第二千九百九十八話 自由というもの(十三)
「どうもこうもねえよ」
告げ、歩き出す。
前へ。ただひたすら、前へ。
“影”は、セツナが取った行動を不審に思ったのか、即座には攻撃してこなかった。しかし、セツナがただ前進して距離を詰めているのだと悟ると、すぐさま“破壊光線”の発射態勢に移る。
黒き矛の穂先が白く輝くその前兆を見た瞬間、セツナは左に飛んだ。破壊の奔流が砂塵を舞い上げ、焼き払うようにして、右側を貫いていく。続いて、大きく右に飛べば、今度は左に大きく逸れた。並外れた跳躍力は、常人離れしたものだが、黒き剣と戦竜呼法が組み合わされば、出来て当然といえる。
そこから何度か左右に飛ぶことで“破壊光線”をかわし、相手に揺さぶりをかけ続ける。“破壊光線”の乱射による翻弄を逆に利用してやるのだ。
そうするうち、さすがに苛立ちを覚え始めた“影”が、“破壊光線”の発射間隔を縮め出した。それはつまり威力を絞ったということであり、そればまでの極大の光芒と比べると随分と細い光線となってセツナの真横を通り抜けていく。
威力を絞るということはつまり、出力を下げるということであり、光線の大きさや太さにも影響を与えるのは必然だった。だが、その分、発射間隔は先程までとは比較にならないほどに短くなり、大きく跳躍して揺さぶるといった戦法は取れなくなった。
大きく飛んでかわせば、飛んでいる最中につぎの“破壊光線”の発射準備が完了するのであり、着地と同時に“破壊光線”を撃ち込まれるからだ。
だが、むしろそれでよかった。
発射間隔が短くなったことは厄介だが、同時に“破壊光線”の威力、攻撃範囲が狭まったことで、避けるのに必要な距離もまた、短くなったのだ。短距離を飛んで移動すれば、発射間隔にも対応できるはずで、実際に対応できた。
ただし、これでは相手を翻弄するには至らない。
「どうしたどうした? それじゃあいつまで経っても俺を斃せないぜ?」
(んなこたあ、いわれなくてもわかってんだよ)
セツナは、“影”の煽りに対し、胸中で告げた。
実際問題、止めどなく連発される光線をかわし続けるだけでは、なんの解決にもならない。翻弄することもできなくなっていたし、“影”は、余裕を取り戻していた。
つまり、振り出しに戻ったのだ。
(いや、違うな)
自身の考えを即座に否定して、前に進む。“破壊光線”が来た。細く鋭い破壊の光の帯。立ち止まり、黒き剣を掲げれば、破壊の光は刀身に突き刺さり――爆発しなかった。
「なっ!?」
「これは……」
驚愕しているのは、“影”だけではなかった。セツナ自身、黒き剣に起きた現象に驚くほかなかったのだ。
黒き剣は、“破壊光線”の直撃を受けても微動だにするどころか、“破壊光線”そのものが炸裂せず、まるで刀身に吸い込まれるようにして消えていった。実際に吸収されたのかどうかは、わからない。
わかったことは、連発可能な低威力の“破壊光線”ならば、黒き剣で対処が可能だということだ。
いや、高威力の“破壊光線”であっても、黒き剣が破壊されることだけはなく、もしかすると対処可能だったのかもしれない。ただ、黒き剣が“破壊光線”を吸収しきる前にセツナの肉体が焼き尽くされてしまったため、見届けることができなかっただけなのではないか。
だとしても、高威力の“破壊光線”に対しては、もう一度同じことを試す真似などできようはずもない。試そうとすれば、またしても当然のように焼き尽くされるだけのことだ。
「どういうことだよ、おい。話が違うじゃねえか」
「そうだな。その通りだ」
セツナは、この試練が始まって初めて、不敵な笑みを浮かべた。
