第三千二十二話 ミリュウ、その試練(二)
ラヴァーソウルの幻影体が消失すると、それまで時間さえも止まってしまっていたようなマトラ・マトンの町並みが動き出し、ミストリ・ミストを始めとする機人たちもまた、動き出した。その一事によって、ラヴァーソウルがとてつもなく強大な権限を持つ存在であることは明らかであり、彼女がこの大地における神のような存在であるという認識は、正しいもののようだった。
ミストリ・ミストは、当然、ミリュウの目の前にラヴァーソウルが現れ、様々なやり取りをしたことを知らなかった。機能停止中に起きた出来事であり、知る由もないことだ。
彼に対し感謝しているミリュウにとってその事実は、多少複雑な感情を抱かせたものの、ラヴァーソウルとの接触を優先するべきであるという想いのほうが上回った。ミストリ・ミストにとっては、知らない方がいいことでもあるだろう。
『ここがマトラ・マトンの大通りだ。中々に壮観だろう。何度となく改修工事を繰り返された結果、もはや以前の面影もあったものではないが、むしろ、そのほうがマトマトらしいといえる』
『そうね』
マトラ・マトンのことを自慢げに語るミストリ・ミストに言葉少なに対応しながら、彼の後に続く。
確かに彼のいうとおり、壮観ではあった。鋼鉄の門と壁に囲われた都市は、外からでも見えるくらいに巨大な建造物が数多く存在しており、市内に足を踏み入れれば、そういった建物群に圧倒されなければならいほどだった。本来ならば、市内に入ってすぐさま驚いたのだろうが、それよりも先にもっと驚く出来事があったため、都市の景観への驚嘆は、薄れきってしまっていた。
ラヴァーソウルとの会話中、なにもかもが止まってしまった町並みを見回したのだ。その際、巨大な建造物の群れに驚くことがなかったのは、ラヴァーソウルという驚くべき存在のおかげなのだろう。そして、そのせいで時が動き出したいま再び町並みを見返しても、新しく驚くこともなくなってしまっている。
建造物の形状そのものは、イルス・ヴァレの都市とそう変わるものではない。奇抜な形状の建物もなくはないが、そういった建物は極少数であり、大多数は、見覚えのあるような形状の建物ばかりだった。ただし、その規模や大きさ、高さは大いに異なるものであり、マトラ・マトンの町並みからは威圧感を覚えずにはいられなかった。
乱立する無数の高層建築物は、それだけで圧迫感を与えるのだ。それも、どうやら金属製の建造物ばかりであり、余計に威圧感を感じるのかもしれない。
道行くひとびとは、機人ばかりだ。いずれもミストリ・ミストと似たような姿形をしているものの、それぞれに個性があるようだった。体の大きさが違ったり、顔の形状が違ったり、と、そういう人間に見られるような個性が機人たちにも備わっているのだろう。
機人たちが臆面もなくミリュウに対する好奇のまなざしを向けてくるのは当然だったが、取り囲まれるようなことはなかった。
どうやら、ミストリ・ミストが連れ立っているというだけで、ひとびとは遠慮するものらしい。
ミストリ・ミストは、みずからを管理者といった。“機構”と関わる権限を持つもののことのようであるそれは、機人たちにとって近寄りがたいものの証でもあるらしい。
そして、ミリュウは、彼に案内されるまま、“機構”の所在地へと至った。
マトラ・マトンの中心部に聳える管理塔。その中にある昇降機を用い、地下深くに降りていくと、最重要区画に至る。そこには、極一部の選ばれた機人のみが立ち入ることの許される機密区画があり、それこそ、“機構”の所在地だった。
機密区画には、ミストリ・ミスト以外の管理者たちがいたが、いずれも、ミリュウの存在を気にも留めていなかった。管理者たる機人たちはそれぞれになにがしかの作業をしていて、こちらに目をくれる暇もないといった様子であったが、それ以上に、ミリュウの存在を感知できないとでもいわんばかりの反応であり、要するにそれは、ラヴァーソウルの影響に違いなかった。
管理者たちは、ウルクナクト号における映写光幕のようなものとにらみ合い、手元の機材を操作しているのだが、それが彼らの仕事であることは一目瞭然だ。
何人もの管理者たちが、黙々と仕事に従事する中を通り抜け、さらに奥へ進む。
厳重に管理された扉の前に連れてこられると、ミストリ・ミストは、扉の横に設置された端末を操作した。すると、音を立てて扉が開き、彼がミリュウにその中に進むよう身振りで示す。自分は、ここで待つ、とでもいうのだろう。
それもこれも、ラヴァーソウルの力に違いない。
確かに、こうすればあらぬ疑いを持たれることはないのだろうが。
ミストリ・ミストに促されるまま、扉の中に足を踏み入れれば、そこで待ち受けていたのは、広大な空間だった。それまで歩いてきた通路や通ってきた部屋とは明らかに雰囲気のことなる空間には、巨大な柱とでもいうべき代物が聳えており、そこから無数の管が室外に向かって伸びている。どうやら、その柱こそが“機構”と呼ばれるものの本体のようであり、ミリュウは、その目の前まで近寄って、仰ぎ見た。
『これが……ラヴァーソウルなの』
『そうですよ、ミリュウ。これが本当のわたしの姿』
ラヴァーソウルの声が、ミリュウの耳に聞こえる。囁くような声は、きっと、彼女にしか聞こえないのだろう。
『驚いたでしょう?』
『え、ええ。そりゃあ、まあ……』
驚くよりほかはない、と、ミリュウは本音を漏らした。
『しかし、ミリュウ。驚いている暇はありませんよ。あなたには、なにより優先するべきことがあるでしょう?』
『ええ。その通りよ、ラヴァーソウル。あたしは、あなたの力をもっともっと引き出せるようにならなきゃならないの』
『そのためには、試練を受けてもらう必要があるのだけれど……覚悟は、聞くまでもないわよね?』
『もちろん!』
強く答えた直後のことだった。
足下から噴き出したまばゆい光が視界を包み込んだかと思えば、つぎの瞬間、目の前の光景が変わり果てていた。通路だ。長い長い通路が眼前にあり、それがなにを意味しているのかは、ある程度想像がついた。
つまり、この通路が試練であり、突破しろ、ということだろう。
(だとすれば、簡単な話だけれど)
ミリュウは、周囲を観察しながら、そんなことがあるはずもないと断じた。ラヴァーソウルは、試練といった。試練が、ただ通路を駆け抜けるだけで終わるものとは、考えられない。たとえそれが一番最初の簡単な試練であるとしても、だ。
ミリュウの現在地――つまり試練の開始地点は、“機構”の所在地とはなにもかもが異なる場所だった。空間転移能力によって移動させられたのだろうが、だとすれば、街に入ったときにそうすればよかったのではないか、と、想わないではない。
あのときそうしなかったということは、できなかったということなのか、ラヴァーソウルがミリュウに“機構”を見せたかったからなのか。
いずれにせよ、ラヴァーソウルは、空間転移能力を持っているということであり、仮にそれが召喚武装ラヴァーソウルの能力として使えるようなことになれば、ミリュウの戦闘における貢献度は大幅に向上すること間違いない。
そうなればきっと、セツナももっと喜んでくれるはずだ。
ミリュウは、改めて、ラヴァーソウルと巡り会えて良かった、と思ったりした。