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第三千九話 黒き矛

 濁流のように押し寄せ、洪水のように有無をいわさず頭の中を塗り潰したのは、一言で言えば混乱だった。

 様々な疑問が浮かんで、その疑問にさらなる疑問が生まれ、数珠つなぎとなって螺旋を描く。自分の身になにが起きたのか。なにが起きて、いったいどうなって、あんな目に遭ったのか。そもそもあれは本当になんだったのか。なぜか、なにもかもを理解した気になっていたことそのものにも疑問が生じる。

 いったい、なにが起きたというのか。

 そしてここは、どこなのか。

 六柱の眷属たちは、いった。

(深淵……奈落……地獄……黄泉……冥府……)

 床に張り付いたような状態の顔を起こして、状況を確かめる。

(墓穴の底……)

 眷属たちの声は、前方から聞こえてきた。つまり、前方にいる、ということだ。

 顔を上げて見てみれば、前方には闇があった。いや、前方だけではない。前後左右、天も地も、どこもかしこも真っ黒な闇に包み込まれ、飲み込まれてしまっている。まるで謁見の間への回廊のようにだ。

 しかし、あの回廊とはなにかが違った。

 具体的に例を挙げて示すことは難しい。なにかが違うとしかいえなかったし、感覚的なものでしかない。気のせい、と断言されれば、そうかもしれない、と思ってしまうくらいの、そんな差違。しかし、セツナは、確かに感じるのだ。

(ここが……本当の地獄……?)

「そういうわけではないよ」

 闇の中、しっかりと聞こえたのは、エッジオブサーストの声だ。試練の際に聞いた刺々しさは、鳴りを潜めている。セツナを認めてくれた、ということと信じたいところだ。

「ここが地獄の最深部にして中枢、ということさ」

「最深部にして……中枢……?」

 セツナは、エッジオブサーストの発した言葉を反芻するようにつぶやきながら、驚きを覚えつつも釈然としないものを感じずにはいられなかった。

「じゃあ、あの塔はなんだったんだよ!?」

 最深部と、エッジオブサーストはいった。つまり、地獄の底の底ということだ。地獄の天に聳える塔の頂とは、いわば正反対の位置、高度にあるといっていい。

「なんのために試練を受けて、なんのために昇ったんだ!?」

「ここに堕ちてくるために決まってるでしょう」

 とは、メイルオブドーター。その包容力に満ちた声音は、試練のときと大きな違いはない。柔らかく、包み込むような優しさがあり、セツナは、不安が霧散していくのを認めざるを得なかった。

「堕ちてくる……ため」

「なんだって、儀式は必要だろう。召喚武装に命名するようにな」

「儀式……」

「然様。儀式ですな。ここへ至るための秘密の儀式」

「我らの試練も、塔を昇ることも、堕ちてくることも、すべては儀式」

「儀式……」

 眷属たちの言葉を繰り返すだけになるのは、情報を整理しつつ、体勢を整えていたからだ。立ち上がってみれば、自分の姿形が黒き竜ではなく、ただの人間に戻っていることがわかる。竜としての感覚はどこかへと消えてなくなり、人間・神矢刹那としての感覚が復活している。手も足も自由自在に動いたし、なんの問題もなかった。

 頭の中の混乱は収まりつつある。

 儀式である、と、彼らはいった。

 鍵の試練も、塔に上り、闇の回廊に挑戦したことも、落下し、黒き竜となって雷に打たれ、地の底に投げ落とされたことも、すべて、儀式である、と。

 このどこまでも深く昏い暗黒空間に至るための儀式。

 そんなものを受けるつもりもなかった、などとは、いえまい。

 どのみち、黒き矛の魔王に逢うために必要な儀式だったのだ。その儀式がおそらく無事に終わった以上、文句もない。

 ただ、その儀式になんの意味があるのかは、いまのところなにもわからないが。

 漠たる闇の中、薄らと、六眷属の姿が見えてくる。闇に目が慣れただけでなく、この暗黒空間そのものがセツナに見せてくれているのではないか、という考えが浮かんだ。なぜならば、六眷属の立ち位置は、セツナと遠く離れていて、闇に目が慣れただけでは到底見えるはずもなかったからだ。