「そういう場合、俺ならどうするか、わかってるよな?」
“影”を見遣れば、彼もまた、不遜なまでの笑みを口辺に浮かべていて、きっとおそらく、自分もそっくりな表情をしているに違いないと思えた。まさに自分の影そのもののような相手に初めて共感を抱いている。
黒き剣の秘められた能力が明らかになりつつあるのだ。
驚きと興奮がセツナの中にある。
そのようなことが敵に起こった場合、セツナは、どう考えるか。
(打開策を考えるだけのこと)
そして、“影”が動いた。彼は、構えたままの黒き矛によって“破壊光線”を撃ち放ってきた。それは、セツナが想像した打開策そのままの、低威力の“破壊光線”による牽制だった。セツナは、動かない。動かず、黒き剣の刀身で“破壊光線”を受け止め、破壊的な光の奔流が刀身に吸い込まれていくのを見届ける。同時に、“影”の姿が掻き消えるのを認めた。頭上を仰ぐ。闇の空、純白が広がっていた。
極大の“破壊光線”がセツナの視界を白く染め上げる。
彼は、黒き剣を頭上に向かって掲げた。真っ直ぐに、光の奔流に向かって。
上空から放たれた“破壊光線”は、おそらく最大威力のものだ。視界を真っ白に塗り潰すくらいに巨大で、分厚く、凄まじい熱量だった。そんなものの直撃を受ければ、当然、セツナの肉体は持たない。肉も骨も焼き尽くされ、消滅するだけだ。
だが、黒き剣は、どうか。
“破壊光線”を耐え抜くだろう。
耐えるどころか、吸収するだろう。
だが、黒き剣が“破壊光線”を吸収し尽くすまでセツナの肉体が持つかどうかは、わからない。十中八九、セツナの肉体が消滅するほうが先だろうし、そうなれば、また最初からやり直しだ。だからといって、逃げに徹するわけにもいかない。同じことの繰り返しになるだけだ。
それでは意味がない。
なんの解決にもならない。
だから、賭けるのだ。
全身全霊を込め、命を賭す。
それは、死んでもつぎがあるから、という安易な考えではなかった。これで終わったならつぎはない、そういう覚悟がセツナを突き動かした。
凄まじい熱量が迫り来る中、セツナは、視界を塗り潰す白を真っ直ぐに見据えた。純白の奔流の中、突き上げるように掲げた黒き剣の刀身が昏く、深く、静かに聳えている。そう思った瞬間、不意に熱を感じなくなった。まるで黒き剣が熱を遮断する防壁でも形成したのではないか、と、思えるような出来事だった。
破壊そのものを具現したような極大の光が、黒き剣の切っ先に触れる。まだ、破壊は起こらない。破壊が起こるとすれば、セツナの肉体に触れたときだ。柄を握る手に触れた瞬間、爆砕の連鎖が始まる。皮膚を灼き、肉も骨も打ち砕き、内臓もなにもかも破壊し尽くす。“破壊光線”の名に相応しい事象が引き起こされるのだ。
だが、それは起きなかった。
“破壊光線”の先端が黒き剣の切っ先に触れたつぎの瞬間、まったく別の現象が起こったからだ。
破壊的な光の奔流が、黒き剣の切っ先から刀身へと流れ込み、黒き刀身に溶けるようにして吸い込まれていったのだ。その間、セツナの肉体が“破壊光線”の発する熱に曝され、灼き尽くされるということもなかった。セツナは、膨大かつ圧倒的な破壊の光が瞬く間に黒き剣に吸収されていく様を見届けたのだ。
そして、すべての光を吸収し終えた刀身は、真っ白に燃えるように輝いていた。
まるで“破壊光線”を発する瞬間の黒き矛の穂先そのもののように、だ。
そして、その白く輝く剣の向こう側には真っ暗な空が広がっていた。
「やった……のか?」
「いいや、まだだ」
“影”の声は、後方からだった。
振り向けば、光の奔流が肉薄していた。