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第二百九十九話 異変(五)

 カーメルと同じようにナーレスに見出された人間は多い。

 ナーレスがミレルバスの腹心として辣腕を振るった数年で、ザルワーンの人事は大きく変わった。五竜氏族の血縁を最優先としていた前政権時代では考えられないような変化があり、ザルワーン国内は大いに湧いた。否定的な声も少なくはなかったものの、五竜氏族と血縁関係のない人間のほうが多いことを考えれば、喜びの声が大きいのは当然だったのだ。ナーレスはその流れに乗るようにして、人事を刷新していった。文官上がりの翼将や天将が生まれ、ザルワーン軍も様変わりしていった。

 軍人の中にナーレス信者と呼ばれる連中が増大したのは、彼の神憑り的な采配に魅入られたものが多いからだけではない。ナーレスのおかげで日の目を見ることのできたものが数多くいたからだ。実力は十分にあるのに、五竜氏族ではないというだけで黙殺されてきたものたちからすれば、ナーレスは神のように想えたのだ。

 そんな連中が、ナーレスの拘束に対して黙っているだろうか。

 カーメルには立場があり、この不安定な足場をどうにかして守り通さなければならないという想いもある。ナーレスの拘束に意見し、わざわざ地位を捨てる必要はない。ナーレスには感謝しているし、恩は返したいとも思っているのだが、いまの生活を捨てるわけにもいかない。そんなことを考えているうちに、ガンディア軍が侵攻してきたということもあり、彼はナーレスのことを深く考えずに済んだのだが。

(考え過ぎだな)

 カーメルは、頭を振った。

 ナーレス信者が龍府天輪宮に押し寄せ、なにかしらの行動を起こしていれば、いまごろ龍府は大騒ぎになっているはずだ。龍府からの返答が遅いとはいえ、異変があれば報せるようにと手のものに言い付けてあるのだ。それにナーレス信者の多くは軍人であり、軍人の本分を忘れてまで信仰に命をかけるとも思いがたい。彼らが生粋の軍人ならば、ザルワーン人ならば、国土防衛にこそ注力するはずなのだ。

 特に、龍府の防衛を任された龍眼軍は、ザルワーン軍においては精鋭中の精鋭によって構成される軍勢である。国主に忠誠を誓った彼らが、国よりもナーレスを取るとは考えにくいのだ。それに、龍眼軍を統率する神将セロス=オードは、ミレルバス=ライバーンの信徒といっても過言ではない。彼が手綱を引いている限り、龍眼軍が愚かな行動を起こすことはないだろう。

 そう結論づけた時だった。

「カーメル様っ! 大変です!」

「どうした……なにがあった?」

 カーメルは、中庭に飛び込んできた男の顔を一瞥した。肩で息をしているのは、カーメルを探して砦内を走り回っていたからかもしれない。全身から汗が噴き出していることからもわかる。副将イーゼン=ヘーゲン。

 カーメルが胸騒ぎを覚えたのは、いつもは沈着冷静な彼の表情に余裕というものがなかったからだ。

「それが……!」

「だれだ? 貴様」

「はい? わたしは――」

「おまえのことではないよ」

「は……?」

 カーメルは、イーゼンの背後を見ていた。男が立っていたのだ。見事なまでの白髪が印象的な男。ザルワーンの軍服を纏っているところを見る限り、ザルワーン軍人なのだろうが、第四龍牙軍の兵士ではない。カーメルは第四龍牙軍に所属する兵士全員の顔を覚えている。

「ひぃっ」

 イーゼンが悲鳴を上げたのは、カーメルの視線に気づき、後ろを振り返ったからだ。

 男は虚空を見やりながら、なにやらぶつぶつとつぶやいていたのだが、それが武装召喚術の呪文だとはカーメルにわかるはずもなかった。



 イェン=ラビエルは、ビューネル砦を襲う怪現象の中で、ただひとり冷静であろうとしていた。

 ビューネル家を象徴する漆黒の砦は、夜明け前の闇の中で、より暗く、より深くあるはずだった。しかし、緑色の光が砦内に散乱するという異常事態は、漆黒の砦を包み込んでいた静寂を打ち払うかのようであり、実際、砦の中は大騒ぎになっていた。

