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第三百一話 魔王語り(後)

「俺は人間が嫌いだ」

 彼が告げると、リュスカは、困ったような表情を浮かべてきた。

 青白い肌は、闇の中でこそその美しさが際立つ。いつもなら抱きすくめたのかもしれない。しかし、いまはそんな気分にもなれなかった。だからだろう。彼女は不満そうな顔をした。

「ユベル、いつも、いう」

 人間ならざる彼女には、理解できない感情に違いない。いや、同族嫌いの皇魔がいてもおかしくはないのだが、少なくとも、リュスカの周囲にはそのようなものは見受けられなかったし、ユベルの知る皇魔のほとんどは同族意識が強かった。人間よりも余程仲間のことを大切にしていると思うこともあるが、気のせいかもしれない。

「人間が嫌いだから、おまえたちのような連中とつるんでいる。あてつけのようなものだな。俺を生み出した連中への復讐でもあるが……」

 暗い闇の底で、生き残ったのはたった六人だけだった。

 救い出されたとき、四人が国に残った。ふたりは国を去った。ひとりは流れ流れて傭兵団に入ったらしい。ひとりは、魔王になった。魔王と呼ばれるような存在に成り果てた。それは喜ぶべきことだろう。嘆く必要はない。悲しむ必要もない。結果だ。身も心もでたらめに掻き回された挙句の成れの果て。生きることを選んだものの末路だ。

(末路……)

 死ぬことはできた。

 それだけが自分たちに許された唯一の自由だった。発現した異能を用いれば、いつだって、簡単に死ぬことができたのだ。だが、死ななかった。いや、死ねなかったのだろう。死ぬのが恐ろしかったわけではない。

 死は、いつの間にか親しい隣人になっていた。あまりに多くの死を目の当たりにしてきたからかもしれない。断末魔の叫び声が耳にこびりつき、離れない時期もあれば、怨嗟の声に取り憑かれるように過ごした日々もあった。

 光の届かない闇の深淵で、彼は、死そのものになろうと考えた。死を振り撒く存在に成ろう。成って、果てよう。そうすることでなにが変わるわけでもない。なにがあるわけでもない。

 ユベルの視線の先には闇しかない。夜明け前だというのに真っ暗な世界よりも深い闇だけが横たわっている。希望はない。光もない。救いなどあるはずもない。そんなわかりきったことを考えるだけの余裕はある。

「でも、ユベル、将軍、好き」

 リュスカの嫉妬混じりのつぶやきに笑みをこぼす。彼女の感情表現を見ていると、人間と皇魔の違いがますますわからなくなる。が、そういうものかもしれない。元々、違いなどないのだろう。ただ、生まれた世界が違うだけなのだ。生まれた世界が違うから、価値観が違うから、不幸なすれ違いが起きてしまったのではないか。

 それが五百年もの長きにわたって積み重なり、人間にとっては天敵としてしか認識できなくなり、敵意を向けざるを得なくなったのだ。そうすると、皇魔も殺意を以って立ち向かうしかない。かくして、憎しみは連鎖し、終わることなく続いていくのだ。

 といって、ユベルは皇魔のすべてを理解しているわけではない。ユベルとは触れ合うことができても、ほかの人間は殺そうとする皇魔は多い。ユベルが仲介するだけで人間と触れ合えるようになる皇魔など、ブフマッツくらいのものだ。

「そうだな。俺は彼が嫌いではなかった。なぜだろうな」

 考える。

 グレイ=バルゼルグ。元は、メリスオールという国の将だったらしい。十年ほど前、メリスオールはザルワーンに敗れ、グレイは、王家臣民の命を護るためにザルワーンに降ったという。ザルワーンとしては、メリスオールの国土よりも、グレイと彼の麾下の軍勢を戦力として手に入れることこそ肝要であったらしい。事実、グレイ=バルゼルグは、ザルワーン軍の象徴と呼ばれるほどの活躍を見せることになるのだから、ザルワーンは間違っていなかったのだ。

 彼は麾下の三千人とともに、ザルワーン最強の名をほしいままにしていた。ザルワーンの猛将といえば彼のことであり、彼の軍勢こそザルワーンの最高戦力といってよかった。しかし、彼はザルワーンを見限り、ザルワーンの敵となった、最高の味方が最悪の敵となったとき、ザルワーンは震撼したに違いない。

