃあ……ディライアに向かってください」
「わかった」
魔晶城方面に向けられていた船首が真逆の方向へと旋回する。その間も、セツナは微動だにすることがなく、重圧低減装置の効力をはっきりと認めることができた。さすがはミドガルドと賞賛したくなるほどだ。
そのミドガルドは、映写光幕に映し出された“大破壊”後の世界図をじっと見つめていた。
かつて、世界はひとつの大陸だった。聖皇ミエンディアによって統合された大地は、五百年に及ぶ歴史を紡ぎ上げ、そこに住むひとびとにとって、大陸こそが世界であり、イルス・ヴァレとは、ワーグラーン大陸そのものといっても過言ではなかったのだ。
それがいまやばらばらになってしまっている。
“大破壊”以前は、三大勢力として大陸最大規模の版図を誇っていた神聖ディール王国の領土もまた、大破壊によって引き裂かれ、ふたつの大陸といくつかの島にわかれてしまっている。
ミドガルドは、聖王国領が引き裂かれた事自体は知っていたようだが、大陸全体が同様にばらばらになっていたことは知らなかったらしく、マユリ神から受け取った情報を目の当たりにしたとき、衝撃のあまり、しばらく茫然としていたという。
ミドガルドにとっても、世界の現状は、絶句するほどのものだったのだ。
そして、そんな現状だからこそ、聖王国王都の現状が気になるというのは、わからない話ではない。
セツナだって、そうだった。
現世に帰還した直後など、ガンディオンのことが気になって仕方がなかったのだ。