 砦にいるのは、なにも軍人だけではない。第三龍牙軍の戦闘要員五百人とそれに付随する人員が多数を占めているとはいえ、戦闘に関わることのない人間も数多く住んでいた。最初に騒ぎ出したのはそういった人々であり、訓練された軍人たちが右往左往しだしたのは、怪現象が砦全体を覆うようになってからのことだ。

 怪現象。

 ひとことでいえば、光が踊っているとでもいうべきか。

 どこからともなく生じた緑色の光が、地面を走り、壁面や天井を縦横無尽に駆け巡っていった。光は複雑な模様を描き出すと、そこから文字のようなものを浮き上がらせる。緑色の光が散乱し、ひとびとはわけもわからず混乱するしかなかったのだ。その混乱が第三龍牙軍にまで波及するのに時間はかからなかったし、それもまた当然のように想えたのは、イェンにも理解不能の事象に直面していたからだ。

 最初、砦の外面にのみ発生していた怪現象は、時が立つとともに砦の内部へと浸透していった。だれにも止めることはできなかったし、対処する手段などあろうはずもなかった。光は加速度的にビューネル砦を覆い、ひとびとの思考をも緑色の光で包み込んでいった。

 イェンは、副将と供回りを連れて砦内を巡り、兵士たちを叱咤していったが、そんなことで収まるような混乱ではなかった。歯止めの効かない異常事態は、鍛えあげられた軍人たちからも冷静さを奪い去っていったのだ。

 そして、彼はある現象を目撃することになる。

 廊下の床に描かれた模様から莫大な光が噴出したかと思うと、光の中からひとりの男が現れる。見事なまでの白髪は、忘れようもなかった。

 魔龍窟の武装召喚師クルード=ファブルネイア。

「なぜ君がここに? 死んだはずではないのか?」

 イェンは、驚きを隠せず、声を上擦らせた。

 魔龍窟から上がってすぐに天将位を授けられたクルードは、イェンにとっては同僚に等しかった。クルードだけではない。ミリュウ=リバイエンも、ザイン=ヴリディアも、そう考えるべきだろう。彼らは五方防護陣から掻き集めた軍勢が揃うまでの間、ビューネル砦に滞在していたということもあり、イェンはある程度の親しみを持っていた。もっとも、彼と仲良く接したのはクルードだけであり、ほかのふたりの人格についてはよく知らなかった。気だるげな女と、敵意を撒き散らしている興奮状態の男という印象しかない。

 その点、クルードは違う。五竜氏族に連なるものであるということを鼻にかけないというだけで、好意に値したのだが、イェンのなにげない言葉にも詩的な返答を用意してくれるクルードは、彼が五竜氏族に抱いていた誤解を氷解させるほどだった。もちろん、クルードだけが特別なのかもしれないという思いもあったものの、彼との数日の交流は、イェンにとって大変有意義なものだった。

 だから、彼の部隊が敗北したと聞いたとき、イェンは終生の友を失ったという喪失感に苛まれたのだ。また、ザインとミリュウも戦死したということであり、ジナーヴィ=ライバーン、フェイ=ヴリディアを含めると、魔龍窟の武装召喚師が全滅したということになるのだが、それよりも、クルードひとりの戦死のほうが、イェンには辛かった。

 そんな男が、目の前に現れたのだ。どうやって現れたのかなど、この際どうでもよかった。彼は武装召喚師だ。召喚武装を使えばなんとでもなるようなことなど、些細なことだ。

「いや、そんなことはどうでもいい。生きていてよかった……!」

 イェンは歓喜とともにクルードに駆け寄ろうとしたが、光の文字列に阻まれた。床から噴き出してきたのだ。イェンが足を止めたのは、光の文字に触れ、発狂した兵士を目の当たりにしたからだ。その直後、呪詛のような言葉を並べる兵士の姿は、狂気の産物としか思えなかったものだ。

 イェンは光の文字列の向こう側で、呪文のようなものを口走る男の姿に恐怖を覚えた。

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