 彼の何処に惹かれる要素があるのだろう。

「彼にブフマッツを貸し与えたのは、単純な興味からだった」

「興味?」

「人間とは愚かな生き物だ。力を得れば、使わずにはいられない。手にした力が大きければ大きいほどな。玩具を与えられた子供のようなものだ。無視することなどできない。黙殺することなど。おまえにはわからないだろう? 人間よりも遥かに強大な力を生まれ持つ皇魔にはな」

「力……わからない」

「そうか。大きな力という認識さえないのか。それが人間と皇魔の違いか」

「違う? 違わない」

 リュスカは、首を強く横に振ると、なにを思ったのか、ユベルの腕にしがみついてきた。彼女の意図はいまいちよくわからないのだが、ユベルはリュスカの好きにさせることにした。

「……ともかく、俺は彼を試したのさ。皇魔を得た彼がなにをするのか、見届けようと思った。三千の精兵に三千のブフマッツ。国を作ることはたやすく、ジベルを攻め滅ぼすことだってできたかもしれない……いや、まあ、そこまではできないか」

 彼は苦笑した。ジベルを過小評価しすぎたかもしれない。

 ジベルには死神部隊などと呼ばれる超人的な戦闘集団がある。その実力を馬鹿にすることはできない。実際、クルセルクのジベル侵攻は、死神部隊の活躍によって不完全なまま終わらざるを得なかった。皇魔の群れに引けを取らない戦いぶりを見せた彼らのことだ。グレイ率いる皇魔の軍勢にもある程度は対応できただろう。そして、ジベルが保有する戦力は死神部隊だけではないのだ。

 ユベルは、自分の考えの浅はかさに苦笑を浮かべた。

 それはそれとして、ユベルの目論見は外れた。

 グレイ=バルゼルグはユベルの援助を受け入れこそしたものの、考えを改めることはなかったのだ。ユベルの提供したブフマッツの調練に日夜汗を流すだけで、その力の使い方を決めかねているという風でもなかった。圧倒的な力を得て、彼の目は曇らなかったのだ。最初から決めていたことを遂行するだけだといわんばかりだった。

 どこまでも透き通った瞳は、ユベルに少なからず衝撃を与えた。人間の中に、彼のようなものがいるのかと思ったのだ。

 グレイはただ、死に場所を求めていた。

 だから、彼は死ぬのだ。

 龍眼軍を上回る軍勢を手にした彼にとって、龍府を滅ぼすことは難しいことではない。しかし、それは勝利を目標にした場合の話だ。死ぬために、死ぬためだけに軍馬を走らせる男たちには、勝機など訪れるはずもない。それに、龍府にはガンディア軍が迫っている。たとえグレイ軍が龍府を陥落させることができたとしても、ガンディア軍との連戦になれば勝ち目はない。

 彼は、それを理解した上で進発したのだ。ガンディア軍に龍府を落とされては、格好がつかない。龍府に一番乗りするのはグレイ=バルゼルグの軍勢でなくてはならない。本気でそう思っているのだろう。実にくだらないことだとは思うのだが、それもまた彼らしくはあった。

「グレイ=バルゼルグ……か」

 ユベルは、遥か西方に視線を向けた。

 夜明け前の闇の彼方、龍府を目指す一団がいるはずだが、当然、見えるはずもなかった。しかし、間違いなく彼らはこの暗闇の中を疾駆しているのだ。ただひたすらに死に場所を求める狂気の集団。そこに正義や大義などはないのだろう。

 それはきっと、絶望の行き着く先なのだ。

 彼や彼の部下たちがなにを見、なにを感じたのかは、ユベルにはわからない。故郷を守れなかった無念さと、家族や仲間といった大切なひとびとを失った悲しみ、主君を奪われた怒り、そういった感情の向かう先なのだ。もはや激情などと呼べるようなものではない。

 死を求め、喘いでいる。ただそれだけのことだ。

 ユベルは、そこに美を見出すような奇妙な繊細さは持ち併せてもいなかったが、彼らの想いを踏みにじろうとも思わなかった。

 そのとき、光が、闇を引き裂くように天に昇った。

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