 黒衣の青年姿はランスオブデザイア、同じく黒衣だが隆々たる肉体が特徴的なのがアックスオブアンビション、こくりこくりと頭を揺らしている少年もまた黒衣を纏っている。彼は、ロッドオブエンヴィーだ。黒衣の老人はマスクオブディスペアで、黒衣の少女がエッジオブサースト、黒衣の美女はメイルオブドーターだ。いずれも闇に溶けるような黒髪の持ち主であり、血のように紅い目の持ち主でもあった。

 それは、まず間違いなく、黒き矛の眷属だから、だろう。

 かつて、黒き矛は、黒髪に紅い目の男の姿を化身とし、セツナの夢現の狭間に現れた。

 ランスオブデザイアなどは、その姿によく似ていた。目鼻立ちなど、本当にそっくりだった。見比べてみれば、アックスオブアンビションも、似ている部分がある。ほかの眷属たちもだ。それがなにを意味しているのか。そんなことを考えている暇は、残念ながら、まったくなかった。

 六柱の眷属は三人ずつ左右に分かれるようにして、立っている。中心には大きな空間があり、セツナは、その事実に気づいたとき、異様なほどの圧迫感を覚えた。闇そのものが凝縮したような重々しさがあり、物凄まじい圧力に背筋が凍る。

 なにかに見られている。

 そう思ったときには、遅かったのだろう。

 それは、確かにセツナを見ていた。

 深淵の暗黒の中であってもより一層昏く黒い闇を纏うようにして、それは、いた。

 闇よりも黒く、夜よりも昏いその男は、しかし、炎よりも赤く、血よりも紅い瞳でこちらを見ていたのだ。

「幾多の試練を乗り越え、よくぞここまで辿り着いた。俺が地獄を開いて以来、初めてのことだ。褒めて遣わす」

 大仰に、しかし、はっきりと聞こえる声で、その男はいった。

 聞き覚えのある声だった。聞いた瞬間、それだけで頭の中が真っ白になり、意識が消し飛ぶのではないかと思うほどの衝撃が全身を駆け抜け、肉体から精神が弾き飛ばされるような感覚にさえ襲われた。まるで理解が追いつかないような現象だった。ただ声を聞いただけだ。言葉を耳にしただけだ。ただそれだけのことで、セツナの中で天変地異が起きたのだ。

 価値観ががらりと変わるような出来事だった。

 少なくとも、その瞬間は、そう想うほかなかった。

 衝撃的な出逢いは数あれど、このような邂逅は、生まれてこの方、初めてのことだった。これまでの人生におけるすべての出逢いの驚きを塗り替え、記憶を書き換えてしまうのではないか、と感じるくらいだ。

 なぜ、そこまでの衝撃を覚えたのかは、わからない。

「セツナよ。我が契約者よ」

 男は、高所に位置する闇の玉座に腰を下ろしたまま、こちらを見下ろして、いった。

 この闇の領域に光はない。しかし、セツナの目には、はっきりと男の姿が映り込んでいた。真っ黒な頭髪に真っ赤な瞳、白い肌は決して健康的には見えないが、どうでもいいことだ。身に纏うは黒い衣であり、それもまた、闇をそのまま衣装にしてしまったような、そんな雰囲気があった。豪華でもなければ絢爛でもなく、むしろ質素といったほうがいいだろう。だからどう、ということはないが。

 そんな男がどこか皮肉げな表情でこちらを見る様は、値踏みしているようであり、それがセツナを異様なほどに緊張させる原因のひとつだったのかもしれない。

「我こそ、カオスブリンガーなり」

 彼は、そう名乗った。

 カオスブリンガー。

 セツナが黒き矛との絆を強くするべくつけた名。


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