第三千二話 自由というもの(十七)
「さあ、どうする? 状況は変わったぞ」
「状況が変わった? なにも変わってねえだろが」
“影”は、吐き捨てるように告げてくると、透かさず“破壊光線”を撃ち放ってきた。黒き矛の穂先が白く膨張したように見えた瞬間、光の奔流が殺到してくる。が、セツナは狼狽えない。応射もせず、ただ、矛をそちらに向かって掲げるだけだ。
破壊の光は、セツナの矛に触れると、その瞬間に力を失い、穂先に吸い込まれていく。そして、セツナ自身の力となっていくのだから、セツナとしてみれば、“影”の“破壊光線”戦法は、もはや有り難いものと変わり果てていた。
“影”の姿は、視界から消えている。
見回せば、“破壊光線”の乱射によって、灼き尽くされた砂浜の痛々しい光景が目に入ってくる。凄まじい光熱の奔流によって蹂躙された跡だ。そして、“影”の姿が視界に入ってくると、彼が矛を掲げているのがわかった。しかしながら、即座に“破壊光線”を撃ってくるようなことはなくなっていた。
さすがの“影”も、考え直したらしい。
このまま空間転移と“破壊光線”による多方向砲撃を続けても、なんの意味がないことを悟ったのだ。無尽蔵の精神力に痛手はないにせよ、空間転移のためには、多少なりとも自分を傷つけなければならないのだから、無限に続けられるわけもない。
無限に続けられたとして、そこに勝ち目が見えないのだから無意味だ。
“破壊光線”が吸収される以上、セツナの消耗を狙う戦法としては使えなくなっていた。
「変わった、な」
「うるせえ」
“影”が忌々しげに言い返してきたが、彼はもはや、“破壊光線”を撃ってくる気配がなかった。もちろん、好機となれば撃ってくるに違いないが、そのための隙を見出すまでは、軽はずみな砲撃は封印するに違いない。自分の戦い方は、自分が一番よく知っている。
力押しで勝てるときはそれでいいが、そうでないとわかれば、ない頭を振り絞るのが自分なのだ。
“影”はいま、全身全霊で状況を打開する方法を考えている。
だがそれは、セツナとて、同じことなのだ。
“破壊光線”対策こそ見出したものの、それは“影”を斃すためのものではなく、セツナが生き延びるためのものといっても過言ではなかった。
防御手段。
戦術に組み込むようなものではない。
(そうだな……)
セツナは、呼吸を整えると、相手を見遣った。灼き尽くされた砂の浜辺、その暗澹たる闇の中で、“影”の両目だけが爛々と輝いている。紅く、燃えるように。そのまなざしはじっとセツナを見据えており、一挙手一投足すら見逃すまいという執念すら感じるほどだった。
セツナが動けば、“影”も動くだろう。
セツナが動かなければ、“影”も動かない。
“影”に明確な勝算でも生まれなければ、だが。
(そんなものは、ない)
断言する。
“影”の戦闘能力は、セツナとまったく一緒だ。
唯一、無尽蔵の精神力だけが異なる点であり、それを除外して考えるのは良くないことだが、除外した場合、ほかはすべて同等なのだ。身体能力も、召喚武装の能力も、まったく同じ。
黒き矛の能力のうち、いま使えるものがあるとすれば、“影”が使ったふたつと、セツナが使ったひとつを含めた三つだけだろう。
“破壊光線”と空間転移、そして“破壊光線”の吸収。
これらを駆使して、どう自分に有利な状況を作り出すのか。
それが、ふたりにとって共通の問題であり、難題といってよかった。
“破壊光線”による牽制は、無意味だ。
セツナが使えば、“影”は応射するか、空間転移で回避するだけのことだ。“影”が使えば、セツナは躊躇なく吸収するだろう。この時点で、戦い方がかなり制限される。
では、空間転移による急接近は、どうか。
わずかばかりの血で十分とはいえ、自分の優位性が確定的ではない状況で自傷するのは、あまり賢い戦い方とはいえない。“影”が空間転移を連続的に使用したのは、空間転移と“破壊光線”を組み合わせることで、自分にとって有利な状況を作り出せると思っていたからにほかならないし、実際に、セツナは追い詰められかけていた。
黒き矛に“破壊光線”を吸収する能力がなければ、あのままじりじりと消耗し続け、ついには力尽きていたに違いない。
だが、黒き矛の新たな能力が明らかになったいまとなっては、“影”とはいえど、あの戦法は使えなかった。
“破壊光線”を囮に使い、空間転移で背後を取る、というような戦法が取れればいいが、さすがに“破壊光線”と同時に空間転移を発動することは不可能に近く、そのほんのわずかばかりの時間差は、セツナに対応する時間を与えるだろう。
つまり、能力に頼る戦い方はできない、という結論に至る。
(そういうこったな)
セツナは、矛を構え直すと、“影”が嘆息とともに矛を構えるのを見た。重心をやや低めにした構えは、セツナのそれとそっくりそのままだ。なにからなにまでまったく同じなのだから、当然といえば当然だが、それにしたって、と、想わなくはない。
(最後の試練に相応しい、といえば、そうなるのかな)
胸中でつぶやいて、地を蹴るようにして駆けだした。
“影”も同じだ。
互いの距離は、遠く離れている。“破壊光線”による砲撃を行うための距離だったのだから当然だが、そこを“影”が空間転移で埋めないのは、もはや自傷が自殺行為にほかならないことを理解しているからだ。そしてそれは、セツナにとって多少なりとも優勢をもたらすことでもあった。“影”は、空間転移のために何度となく自傷している。
ほんのわずかばかりの傷がもたらす微々たる痛みが、致命的なものとなる可能性だってあるのだ。
もっとも、そんなことに期待しているセツナではない。
セツナは、正面切って自分自身の“影”と戦い、“影”に打ち勝つつもりでいた。
これは試練だ。
自分自身を討ち斃し、自分自身がここに在ることを示すための――。
(たぶん、きっと、そんな感じ)
おそらくは、だが。
距離が詰まる。
疾風となり、砂塵を巻き上げながら迫り来る“影”が、矛を翳した。穂先が白く燃えている。至近距離での“破壊光線”。セツナは、瞬時に対応する。矛を前面に突き出し、撃ち放たれた破壊の奔流を吸い込む。光が消え去り、熱気が舞う中、ふたりのセツナは激突した。矛と矛がぶつかり合い、凄まじい反動が両手から全身を貫く。
穂先の間で、黒い火花が散った。
「いい反応だ! さすがは俺!」
「こういうの、自画自賛っていうのか?」
「さあな?」
「まあ、そうじゃなくとも、気持ち悪いんだよ!」
「まあそういうなよ!」
数合、暴風のように矛を撃ち合わせ、そのたびに凄まじい衝撃がセツナの全身を襲った。黒き矛によるすべての攻撃がとてつもなく重いのだ。それはセツナだけではなく、相手も感じていることだろう。元々の身体能力に加え、戦竜呼法、黒き矛による強化、そして、黒き矛そのものの能力が加わっていることで、互いの戦闘力はとてつもなく高まっている。
ふたりが矛をぶつけ合うたびに黒い火花が散り、轟音が鳴り響き、衝撃波が吹き荒んだ。そのせいで足下の砂が舞い上がり、吹き飛んでいく。
黒き矛と黒き矛のぶつかり合い。
セツナとセツナの攻防。
ひたすらに激しさを増し、嵐となり、渦を巻く。
まさに最終試練に相応しい様相を呈していく。




