第三千五話 自由というもの(二十)
セツナは、ぐったりとその場に座り込んだ。緊張の糸が切れ、立っていられなくなった。防御に徹していたとはいえ、いや、だからこそ、精神的にも緊張しっぱなしだったのだ。
分岐と変動を続ける未来を一定の形に導いていくには、こちらの行動による変化を最小限に抑えればいい。そうして相手の行動を制御していけば、未来をも支配することが可能となる。そのための鉄壁の防御であり、そのための防戦一方だったのだ。
セツナがそのような勝ち筋を見出したのは、体力を消耗したからこそだ。
無尽蔵の体力を誇る“影”とは異なり、体力も精神力も有限だったことがセツナにとって大いに有効的に働いたのだ。
“影”とまったくの同条件――つまり、セツナもまた、無尽蔵の体力と精神力を与えられていれば、あのような戦術に辿りつかず、平行線を辿り続けていたかもしれない。
体力の消耗によって動きが鈍くなり、その事実がセツナに無駄な行動による体力の浪費を抑えるべく考えさせた。
相手の手の内はわかっていて、行動も予測できる。防御を固めれば、どのような攻撃で護りを崩そうとするのか、どのような猛攻を仕掛けてくるのかも、手に取るようにわかった。そして、護りに徹する内、光明が見えた。
つまり、自身の行動を制限することで“影”の行動をも制限し、そうすることで“影”の感情を揺さぶることができるだろう、ということだ。“影”が完璧にセツナを再現した存在であればあるほど、セツナが取った戦術は効果的だ。なぜならばセツナは、戦場であっても常に沈着冷静ではいられないところがあるからだ。よくいえば感情が豊かであり、悪くいえば直情的なのだ。
戦闘において優勢有利であれば冷静さを保ち続けることも不可能ではないが、戦況が拮抗し、暗雲が立ちこめ始めると、そうもいっていられなくなる。
案の定、“影”は、セツナの鉄壁の護りに勝算を見いだせなくなり、苛立ちを隠せず、激情に身を任せるようになった。苛つきと怒りが“影”の力を最大限に引き出したが、同時に呼吸法をも忘れさせるほどに冷静さを欠くようになってしまった。
黒き矛の力は増大する一方、身体能力は低下していったのだ。
それこそ、セツナの思い描いた勝利への道筋であり、戦いの終盤は、彼の思い通りに事が運んだ。隙だらとなった“影”を斃すのは、なにひとつ難しくなかったのだ。とはいえ、そこまで持って行くのにどれだけの時間を要したかといえば、物凄まじいとしかいいようのないものであり、そのために消耗した体力はとてつもないものだった。
もはや疲労困憊といってよく、試練がさらに続くようなことがあれば、それこそ絶望を禁じ得ない。
矛は、いつの間にか消えていた。
送還したわけでもなく消失しているということはつまり、あの黒き矛は本物の黒き矛ではなかったということだろう。“影”の黒き矛同様、あの試練が用意した偽物だった、ということだ。とはいえ、偽物というには再現率が高すぎる気もしないではない。
限りなく本物に近い偽物。
“影”のようなものなのではないか。
そんなことを考えていると、冷ややかな風が頬を撫で、浜辺に打ち寄せる波の音が耳朶に優しく染みこんでいった。
振り向けば、闇色の海がどこからともなく降り注ぐ光を乱反射して、昏い輝きを浮かべていた。その上空に黒い衣を纏った老人が浮かんでいて、爛々と輝く紅い目でこちらを見つめている。マスクオブディスペア。“影”を斃したから出てきたのだろうが、その老人の第一声が少しばかり恐ろしくもあった。
試練はまだ終わりではない、などと言い出してくる可能性もなくはなかったからだ。
重い体を奮い立たせて立ち上がり、波打ち際に赴く。砂浜の上を足を引きずるようにして、一歩、また一歩と歩いて行くのだ。呼吸は荒く、戦竜呼法を忘れた“影”のようだった。その独特な呼吸法は、まだ意識して使っている段階であり、意識せずとも体が勝手に使っているというような段階に至るには、まだまだ鍛錬が足りていなかった。
もし、そのような状態にまで持って行くことができたならば、セツナは、ただの人間としてもとてつもなく強くなれるだろう。が、それはまだ先の話だ。
いまは、呼吸法を維持し続けることもできないような惨状といってよく、重い体は重いまま、疲労と消耗に苛まれ続けなければならなかった。
致し方のないことだ。
闇色の波が押しては返す波打ち際にまで近づけば、心地のいい潮騒が出迎えてくれる中、老人が口を開いた。
「さすがは、我らが主が選び抜かれた御方、と申し上げねばなりますまいな」
老人の手放しの賞賛は、さすがのセツナも予期せぬものであり、彼は、純粋に驚いた。
「最終試練をも突破なされたのです。これは、百万世界に誇るべき偉業といっても過言ではありますまい。我ら眷属のみならず、諸魔もまた、あなた様を賞賛し、頭を垂れましょう」
「いくらなんでも褒め過ぎじゃないか……?」
「なにを仰る」
マスクオブディスペアは、セツナの疑問を一蹴した。
「斯様な偉業、この程度の賞賛では済みませぬぞ。なにせ、この地獄が開かれて以来、初めての出来事なのですからな」
「地獄が開かれて以来……」
とはいうが、いつこの地獄なるものが開かれたのかもわからない以上、実感はなかった。この夢幻の世界がつい先日開かれたばかりではないことは確かだろうが、しかし、何百年、何千年もの間、この地獄そのものの夢世界が存在し続けているというのも、正直なところ、想像もできなかった。
そもそも、だ。
黒き矛や眷属たちが何百年、何千年もの時を生きている存在だということもにわかには信じがたい話なのだ。
召喚武装は、異世界に存在する武器や防具である、と、いわれていた。それがどうやら違うようだということに思い至ったのはつい最近のことといっても過言ではなく、確信に近い想いを抱くようになったのは、この地獄に至ってからのことだ。
眷属の化身は、化身ではなく、本体なのではないか。
つまり、鎧や杖、仮面となって現れる姿こそ、化身とでもいうべき状態なのではないか。
そう考えるようになったのも、眷属たちの生き生きとした様子をこの目で見、感じたからこそだ。
要するに彼らはイルス・ヴァレとは異なる世界に存在する生き物であり、知的生命体である、ということなのだ。
セツナは、そんな彼らを武器や防具として、召喚している。
それが武装召喚術というものであり、召喚された際の武器や防具としての姿形は本来の姿とはかけ離れたものなのではないか。
それが黒き矛と眷属たちにのみいえることなのか、ほかの召喚武装にも適応されることなのかは不明だが、少なくとも、黒き矛と眷属たちには、そのような確信を持てた。
だからこそ、疑問も持つ。
彼らが異世界の住民である事自体は、いい。彼らが化身としての武器や防具となるのも理解しよう。そしてその世界がこの地獄であるということも認めたとして、彼らがこの世界でどれだけ長い時間を過ごしているのかについては、疑問の残るところだった。
マスクオブディスペアは、数百年、数千年では済まない時間を過ごしている、とでもいいたげなのだ。
でなければ、セツナが最終試練を突破した事実を百万世界に誇れる偉業などとはいうまい。
「さて、セツナ殿……いえ、セツナ様、と申し上げた方がよろしいでしょうな」
黒衣の老人は、口調を改めただけでなく、態度までも改めた。